折伏論
仏教上、仏と称せらるる方は、かず限りなくおられるが、その、かず限りない仏は『時』と『所』と『衆生』とに応じて、一人一人ご出現になることになっている。けっして一度に二人の仏は出現にならないのである。
釈迦はいまから三千年前にインドにご出現になって、インド、中国、朝鮮、日本と二千年の間、利益を、これらの国々の衆生にお与えになったのである。
いまから三千年前と千年前の二千年間の衆生は、釈迦という仏でなければ利益のうけようのない衆生で、釈迦はこの衆生に応じて出現せられたのである。
三千塵点劫というときに、また大通智勝仏という一人の仏がおられた。この仏は釈迦と前世にご父子の縁を結んだ方であるが、かりに、この仏が釈迦のかわりにインドに出現したと考える。
仏である以上、どちらでもよいと考えるであろうが、それはまことにまちがった考えである。大通智勝仏の持っている『法』は、釈迦の仏法のなかの衆生にはない。役にたたないのである。
だから大通智勝仏では、インド、中国、朝鮮、日本の人々は、なんの利益もうけることができないのである。
衆生の機根が大通智勝仏に合致しないし、大通智勝仏の『法』はいまから一千年以前の日本、朝鮮、中国、インドの人々に応じていないのである。だから、大通智勝仏を、かりに衆生が仏様だからといっておがんでみても、なんの利益もでない。
大通智勝仏は三千塵点劫の衆生には大利益があったのだが、三千年前のインドでは、紙クズみたいなボロ仏である。もしも、そのとき、釈迦仏が、いっしょに出現したと考えると、こんどは釈迦が衆生を救うじゃまになってくる。そして釈迦をおがんで大通智勝仏をおがむ者を折伏した者には大利益があり、これに反対したものには大罰があるのである。
このように、番々の成道といって、仏も衆生の機根と時とに応じてご出現になるので、仏にも当番制のようなものがある。
また、どの仏も衆生を利益するのが目的だから、『ご出現』にあたって、そのときの衆生を利益するのに力ある『法』をもっておいでになる。その法は仏によってちがうもので、仏の法であるから、どれでも、どの時代でも、法力、仏力が顕現するとはかぎらないのである。
たとえば、七つの子どもの着物を四十歳の人に着せようとしてもだめであるように、四十歳の人のために仕立てた着物は、七歳の子どもに着せられないのと同じである。
だから大通智勝仏の法のときに、釈迦仏があらわれて、釈迦仏の法を説いても、時の衆生にはなんの益にもたたないのである。
以上の例でわかるように、今日末法のときは釈迦仏のときではないのである。釈迦の法はもう死んだ法で、なんの利益もないのである。
このゆえに釈迦の法である天台宗とか、念仏宗とかのお寺でおがんでいるのは、仏法の定理を知らず去年の暦をみている徒輩で、バカというよりほかには言いようがない。
さて末法の仏はだれであるかということについては、釈迦の最高の仏典であり、かつ末法の予言書である法華経に一度たちもどらなくてはならない。
この法華経勧持品第十三の二十行の偈に、釈迦の仏法の利益が消えうせたとき、末法出現の仏の相貌が厳と予言せられている。
この予言書を根幹として、また、ところどころにある予言を傍として、日蓮大聖人の御遺文を拝したてまつるに、末法の仏は日蓮大聖人以外には絶対に求められないのである。
されば、釈迦の仏法は、法華経二十八品であり、日蓮大聖人の仏法は『南無妙法蓮華経』の七文字の法華経であらせられる。
かくのごとく日蓮大聖人は『南無妙法蓮華経』を仏の法として、末法に御仏として、末法の衆生を救わん大目的にてご出現あらせられたのである。
されば、末法の衆生は、大聖人によって救われなければならないし、ご本仏大聖人以外によっては救われようがないのである。
釈迦も、達磨も、阿弥陀仏も、弘法も、観音も、みな釈迦仏に縁をひいているから、今日ではなんの役にもたたない。
役にたたないだけならよいが、前述のように末法の御本仏の化導をさまたげるから、これらを信仰する者はみな不幸となるのである。
このことについて、大聖人が開目抄(御書全集二〇〇ぺージ)に御おおせあるには、
『世すでに末代に入って二百余年・辺土に生をうけ其の上下賤・其の上貧道の身なり、輪廻六趣の間・人天の大王と生れて万民をなびかす事・大風の小木の枝を吹くがごとくせし時も仏にならず、大小乗経の外凡・内凡の大菩薩と修しあがり一劫・二劫・無量劫を経て菩薩の行を立てすでに不退に入りぬベかりし時も・強盛の悪縁におとされて仏にもならず、しらず大通結縁の第三類の在世をもれたるか久遠五百の退転して今に来れるか、法華経を行ぜし程に世間の悪縁・王難・外道の難・小乗経の難なんどは忍びし程に権大乗・実大乗経を極めたるやうなる道綽・善導・法然等がごとくなる悪魔の身に入りたる者・法華経をつよくほめあげ機をあながちに下し理深解微と立て未有一人得者・千中無一等と・すかししものに無量生が間・恒河沙の度すかされて権経に堕ちぬ権経より小乗経に堕ちぬ外道・外典に堕ちぬ結句は悪道に堕ちけりと深く此れをしれり、日本国に此れをしれる者は但日蓮一人なり』
『此れをしれる者は但日蓮一人なり』との御おおせは、時と機に合わぬ仏法は人を不幸にするとのおことばである。末法は『南無妙法蓮華経』という仏法を受持しない限り、みな人々が不幸になるのだとの御おおせなのである。
世のなかを平和にし人々を幸福にするには、邪宗教を根絶せよと、七百年以前に大声叱呼なされた御仏があらせられるのに、これを用いないで、ついに日本はかかる不幸の国となり、東洋いっさいの民衆は仏恩をこうむることができずに不幸へと沈みゆくのである。
以上のように、釈迦に類した仏法は、人をみな不幸にする宗教であるとのべたが、また同じ『南無妙法蓮華経』でも、大聖人の真実のみ教えに直結していなければ、これをみな、ニセモノという以外ない。
このニセモノはまた人々を不幸にすることおびただしいのである。
身延の日蓮宗、中山の日蓮宗、仏立講、立正佼成会、霊友会等々かぞえきれないほどのニセモノがあって、盛んに人々を不幸へ不幸へとかりたてているのである。宗教にくらい愚人は、なにも知らずに地獄の道へ『ありがたや、ありがたや』とはいっていくのは、見るにしのびないのである。
しからば、真実の日蓮宗と、ニセモノとはどこで見分けるのだ。どこに標準をおくのかというなら、大聖人のご遺言(身延相承書一六〇〇ぺージ)を拝見しなくてはならない。
『日蓮一期の弘法、白蓮阿闍梨日興に之を付嘱す、本門弘通の大導師たるベきなり、国主此の法を立てらるれば富士山に本門寺の戒壇を建立せらるべきなり、時を待つべきのみ、事の戒法と云うは是なり、就中我が門弟等此の状を守るべきなり。
弘安五年壬午九月日日蓮在御判
血脈の次第 日蓮日興』
このように、日蓮大聖人の仏法は日興上人にご相伝になり、日興上人は大聖人滅後七年にして延山をお去りになって、富士郡上野村の大石ケ原をひらいて大石寺をたてられたことは、歴史の厳然たる事実である。
その後、六百数十年、『時を待つべきのみ』とのご遺命をつつしみ、代々の御法主上人は清浄に法を守り、かつ正しく相伝して、ここにいたったのである。
この大石寺には、日蓮大聖人出世のご本懐たる一閻浮提総与の大曼茶羅が相伝せられている。この大曼茶羅こそ末法の衆生の不幸を救う大威力のあるもので、この大曼茶羅を本としてご出現した御本尊こそ、人に強き生命力を与え、不幸を根本から救うのである。
すなわち家なき者に家を、子なき者に子を、親なき者に親を、財なき者に財を、病の者には良医と健康とを与える絶対の功徳の根源である。
邪宗の本尊は不幸の根源となり、この正宗の大御本尊は、いっさいの幸福の根源である。
さて、われわれが、かくのごとく仏法の正邪を判断してくると、自分だけ幸福でよいとは思えない。世のなかに、不幸の人は山ほどいるのであるから、この不幸の人を救わねばならぬと考えだすのは理の当然である。
なおそのうえに、この真実の、しかも最高の末法の仏教たる三大秘法の南無妙法蓮華経をおさずけになった大聖人のご真意は、この世界じゅうの者を一人もらさず幸福にしてやりたいという仏の大慈悲よりである。
であるがゆえに、その信者となったわれわれは、また大聖人の決心を心として、この世を不幸にする邪宗をほろぼし、この尊い純粋無垢な大聖人の教えそのままな、功徳ある『南無妙法蓮華経』を一人にでも知らせたいと心がけなくてはならないのである。
この理にしたがって、世のため人のために富士大石寺にいます『大御本尊』を一人にでも多くさずけたいと努力するのが、すなわち折伏というのである。
折伏は仏家の当然の行為で、信心する者の当然の義務である。折伏しないものは、信心しているとはいいえないのである。なぜかならば、仏のお心にそわないし、かつは自分自身、真の幸福を感得しえないからである。
また一面、折伏する者の真の大利益とはいかなるものであろうか。前述したように、仏は時と衆生の機根とに応じて、その衆生を救うべき『大法』をもって出現される。これは『四義具足』という仏法の方程式である。
日蓮大聖人の四義とは時、機、応、法の四つである。
『時』とは末法であり今である。
『機』とは善人がおらなくなって、縁によって悪いことばかりする人々をさすのであり、修養でも哲学でもみちびけない時代の民衆で、今日の民衆である。
『応』とは、この民衆に応じてご出現の仏のことで、すなわち日蓮大聖人である。
『法』とは、日蓮大聖人がいかにして、この悪い時代の民衆を救うかと思惟せられて、この『大法』によって、かならず百発百中、絶対的に救えるとなされた法である。
この方法こそ偉大な世界の創造ではないか。原子分解の学問も、あらゆる難病を直す方法よりも、世界の不幸を根本的に救う絶対的方法の創造こそ偉大そのものでないか。知らないからとて、真理は真理である。
これを『知らず、おどろかず、悟らず』の民衆が一国に充満しているから、『日蓮は泣かねども涙ひまなし』となげかれたのであり、さればこそ吾人は折伏を強調して仏に仕えんとするのである。
さて、この大法とはいかん。
弘安二年十月十二日に大聖人が、一切衆生を救う本尊として一閻浮提総与の本尊をくだされたのである。この本尊を拝し、受持し、題目を唱うるならば、かならず幸福の道へと突進するのである。この大御本尊こそ大聖人一大事の秘法、すなわち民衆の不幸を救う最大根幹であることは種々立証されるところであり、かつ大石寺においては種々のご相伝あるとうけたまわるが、いま一文を引いて、あきらかに大聖人出世のご本懐の一分を示そう。
聖人御難事御書(御書全集一一八九ぺージ)にいわく、
『去ぬる建長五年太歳癸丑四月二十八日に安房の国長狭郡の内東条の郷・今は郡なり、天照太神の御くりや右大将家の立て始め給いし日本第二のみくりや今は日本第一なり、此の郡の内清澄寺と申す寺の諸仏坊の持仏堂の南面にして牛の時に此の法門申しはじめて今に二十七年・弘安二年太歳己卯なり、仏は四十余年・天台大師は三十余年・伝教大師は二十余年に出世の本懐を遂げ給う、其中の大難申す計りなし先先に申すがごとし、余は二十七年なり其の間の大難は各各かつしろしめせり』
この御書に御おおせのごとく、余は二十七年なりとは、弘安二年十月十二日の総与の御本尊の出現をさしての御おおせであって、このおことばによって本仏出世のご本懐はこの御本尊の出現にある。世の不幸を救う一大秘法はこの本尊にありと信じなくてはならぬ。
くりかえしていうが、かかる末法の本仏が一生をかけた尊い本尊であるから、この御本尊の威光はじつに偉大である。ゆえにこの本尊を信じ拝することによって、不幸を去って幸福の境涯へいく、これを大功徳というのである。
ゆえに折伏の行をいとなむ者は、一つには大聖人の志をつぐことになり、一つには、わが身に御本尊の功徳を満足するのである。
いま一応これを説くならば、折伏の行をなす者は、仏の使いとしてご本仏からつかわされた者であり、ご本仏の行を、その代理として行ずる者であるから、その人の日常はご本仏に感応して偉大な生命力を涌出して、いかなる困難にも打ち勝ち、その顔は生き生きとし、からだは元気にみち、そのうえ、この折伏の行はご本仏のご本意であるから、冥々の加護があらたかで、人智をもってはかることのできない功徳をうけるのである。すなわち、ご本仏の代理であるから、諸天は加護するし、魔および鬼神は近よれないのである。
ただ最高の日蓮正宗の御本尊をうけただけでも、初信の功徳と申して、偉大なご利益をうける。多くのものは、これでびっくりするのである。これは御本尊の法力あらたかなることを、現証としてお示しになるだけであるが、普通の信者はこれで満足し、初信の功徳におぼれて、ただ御本尊をおがんで『利益をください』『お守りください』と虫のよいお願いをするのである。
旧信者はみなこの弊害におちいり、ついに『墓檀家』となりおわって、偉大なる大御本尊の功徳を知らずして終わるのである。哀れなるかな、宝の山にはいって小分をえて、たれりとする愚痴の衆生である。真の功徳は、折伏を知らぬ者にはありえない。
されば日蓮大聖人の御本尊の偉大なご功徳を知るには、どうしても、ご本仏の所作であり、かつは、ご出世の大目的たる末法の衆生に大御本尊をさずけ与えるという尊い行にそうて折伏を行じなくてはならない。
この折伏の功徳について、前にものべたのであるが、いま一応言うならば、凡夫が大聖人のお使いとなるのであるから、吾人は凡夫だが、その生命には大聖人の生命が脈々とうってきて、いいしれない偉大な生命力が涌出するとともに、生命の偉大化は言うことのできない歓喜が身内にみなぎり、生きる喜びにうちふるえるのである。
しかして、個人の生活内容は豊かになり、身はつねに浄土に住んで凡身を愛し仏天をあおいで、心は恭順に、魔と戦っては金剛力士のごとく、そして、つねにおだやかに、つねに強く、仏天の加護は日常の生活にあふれ、『あな楽しや、あな楽しや』と、日々を感謝に生きうるのである。
同信とは、ともにはげんで心を鍛え、国を愛すること清麻呂、正成にまさり、世界を愛すること仏と等しき境涯をうるの道は、ただ折伏以外の方法より何物もないのである。
これこそ幸福への最高手段であり、世界平和への最短距離であり、一国隆昌の一大秘訣である。
ゆえに私は折伏行こそ仏のご修行中、最高なるものであると説くのである。折伏なき信仰はコソどろ的信仰である。
ここに折伏にあたっての心がけを論ずるなら、折伏行は人類幸福のためであり、衆生済度の問題であるから、仏の境涯と一致するのである。されば折伏をなす者は慈悲の境涯にあることを忘れてはいけない。けっして宗門論争でもなく、宗門の拡張のためでもない。ご本仏大聖人の慈悲の行を行ずるのであり、仏にかわって仏の事を行ずるのであることを忘れてはならない。
また折伏せんとする相手は無知な者で、邪義邪智な者で、現在、大法を奉ずる者と同資格でないのであるから、かれらと同格の位置について諍論すベきではない。静かに説いて聞かせ、そのうえ反対するなら、師子王の力をもって屈服せしめなくてはならない。
されば、たとえ折伏のためとはいえ、議論のための議論や、感情にまかせてケンカなどをすることは、大聖人をけがす者であることを胸に銘記すべきである。われら高い位の者が、かれら低い位の者を、よくみちびき、よく説き、わが子と同じ愛情で育てることを、つねに考えて折伏しなくてはならない。
われわれがいかに位が高いかということについて、大聖人の四信五品抄(御書全集三四二ぺージ)のおおせには、
『問う汝が弟子一分の解無くして但一口に南無妙法蓮華経と称する其の位如何、答う此の人は但四味三教の極位並びに爾前の円人に超過するのみに非ず将た又真言等の諸宗の元祖・畏・厳・恩・蔵・宣・摩・導等に勝出すること百千万億倍なり、請う国中の諸人我が末弟等を軽ずる事勿れ進んで過去を尋ぬれば八十万億劫に供養せし大菩薩なり豈熈連一恒の者に非ずや退いて未来を論ずれば八十年の布施に超過して五十の功徳を備う可し天子の繦褓に纏れ大竜の始めて生ずるが如し蔑如すること勿れ蔑如すること勿れ』と。
以上のように大聖人より位の高いものであると、おおせいただいたわれわれは、大御本尊をおがんで、『ご利益ください』『お守りください』『この願いをかなわせたまえ』と、こじき信者になってはならぬ。
なにをもって、かかる高貴の位をたまわるか。過去には地涌の菩薩として上行菩薩と同座し、末法には本仏の子として折伏行にいそしむがためである。かかる高位のわれわれは無信、邪信、劣信のものと同格の境地にならぬよう心がけねばならぬ。
彼の無信の者、邪信の者にたいして、さげすんだりすることなく、慈悲の境涯に絶対にたたなくてはならない。
しかし、この末法には、邪信、邪義の者が充満しているのであるから、なかなか真実の仏法には伏しない。大聖人は『怨多くして信じ難し』と何百回もおおせである。かかる者にたいしては『慈なくして詐り親しむは彼が怨なり云云、彼が為に悪を除くはこれ彼が親なり』(開目抄二三六ページ)とのご聖訓にもとづき、大声叱呼、かれらの迷盲を破るのに勇気がなくてはならない。
日蓮大聖人の弟子は折伏の座については、けっして憶してはならない。大法を信ずる者には大利益あり、またこれを謗ずる者には法力厳然として仏罰があるのであるから、なんらおそるることなく、この大法を信せず、かつ誹謗する者には大罰、小罰種々あることを説き聞かせ、罰と利益をもって実証として、大法の威力を示さなくてはならぬ。
大法の威力に絶対の確信がなければ、この利益と罰とを強調することはできない。このゆえに、この大折伏を行ずる者は、強い強い信仰にもとづかなくてはならない。
(昭和二十六年六月十日)





