最高の経とはなんぞや
経とは、仏典の経文のことを経と世人は思っている。しかるに仏教上の経とはしからず。雀がチュウチユウと鳴き、猫がニャゴニャゴと鳴く。犬はワンワンとほえ、おかみさん方は井戸端会議、人のうわさをする。これが経である。
すなわち、宇宙の森羅万象の語言・動作、ことごとく経である。賢哲の言動も経であれば、一凡愚のさけびも経である。
この経は、そのもの自体の真理と価値を表明する。ゆえに非情より有情の経は高く、有情のうちでも、猫・犬より凡夫の経が高いのである。また、人のなかでも、凡下の者より智者、智者のなかでも大智者の経が高い。大智者といわるる者のなかでも、仏と名づけられる方の経が、もっとも高い。祖師は日蓮に奪われ、大師は弘法に奪わるとか。
されば、経といえば、仏典のみが経だと世人は思うのである。
しかして、これを吾人らの生活に見るに、魚屋には魚屋としての経を日常読んでいる。政治家は政治家、大工は大工、職工は職工の、労働運動者は、その労働運動の経を読んでいるわけである。
仏滅の今日、妙法蓮華経の経はもっとも高しとするゆえんのものは、妙法とは最高の価値ある生命であり、蓮華とは最高価値ある生命を内包する玉体である。ゆえに最高善を営む、すなわち、大善生活を営む者の経こそ最高であり、真理である理由である。
吾人が大工なりとする。この大工は、たんなる大工としての経を読むものにある。その職業を貫いて一貫する最高価値の表現を、大工という経のなかに、包含するのである。
吾人が一商人なりとする。たんなる一商人の行動のなかに、妙法蓮華の体として商人行動をとる。ゆえに表面は同じ商人であっても、その本質の経は妙法蓮華の経の表現である。商行為である。しかして、この妙法蓮華経は、三世の諸仏の所生の地であり、三世の諸仏の賛嘆し、護念するところのものであるがゆえに、この一商人、一大工の行為は、三世の諸仏菩薩、人天、八部衆の守らるるところの表現で、ここに凡下のわれわれに一大利益の発生する理由が存するのである。
十界互具の御本尊は、この妙法蓮華の表徴であり、魂であり、真実である。
これに帰依するものは、妙法蓮華の真髄を日常諸動作のなかに具現して経となすがゆえに、日夜冥々のうちに三世の諸仏に護念せらるること、明々白々の事実である。
世のなやみ多き徒よ。きたって宇宙唯一、最高最大、最尊最上の経を体得し、日常生活に具現して真の安心立命をえて、全世界の幸福のために力をいたされよ。
(昭和二十一年十月一日)
