十如是論 (二)
如是縁
地獄界 ― 拾った十万円が、また外界の縁となり、あるいは、そこに、さらになやみが起こるような縁があって、苦悩を深めるであろう。
餓鬼界 ― 拾った十万円を縁として、また貪りを深める。
畜生界 ― お金を拾わなければよかったのに、拾った縁で、さらに畜生の業を深める。
修羅界 ― 修羅界に住むこの人も、十万円という金に縁を結んだのだから、この縁は十万円持っている金と、なんらかの作用を起こして修羅界から天界へ移るか、地獄界に移るか、なんらか将来発展の縁となるであろう。
人界 ― 十万円に縁を結んだ瞬間、十万円を十万円と評価して、これにたいする処置をつける縁をなすであろう。
天界 ― この人は落とした者もおもしろく、拾った自分もおもしろいと、うちよろこんでいる人だから、ちょうど、この人が十万円と結んだ縁は、あたかも子どもがオモチャを拾ったときのような縁ににたものではなかろうか。
声聞界・縁覚界 ― おれひとりよければよいという個人主義の人だから、十万円を拾った瞬間、その縁はあたかも貴婦人がゲジゲジ虫にあった縁ににたものではなかろうか。
菩薩界 ― 人をあわれみ、世を思い、徳高く、地位すぐれた人であるとすれば、この十万円と結んだ瞬間の縁は、落とした人をあわれむの心から、あわれみ深い人がケガせる人と会ったような縁とにておりはせぬか。
仏界 ― 申しのベがたし。
如是果
地獄界 ― なやみになやめるこの人は、落とした人の心も考えられず、拾った自分もはっきりせずに、紙クズでも拾ったような心地であろう。
餓鬼界 ― この人は謝礼金一万円を、もうもらった心地でよろこんでいることであろう。
畜生界 ― 十万円に内包されている財、すなわち着物だ、料理だ、貯金ができるというような財が、かれの心地をいっぱいにしめるであろう。
修羅界 ― 怒りにもえているこの人は、十万円拾ったことが、シャクにさわってたまらない心地ではなかろうか。
人界 ― 心たいらかなこの人は、十万円持ったということにたいして、責任を感じる心地ではなかろうか。
天界 ― 十万円拾って、人生をおもしろがっているこの人の心地は、これでまた世のなかが楽しめるというようなことではなかろうか。
声聞界・縁覚界 ― 学問、技術にすぐれても個人主義の人であるから、十万円拾ったとたんは非常に迷惑な心地であろう。
菩薩界 ― 落とした人の心境に同情して、非常にかわいそうなという気持ちでいっぱいなことであろう。
仏界 ― いいがたい。
如是報
地獄界 ― なやみきっているこの人が、十万円を現実にわが物として持ちながら、なんら価値なきむくいとしているにすぎなかろう。
餓鬼界 ― 落とし主がなければ、一年後には十万円、落とし主がみつかれば謝礼金として一割、厳然たる金銭的価値のむくいをえているであろう。
畜生界 ― 厳然として十万円の金銭的価値のむくいを受けている。
修羅界 ― 非常に腹を立てきっている絶頂である。落とした者に腹を立て、拾った自分に腹を立てるごとき十万円の財にあるむくいを受けているのである。
人界 ― 心たいらかな、この人にとっては、これを警察署へ届ける義務をおわされた十万円の財としてのむくいを感じさせられるであろう。
天界 ― 拾ったのもうれしく、落とした人もおもしろいといっている人であるから、十万円は、よいオモチャであるとのむくいを受けているであろう。
声聞界・縁覚界 ― 十万円の金は、その人に不愉快を与える一個の品物としてのむくいである。
菩薩界 ― 落とした人をあわれむ、あわれみ深い心の人であるから、この十万円の金は、ただこの人を悲しませるにすぎない財ではなかったろうか。
仏界 ― いいがたし。
如是本末究竟等
『本末究竟等とは、如是相をはじめとして、如是報を終わりとして、本末究竟して中道法相なるを、本末究竟等という』と日寛上人様はおおせられている。
いま、これを十万円拾った瞬間において、わかりやすく本末究竟等を説明するならば、次のとおりである。
地獄界 ― 如是相から如是報にいたるまで一貫して、みな、なやみきった状態で相性体力作因縁果報まで究竟して等しく、なやみの状態以外何ものもない。
餓鬼界 ― 如是相から如是報にいたるまで一貫して、みな貪りの状態で、相性体力作因縁果報まで究竟して等しく、この状態以外の何ものもない。
畜生界 ― 如是相から如是報にいたるまで一貫して、みな前後もわからずに十万円に執着しきっているすがたで、相性体力作因縁果報まで究竟して等しく、この状態以外何ものもない。
修羅界 ― 如是相から如是報にいたるまで一貫して腹を立てきっている状態で、相性体力作因縁果報まで究竟してこのすがたである。
人界 ― 如是相から如是報にいたるまで一貫して、冷静な責任感に終始しており、相性体力作因縁果報皆究竟し、この状態の何ものでもない。
天界 ― 如是相から如是報にいたるまで一貫して、何もかもおもしろいというよろこびの状態であり、相性体力作因縁果報まで究竟して、この状態以外の何ものもない。
声聞界・縁覚界 ― 如是相から如是報にいたるまで一貫して、みな関係したくないという個人主義な状態で、相性体力作因縁果報まで究竟して等しくこのすがたである。
菩薩界 ― 如是相から如是報にいたるまで一貫して思いやりが深い状態で、相性体力作因縁果報まで究竟して等しく、みな同じである。
仏界 ― 申しのべがたい。
(昭和二十八年二月十五日)