『諸善男子。如来見諸衆生。楽於小法。徳薄垢重者。為是人説。我少出家。得阿耨多羅。三藐三菩提。然我実。成仏已来。久遠若斯。但以方便。教化衆生。令入仏道。作如是説』

 

 如来とは、日蓮大聖人の御事である。日蓮大聖人の仏法のなかの多くの衆生のなかに、南無妙法蓮華経という大白法以外のいろいろの法則をたてた小法のみを信じている者がある。それらの人は福徳が薄くて、たえず何物かの不足を感じ、かならずなやんでいるのである。

 

 また『垢』とは貪・瞋・癡・嫉妬等の根性のことであって、重しとは、これになやまされていることである。

 

 これらの人は、大聖人様を仏と見たてまつらず、たんなる僧侶の偉い方とみるのである。しかるに、大聖人様は仏であられることは久遠元初の昔からである。久遠であるということは、働かさずつくろわず・もとのままということで、かつまた南無妙法蓮華経ということである。ただ罰と利益の方便をもって衆生を利益して仏道に入らしめていられるのであると心に念じて読誦したてまつるのである。

 

 さて、『我少出家。得阿耨多羅三藐三菩提』とは、大聖人様の永遠の生命を信じない現世のみの生命であると考えるものをいうのである。

 

『参考』

御義口伝(御書全集七五九ページ)にいわく、

『此の品の所詮は久遠実成なり久遠とははたらかさず・つくろわず・もとの儘と云う義なり、無作の三身なれば初めて成ぜず是れ働かざるなり、卅二相八十種好を具足せず是れ繕わざるなり本有常住の仏なれば本の儘なり是を久遠と云うなり、久遠とは南無妙法蓮華経なり実成無作と開けたるなり』云云。

 

『諸善男子。如来所演経典。皆為度脱衆生。或説己身。或説佗身。或示己身。或示佗身。或示己事。或示佗事。諸所言説。皆実不虚。所以者何。如来如実知見。三界之相。無有生死。若退若出。亦無在世。及滅度者。非実非虚。非如非異。不如三界。見於三界。如斯之事。如来明見。無有錯謬。以諸衆生。有種種性。種種欲。種種行。種種憶想。分別故。欲令生諸善根。以若干因縁。譬喩言辞。種種説法。所作仏事。未曾暫廃。如是。我成仏已来。甚大久遠。寿命無量。阿僧祇劫。常住不滅』

 

 もろもろの善男子よ(末法の衆生よ)と大聖人様、お呼びかけになられていわく、大聖人様のおおせあそばすいろいろのお教えは、みな末法の衆生を仏になさんがためであらせられる。

 

 あるいは文底より、ご自身の身をお説きあそばし、あるいは教相において釈迦、天台、妙楽その他の仏を説き、あるいは文底よりご自身をお示しになり、あるいは教相において釈迦仏法の仏菩薩をお示しになり、あるいは文底より事の一念三千南無妙法蓮華経の境涯をお示しになり、あるいは教相において釈迦仏法の三種の教相、五重の相対の事をお示しになって、そのお説きになるお説法は、みな久遠元初のご本仏のご説法なるがゆえに、みな実にしてまちがっていないのである。

 

 その所以は、大聖人様は久遠元初の報身如来でいらせられるゆえに、宇宙の実相を如実に知見していられるのである。

 生死あることなく、大聖人様はこの世のなか、娑婆世界からしりぞかれたこともなく、娑婆世界にお出ましになったのでもなく、在世滅度もなしとおおせられているのは、大聖人様は、三世常住であると断言せられ、かつまた無始無終の生命であると断じられているのである。

 

 また法身如来の立ち場に立たれて宇宙自体が生命なりと大聖人様およびその眷属の生命は、その瞬間において宇宙の生命と一致し、宇宙の広がりをたもつと断じられているがゆえに、その生命の本質たるや、実にもあらず虚にもあらず、如にあらず異なりにあらず、三界において三界を見るがごとからずと断ぜられたのである。

 

 このように、大聖人の三身即一身、一身即三身のお智慧は宇宙の実相をみて、なんらあやまりがないのである。

 

 なぜ三身即一身と断ずるかというに、或説己身或説佗身のところは応身のご境涯であり、如来如実三界之相というところは報身のご境涯であり、非実非虚は法身のご境涯だからである。

 

 また、あらゆる時代の衆生は、種々の性分あり、種々の欲があり、種々の思想があって、分別すなわち差別があるゆえに、本より迹を垂れられて、時に迹仏と現じ、末法には本仏と現じ、仏法に忠順ならしめんとして、いろいろの因縁、いろいろの譬喩、時代時代のことばをもって種々に法をお説きになり、仏のなすべきことを少しの間も廃されることがなかったのである。

 

 このように大聖人様の仏のご境涯は、久遠元初よりであって、そのご生命たるや、久遠なのである。そのご生命たるや無始無終なのである。つねにこの娑婆世界に常住であって、不滅なのが大聖人様なのである。

 

『諸善男子。我本行菩薩道。所成寿命。今猶未尽。復倍上数。然今非実滅度。而便唱言。当取滅度。如来以是方便。教化衆生』

 

 もろもろの善男子よ(末法の衆生よ)と大聖人様はお呼びかけくださり、もし教相に約して釈迦が菩薩の道を行じたというのは、なにを修行して菩薩の道を行じたか、すなわち日寛上人様が開目抄の文段(富要集第四巻三〇九ぺージ)に『故に知んぬ我本行菩薩道の文底に久遠名字の妙法を秘沈し給うなり』とおおせの文底秘沈の南無妙法蓮華経を修行したのである。ご内証に約せば我本行菩薩道は総勘文抄(御書全集五六八ページ)におおせのごとき、

『釈迦如来・五百塵点劫の当初・凡夫にて御坐せし時我が身は地水火風空なりと知しめして即座に悟を開き給いき、後に化他の為に世世・番番に出世・成道し在在・処処に八相作仏し王宮に誕生し樹下に成道して始めて仏に成る様を衆生に見知らしめ四十余年に方便教を儲け衆生を誘引す』とのご境涯と拝すべきである。

 

 所成寿命とは、この時に感得せられたご本仏の生命は無始無終であらせられる。宇宙の外にあるのでもなく、宇宙より前でも後でもなく、宇宙それ自体である。しかるに、仏は滅度したまい、衆生もまた滅度するというのは、永遠の生命において、この現身を永遠に続けることができる。すなわち、死という方便によって生々たる生命活動をまた起こし、死しては生き、生きては死す、かくして生命は永遠であり、ただ、その死を方便とするのである。

 

『所以者何。若仏久住於世。薄徳之人。不種善根。貧窮下賤。貪著五欲。入於憶想。妄見網中。若見如来。常在不滅。便起橋恣。而懐厭怠。不能生於。難遭之想。恭敬之心。是故如来。以方便説。比丘当知。諸仏出世。難可値遇』

 

 所似はどうであるかというと、もし大聖人様が久しくこの世にお住まいあそばされるならば、これ、生命の本理にかなわぬこととなる。

 

 また、徳分なき末法の衆生は、大聖人様に依存して折伏を行じない、そして、折伏を行じないがゆえに、貧窮下賤・貪著五欲の生活を打破することもできず、かつまた種々なる思想、あやまった見解の迷路のなかにはいってしまうであろう。

 

 もし大聖人の、つねにこの世にいますとなれば、すなわち憍恣の心を懐き仏法を厭い、大聖人にあいがたき思いや大聖人を恭敬する心を生じない。いつまでも大聖人を凡夫であるとみなして、その命をきかなくなるであろう。

 

 いいかえれば、大聖人のご本仏であることを永劫に知ることができないではないか。ゆえに、大聖人は生命の本理に合して涅槃をなされたのである。これを是故如来以方便説とおおせられているのである。

ゆえに、日蓮大聖人門下は、大聖人様のご出世なくんば、仏の境地をえることができないと知らなくてはならない。これを諸仏出世難可値遇と説かれているのである。

 

 しこうして、一歩立ちいってこの御文を拝するに、この御文は生命の実相をお説きなされているのである。

 われわれは、死にたくないと乞い願うことは理の当然である。しかし、逆に、絶対にわれわれが死なないということになり、不滅のものであるとしたらどうなろうか。これを若仏久住於世と前にものべたように絶対死なないとすれば、首を切られても、電車にひかれても、また生きかえってしまう。

 鉄砲のたまに当たっても生きかえり、肺臓を取っても、肺臓がまたできて生きてしまう。もし人があなたのお年はいくつでしょうと聞いたときに、さあ三億年くらいだろうかねというようなことであったら、どんな事件が起こるだろうか。簿徳の人ばかりであって貧窮下賤で五欲に貪著し、あらゆるまちがった思想のみを持って憍恣であり、正しい思想には厭怠の思いを懐き、生命にたいして難遭の思い、恭敬の心を起こさないであろう。いいかえれば、メチャクチャな世のなかが現出されるであろう。

 このゆえに死ということは絶対に必要なのである。

 

『所以者何。諸薄徳人。過無量。百千万億劫。或有見仏。或不見者。以此事故。我作是言。諸比丘。如来難可得見。斯衆生等。聞如是語。必当生於。難遭之想。心懐恋慕。渇仰於仏。便種善根。是故如来。雖不実滅。而言滅度。又善男子。諸仏如来。法皆如是。為度衆生。皆実不虚』

 

 所以はどうかというのに、われわれ末法の徳分の薄い者は無量百千万億劫を過ぎても、あるいは、大聖人様にお目通りする者もあり、しない者もある。そのゆえに、大聖人様はこのようにおおせあそばされるのである。

 

 もろもろの末法の衆生よ(もろもろの比丘よ)仏にはあいがたいとお説きあそばされ、ここにおいて、末法の衆生、このおことばを聞いて、難遭の思いを起こし、心に恋慕をいだいて大聖人様を渇仰するのである。しこうして、大聖人様にあわざる者は、大聖人様のご生命である大御本尊様を渇仰するのであり、しこうして折伏を行ずるのである。このゆえに、大聖人様は、生命は、じつは滅しないけれども、生命原理において滅度があるのであるとお説きになったのである。

 あらゆる仏も、みな、本より垂れたる迹なるがゆえに、大聖人様のおおせのごとく、方便の滅度をとられて衆生を救われるのである。

 

『譬如良医。智慧聡達。明練方薬。善治衆病。其人多。諸子息。若十。二十。乃至百数。以有事縁。遠至余国。諸子於後。飲佗毒薬。薬発悶乱。宛転于地』

 

 譬如良医の良医とは、久遠元初の本仏のことである。仏智きわまりなく、粗凡夫にたいして、そのなやみ苦しみを救う手だてには十分通達していられるのである。この人に、多くの順縁、逆縁の子どもたちがおられる。その仏は、いまだ末法に至らざるの間、遠く余の仏国にあそばれていたのである。その子どもらは父と別れて毒薬をのんだ。毒薬とは邪法邪義の邪教である。その邪教の毒発して宛転于地するのである。宛転于地とは、なやみ、苦しみ、欲望、しっと等のために地をころげまわるごとき焦燥にうたれることである。

 

『是時其父。還来帰家。諸子飲毒。或失本心。或不失者。遙見共父。皆大歓喜。拝跪問訊。善安穏帰。我等愚癡。誤服毒薬。願見救療。更賜寿命。』                               

 

 この時、その父、家に帰りきたるとは、大聖人様が上行菩薩の再誕、久遠元初の無作三身如来の再現として日本国へご出現を意味するのである。父とは日蓮大聖人、家とは娑婆世界である。諸子飲毒とは邪教に毒せられて不幸の業報を感じつつあった。本心をうしなうことは久遠元初の下種を忘れ、毒鼓の縁にある者である。

 

 本心をうしなわずとは、五百塵点劫久遠元初の下種を思いだし、順縁は大御本尊を信ずるものである。このいっさいの衆生、大聖人のご出現を見て大いに歓喜すとは、順縁の者は信じて歓喜し、逆縁の者は謗じて歓喜するのである。

 

 拝跪問訊とは、折伏にふれて利益と罰によって問いたてまつるのである。善安穏帰以後は、教相において約せば、われらは愚かで、邪宗の毒気を受け、不幸におちいっている。願わくば、救われて、さらによき生活をあたえ給え、さらにいえば、よく帰られたる父よ、自分らはいま不幸にいる。どうか救ってもらえまいかとの強き願望があらわれている。さらにいうならば、更賜寿命とは強き生命力を与えよとの意味で、すなわち、私がいつもいう信仰の利益の生命力の旺盛という文証である。

 

『父見子等。苦悩如是。依諸経方。求好薬草。色香美味。皆悉具足。擣簁和合。与子令服。而作是言。此大良薬。色香美味。皆悉具足。汝等可服。速除苦悩。無復衆患』

 

 大聖人様は、末法にご出現になって、いっさいの衆生を見るのに、その苦悩のはなはだしきものがある。ご本仏の仏智をもって開目抄のお教えのごとく、いっさいの苦悩ことごとく邪教よりきたれりと断じ、三大秘法の大御本尊を確立したのである。与子令服とは、この御本尊を末法の衆生におさずけなされたことである。此大良薬とは御本尊のことであり、色香美味とは三大秘法、皆悉具足は三世の諸仏の功徳をことごとくつくしてあますところないと拝すべきおことばである。

 汝等可服速除苦悩無復衆患とは、末法の衆生はこの御本尊様を受持すべし、すみやかに苦悩はのぞかれ、また、もろもろのうれいのない幸福の境涯が出現するのであると拝するのである。

 

『其諸子中。不失心者。見此良薬。色香倶好。即便服之。病尽除愈』

 

 末法の衆生のなかの五百塵点を忘れざる者は、この三大秘法の大御本尊をすみやかに受持し、三世にわたる肉体および精神の病すべていえて、幸福の境涯になるのである。

 

『余失心者。見其父来。雖亦歓喜。問訊求索治病。然与其薬。而不肯服。所以者何。毒気深入。失本心故。於此好。色香薬。而謂不美』

 

 余の本心をうしなっている者は、大聖人様の化導にあい、心の奥には歓喜を発して、心身の苦悩を治さんことを切望し、また末法の御本尊の折伏を受けながら、而不肯服、すなわちあえて御本尊を受持しない、なぜかならば、邪教の毒気、深くその生命にしみこんで、五百塵点劫の下種を忘れ、この三大秘法の大御本尊久遠元初の無作三身如来たる日蓮大聖人をありがたいと思わないからである。

 

『父作是念。此子可愍。為毒所中。心皆顚倒。雖見我喜。求索救療。如是好薬。而不肯服。我今当設方便。令服此薬』

 

 大聖人は、絶えず心に、『この末法の衆生は愍むべきである。邪教のために毒せられて、みなあやまった考え方になっている』とおなやみになり、また、『大聖人様にあい、心に幸福を求めながら(求索救療)幸福になるべきこの三大秘法の大御本尊を受持しない。ここにおいて、利益と罰の方便により、この大良薬たる大御本尊を絶対に受持させねばならぬ』と常に念じられたのである。

 

『即作是言。汝等当知。我今衰老。死時已至。是好良薬。今留在此。汝可取服。勿憂不差』

 

 汝等まさに知るべしとは、大聖人様がわれわれ末法の衆生にたいして、強くご訓戒をくださっているのである。

大聖人様は生命の実体に即して六十一歳の御年ご涅槃になるので、その四年前に、究竟中の極説たる一閻浮提総.与の御本尊をご建立あそばされたのである。これが是好良薬今留在此であると心得て今留在此を読むベきである。

 

 今とは末法であり現在である。在此とは一閻浮提においても日本、日本のなかにても富士大石寺と知るべきである。汝等服すべしとは、末法の衆生よ、この大御本尊を受持すベしとの御おおせであり、差えじと憂うることなかれとは、いかなる不幸も、かならず幸福と転換すとのご断言であれば、永遠の幸福をつかむために身命をすてて信心強盛につとむべきであろう。

(昭和二十七年一月二十五日)

 

『作是教已。復至他国。遣使還告。汝父已死。是時諸子。聞父背喪。心大憂悩。而作是念。若父在者。慈愍我等。能見救護。今者捨我。遠喪他国。自惟孤露。無復恃怙。常懐悲感。心遂醒悟。乃知此薬。色香美味。即取服之。毒病皆愈』

 

『この教えをなし終わる』とは、日蓮大聖人が三大秘法の題目を広宣流布あそばされたことである。

『また他国にいたる』とは、三大秘法の題目をご建立ののち、娑婆国土をでられて法性の淵底におかえりあそばされたのを意味する。

『使いを遣わして還って告ぐる』とは、代々の法主猊下のご出現であり、また弟子檀那が三大秘法流布のための折伏である。すなわち地涌の菩薩、無作三身如来の眷属として、この娑婆国土に出現して、折伏を行ずることをいうのである。

『汝の父すでに死す』とは、父はたのむべきところであり、よるべきところである。たよりよるところをうしなったということであり、また、仏がすでにおらぬということも意味せられている。

 すなわち、『父已に死す』とは、大きな罰を受けたことである。

 このときの『諸子』とは末法の衆生であり、この末法の衆生らは『聞父背喪』という偉大な罰の業報を感じ、その心は大いになやみうれえたのである。いいかえれば末法の衆生は罰の衆生であり、苦悩の衆生であるということである。

 

『而作是念』の『念』は、わが苦しみを抜けて幸福を念ずる『念』であり、いいかえれば大御本尊を念ずる『念』である。

『若し父いまさば』とは、われわれが、力ある信心の対象があるならば、かならずわれらを慈愍せられて、よく救いくださるであろう。しかるに、いま末法において、仏遠く他国に行かれて、われらはたよるところがない。自分を掘りさげて考えれば、みな『孤露』であり、たよりないわれわれの生命である。常に人生はかなしみを感ずる以外にない。このように深く人生の苦を知り罰を感じ、心ついに醒悟するのである。

『心ついに醒悟する』とは、すなわち信心の心を起こすことである。

『この薬の色香美味なることを知り』とは、三大秘法の御本尊を知ることである。

『すなわち取ってこれを服す』とは信心を始めたことである。

『毒病皆愈』とは謗法の罪、題目の功力によって、みな許されて幸福の境地へとはいったことである。

 

『其父聞子。悉已得差。尋便来帰。咸使見之。諸善男子。於意云何。頗有人能。説此良医。虚妄罪不。不也。世尊。仏言。我亦如是。成仏已来。無量無辺。百千万億。那由佗。阿僧祇劫。為衆生故。以方便力。言当滅度。亦無有能。如法説我。虚妄過者』

 

『その父、子どもらがことごとく、すでに病気がなおったということを聞いて』とは、末法の衆生、信心に強盛になって、謗法の罪が消えたときにということである。ついで、すなわち帰りきたって、みなにあうということは、信心強盛の衆生は、ここにおいて御本尊を即大聖人様と悟って、御本尊を拝するたびに、たえず大聖人様にお目通りすることを意味する。

 

生死一大事血脈抄(御書全集一三三七ぺージ)に、

『然れば久遠実成の釈尊と皆成仏道の法華経と我等衆生との三つ全く差別無しと解りて妙法蓮華経と唱え奉る処を生死一大事の血脈とは云うなり』と、大聖人様御おおせのご心境をこの四句にあらわしているのである。

 

『諸の善男子よ心にどう思うか。もし人あって、よくこの良医、すなわち無作三身の如来が、虚妄罪に落ちいるかどうか』答えていうのには『不なり仏様よ』と末法の衆生はご返事を申しあげた。大聖人様のおおせには、『自分もまたかくのごとく無始無終の仏である、無始においては無作三身如来南無妙法蓮華経という仏であり、法華経会座においては上行と垂迹し、末法には日蓮大聖人と再誕されたのである、ただ、方便をもうけたるがゆえに、滅度を現ずるのであり、無始無終の仏が滅度するというも、これ虚妄の失はないのである』そのとき、仏はかさねてこの義をのべようとして、偈をおのべになった。この偈をば自我偈と普通申しあげているのである。

 

御義口伝(御書全集七五九ページ)にいわく

『自とは始なり速成就仏身の身は終りなり始終自身なり』とおおせあるおことば、よくよく心得べきである。

 

『自我得仏来 所経諸劫数。無量百千万 億載阿僧紙 常説法教化 無数億衆生 令入於仏道 爾来無量劫 為度衆生故 方便現涅槃 而実不滅度 常住此説法 我常住於此 以諸神通力 令顚倒衆生 雖近而不見』

 

 自我得仏来のことにつき、御義口伝(御書全集七五六ぺージ)におおせには、

『一句三身の習いの文と云うなり、自とは九界なり我とは仏界なり此の十界は本有無作の三身にして来る仏なりと云えり、自も我も得たる仏来れり十界本有の明文なり、我は法身・仏は報身・来は応身なり此の三身・無始無終の古仏にして自得なり、無上宝聚不求自得之を思う可し』

 

 以上、大聖人様のおおせのごとく、我は法身、仏は報身、来は応身であって、すなわち、この三身は自得である。すなわち三身即一身の大聖人様のご生命は無始無終であらせられる。これを『所経諸劫数 無量百千万 億載阿僧祇』と申しあげるのである。

 

『常説法教化』とは、『常』は大聖人様の常住を意味し、『説法教化』はご活動を意味している。

『無数億衆生 令入於仏道』は、無数の衆生に仏のご活動をあそばされたことを意味しているが、再応、生命論の立場から拝したてまつれば、われわれの過去の生命、未来の生命は無数億の生命に現ずるということである。

『爾来無量劫 為度衆生故 方便現涅槃』とは、永遠の生命でありながら、死を現ずるのは衆生の常である。

 

 しこうして、これは方便であると断じられているのである。人は死なねばけっして若くなって生まれてはこれぬ、ゆえに、死は方便であるというのである。

 

『而実不滅度 常住此説法』とは、大聖人様のご生命は常に実在であって滅度はなく、常住にあらせられ、娑婆世界にあって常に活動なされているのである。

 

『我常住於此 以諸神通力 令顚倒衆生 雖近而不見』とは、大聖人様は娑婆世界に常住にあらせられて、もろもろの神通力をもって近くにおいでになるが、顚倒の衆生すなわち謗法の衆生にはみえないのである。すなわち、大御本尊様は即大聖人様であるが、この大御本尊様を拝しえないものを雖近而不見というのである。

 

『衆見我滅度 広供養舎利 咸皆懐恋慕 而生渇仰心 衆生既信伏 質直意柔輭 一心欲見仏 不自惜身命 時我及衆僧 倶出霊鷲山 我時其衆生 常在此不滅 以方便力故 現有滅不滅』

 

『衆見我滅度』とは、大聖人様滅度の後、末法の衆生『広く舎利(お骨)を供養する』とはすなわち広く大御本尊様に題目を唱えたてまつることである。

 そして、みなみな御本尊に恋慕をいだき、渇仰の心を生じ、人々みなすでに御本尊に心服したてまつり、そして三大秘法の大御本尊に帰して信行具足するを『質直意柔輭』というのである。

 

『一心欲見仏 不自借身命』とは、折伏の根本精神であって、また三大秘法の題目の依文である。

『時我及衆僧』とは三大秘法の本尊の依文であり、『倶出霊鷲山』とは、三大秘法の戒壇の依文である。

 

 また『時我及衆僧 倶出霊鷲山』とは、御義口伝(御書全集七五七ページ)にいわく

『霊山一会儼然未散の文なり、時とは感応末法の時なり我とは釈尊・及とは菩薩・聖衆を衆僧と説かれたり倶とは十界なり霊鷲山とは寂光土なり、時に我も及も衆僧も倶に霊鷲山に出ずるなり秘す可し秘す可し』

 

 また日寛上人様のおおせには、この文を三宝に配しておられる。ここに、その御文を引けば、『時とは即ち末法なり、我は即ち仏宝なり及は即ち法宝なり、衆僧豈僧宝に非ずや、此の如き三宝・末法に出現するが故に時我及・倶出と云うなり』

 

『我時に衆生に語る』とは、大聖人様が題目をお唱えあそばされることであり、『常在此不滅』とは、大聖人様の常住をお示しになり、『方便力をもってのゆえに滅、不滅と説く』とは、『方便力』とは罰と利益であり、『滅不滅』は功徳の滅不滅を現ずと拝読すベきである。

 しこうして、生命観よりすれば、釈迦の仏法においても大聖人様の仏法においても、ともに永遠の生命を説かれているのである。

 

『余国有衆生 恭敬信楽者 我復於彼中 為説無上法 汝等不聞此 但謂我滅度 我見諸衆生 没在於苦海 故不為現身 令其生渇仰 因其心恋慕 乃出為説法 神通力如是 於阿僧祇劫 常在霊鷲山 及余諸住処』

 

『余国に衆生あって』とは娑婆国土以外の仏土の衆生を意味し、また日本国以外の衆生を意味する。

 

 これらの衆生が大聖人様を恭敬信楽するならば、大聖人様は彼らの生命と一体となって、無上の法すなわち南無妙法蓮華経をば彼らのためにお説きになるのである。

 

『汝等不聞此』とは、末法の衆生、この法力、仏力の偉大を信ぜず、また永遠の生命を信じないのを『但謂我滅度』というのである。

 大聖人様が末法の衆生を見るのに、みな苦しみの世界に暮らしている。これが『没在於苦海』である。ゆえに身をあらわさずして渇仰の心を生じさしめ、しこうして、その心が大御本尊を恋慕するのを原因として、御本尊の功力を通じて生活のなかにいろいろとお教えくださるのを『乃出為説法』というのである。

 

『神通力かくのごとし』とは、大御本尊様の功力広大をお説きになり、『於阿僧祇劫 常在霊鷲山 及余諸住処』とは、永遠に御本尊様のなかに大聖人様は常住し、およびわれわれの仏性のなかに常住なさることをいうのである。

 

『衆生見劫尽 大火所焼時 我此土安穏 天人常充満 園林諸堂閣 種種宝荘厳 宝樹多華果 衆生所遊楽 諸天撃天皷 常作衆妓楽 雨曼陀羅華 散仏及大衆 我浄土不毀 而衆見焼尽 憂怖諸苦悩 如是悉充満 是諸罪衆生 以悪業因縁 過阿僧祇劫 不聞三宝名 諸有修功徳 柔和質直者 則皆見我身 在此而説法』

 

御義口伝(御書全集七五七べージ)にいわく

『第十五衆生見劫尽○而衆見焼尽の事 御義口伝に云く本門寿量の一念三千を頌する文なり、大火所焼時とは実義には煩悩の大火なり、我此土安穏とは国土世間なり、衆生所遊楽とは衆生世間なり、宝樹多華果とは五陰世間なり是れ即ち一念三千を分明に説かれたり、又云く上の件の文は十界なり大火とは地獄界なり天鼓とは畜生なり人と天とは人天の二界なり、天と人と常に充満するなり、雨曼陀羅華とは声聞界なり園林とは縁覚界なり菩薩界とは及の一字なり仏界とは散仏なり修羅と餓鬼界とは憂怖諸苦悩如是悉充満の句に摂するなり、此等を是諸罪衆生と説かれたり、然りと雖も此の寿量品の説顕われては、則皆見我身とて一念三千なり、今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る者是なり云云』

 

 御義口伝のおおせの『本門寿量の一念三千を頌する文なり』とは、大御本尊を賛嘆するとの御文である。いま御義口伝をわかりやすく書き改めてみる。

 

三世間

我此土安穏……国土世間

衆生所遊楽……衆生世間

宝樹多華果……五陰世間

 

十界

散仏及大衆……仏、菩薩(及)

園林諸堂閣……縁覚

雨曼陀羅華……声聞

天人常充満……天、人

憂怖諸苦悩如是悉充満……修羅、餓鬼

諸天撃天皷……畜生

大火所焼時……地獄

 

 次に『是諸罪衆生』より『在此而説法』の御文は、日寛上人様の御文によって領解すべきである。日寛上人様の当流行事抄唱題編にのたまわく、

 

『然りと雖も謗法罪の衆生は悪業の因縁を以て無量阿僧祇劫を過ぐれども此の如き三宝の名を聞かず、故に経に説いて是の諸の罪の衆生は三宝の名を聞かずと云うなり、唯・信行具足の輩のみ有りて則ち皆此くの如き三宝を見ることを得、故に経に云く「諸有の功徳を修し柔和質直なる者は則ち皆我が身此に在りて法を説くと見る」云云、諸有修功徳は即ち是れ行なり柔和質直・豈信心に非ずや、即皆見我身とは我が身即ち是れ仏宝なり在此而説法とは法即所説・豈法宝に非ずや説即能説・寧ろ僧宝に非ずや、然れば則ち経文明白なり仰いで之を信ずべきのみ。

 

問う其の文有りと雖も未だ其の体を見ず、正しく是れ末法出現の三宝如何、

 

答う西隣・聖を知らず近しと雖も而も見ず云云、久遠元初の仏宝・豈異人ならんや即ち是れ蓮祖大聖人なり、五百塵点の当初已来・毎自作是念・以何令衆生・得入無上道・速成就仏身、此の大悲願力を以て則ち末法に出現し自ら身命を惜しまず此の大法を授与す、此の如き大慈悲心・豈末法の仏宝に非ずや、久遠元初の法宝とは即ち是れ本門の大本尊是れなり、釈尊の因行果徳の二法・妙法蓮華経の五字に具足す我等・此の五字を受持すれば自然に彼の因果の功徳を譲り与う於我滅度後・応受持斯経・是人於仏道・決定無有疑云云、此の如き大恩・香城に骨を摧き雪嶺身を投ぐとも寧ろ之を報ずるを得んや、久遠元初の僧宝とは即ち是れ開山上人なり、仏恩甚深にして法恩も無量なり、然りと雖も若し之れを伝えずんば則ち末代今時の我等衆生曷ぞ此の大法を信受することを得んや、豈開山上人の結要伝授の功に非ずや・然れば則ち末法出現の三宝は其の体最も明らかなり、宜しく之れを敬信して仏種を植ゆべし云云』

 

『或時為此衆 説仏寿無量 久乃見仏者 為説仏難値 我智力如是 慧光照無量 寿命無数劫 久修業所得 汝等有智者 勿於此生疑 当断令永尽 仏語実不虚 如医善方便 為治狂子故 実在而言死 無能説虚妄』

 

 末法において、末法の大御本尊を信ずる衆生のために、大聖人様の寿命および功徳は無量なりとお説きになる。

久しく仏を見奉る者とは、すなわち大御本尊様を信奉した者であって、かかる人々は大御本尊にあいがたきを痛感するのである。これを『為説仏難値』というのである。大聖人様の智慧力は甚深無量であり、その生命は永遠であるということを『我智力如是 慧光照無量』とは説かれているのである。

 

『久修業所得』とは久遠元初において我が身地水火風空なりと知しめし、南無妙法蓮華経のご境涯を証得なされたことを説かれているのであり、『汝等有智者 勿於此生疑 当断令永尽 仏語実不虚』とは、『末法の衆生智慧なくとも信あるならば、大御本尊様にたいして、うたがいを生じてはならぬ、長くうたがいを断じなければならぬ、大聖人様のおことばにはいつわりはないというのである。

 

『如医善方便』以下は、末法謗法の衆生は、みな、気違いであるので、寿量品に説ける良医が子どもたちを方便をもって救ったごとく、大聖人様は大御本尊様をおさずけくだされて、われら衆生を救わんこと、けっしていつわりないことを説かれるのである。

 

『我亦為世父 救諸苦患者 為凡夫?倒 実在而言滅 以常見我故 而生憍恣心 放逸著五欲 堕於悪道中 我常知衆生 行道不行道 随応所可度 為説種種法 毎自作是念 以何令衆生 得入無上道 速成就仏身』

 

御義口伝(御書全集七五七ベージ)に、『我亦為世父』の文を釈して、次のごとくおおせである。

『我とは釈尊一切衆生の父なり主師親に於て仏に約し経に約す、仏に約すとは迹門の仏の三徳は今此三界の文是なり、本門の仏の主・師・親の三徳は主の徳は我此土安穏の文なり師の徳は常説法教化の文なり親の徳は此の我亦為世父の文是なり、妙楽大師は寿量品の文を知らざる者は不知恩の畜生と釈し給えり・経に約すれば、諸経中王は主の徳なり能救一切衆生は師の徳なり又如大梵天王一切衆生之父の文は父の徳なり、今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る者は一切衆生の父なり無間地獄の苦を救う故なり云云、涅槃経に云く「一切衆生の異の苦を受くるは悉く是れ如来一人の苦」と云云、日蓮が云く一切衆生の異の苦を受くるは悉く是れ日蓮一人の苦なるべし』

 

 以上により主師親の三徳を自我偈において拝したてまつれば、

 主の徳……我此土安穏

 師の徳……常説法教化

 親の徳……我亦為世父

 

 以上のごとく主師親の三徳を拝すべきである。ゆえに大聖人様は主師親の三徳を具備せられ、われわれのもろもろの苦患をお救いくださるのである。

 

『為凡夫顚倒』とは末法不信の謗法をいい、『実在而言滅』とは大聖人様の三世常恒を信じない者である。『以常見我故 而生憍恣心』とは、大聖人様を見たらこれを信ぜずして憍恣の心を起こし大御本尊をあなずることで、

 

『放逸著五欲』とは謗法不信のやからの行動をいう。ゆえに、これら謗法不信のやからは悪道のなかにおちいって、永遠の苦しみを受けるのである。『我常知衆生』より『為説種種法』までについては、

御義口伝(御書全集七五八ページ)にいわく、

『十界の衆生の事を説くなり行道は四聖・不行道は六道なり、又云く行道は修羅人天・不行道は三悪道なり、所詮末法に入っては法華の行者は行道なり謗法の者は不行道なり、道とは法華経なり、天台云く「仏道とは別して今の経を指す」と、今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉るは行道なり唱えざるは不行道なり云云』

 

 以上のごとく、大聖人様は末法の衆生が大聖人様の真の信仰をするか、せぬかをお知りあそばしているのである。

 

 されば、どうかして、これを救わんとしている御意を随応所可度というのであり、為説種種法とは信謗ともに救われるという御文である。

 

 毎自作是念とは、大聖人様久遠元初のその昔より、つねに、われら末法の衆生を救われんと念ぜられた御文である。

 

 このことすこぶる重大であるがゆえに、三徳の御文を日寛上人様お説きあそばされた御文によってよくよく思惟せらるべきである。

 

 かさねてこれを知らんと欲せば御義口伝(御書全集七五八ページ)につぎのごとく、おおせられている。

『毎とは三世なり自とは別しては釈尊惣じては十界なり、是念とは無作本有の南無妙法蓮華経の一念なり、作とは此の作は有作の作に非ず無作本有の作なり云云、広く十界本有に約して云わば自とは万法己己の当体なり、是念とは地獄の呵責の音・其の外一切衆生の念念・皆是れ自受用報身の初なり是を念とは云うなり、今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る念は大慈悲の念なり云云』

 

『以何令衆生』とは末法の衆生をさし、『得入無上道』とは大御本尊を信ずる道へ入れしめんとの御文であり、『速成就仏身』とは、これすなわち即身成仏の御義である。

 

 すなわち大聖人様は久遠元初の無作三身如来のご境涯以来、われわれ末法の衆生を愛しあそばされて、いかにしてか、久遠元初の御仏の眷属であることを思いださしめんとしてつねに念じあそばしていられたのである。

 

 時いたって、末法ご出現にあたり、三大秘法の大御本尊を授与あそばされて、久遠元初の無作三身如来の眷属たることを思いださしめんとご努力くだされたことは、そのご恩、絶対にわすれては、あいならぬ。

 

 このこと、失心、不失心のことについての御義口伝において深く思索せらるべきであろう。

 

 (昭和二十七年二月二十五日)