信念とはなんぞや?

 

 竹内景助氏は、三鷹事件の主謀者として、共産党の花形として世間をにぎわした。

 

 氏が第二審において死刑宣告をうけるや、一瞬、そう白な顔となり、首うなだれたと新聞紙は報道している。

 同志九名は無罪で、自分一人が死刑の宣告をうけた。彼の心中は悲しむベきものがあるであろうが、しかし、主義に殉じ、かつ自己の行動に大確信があるなら、そんなにおどろくにあたらないはずである。悲しむべきではなかろう。むしろ、よろこぶべきではないか。

 

 肉体が一個の『物』(唯物論・共産党の捉え方)であるという、彼らの考え方からすれば、なおさらではないか。

 

 しかるに、かれには、行動に絶対の確信がなかったのである。その理由は、新聞紙上伝うる、かれの手記の一部をのべると、

 

『刑務所で弁護団と合同面会をやっても、党員九人だけでコソコソ打ち合わせて、私はいつも仲間はずれにされた。共産党員とは、ああいうものです。何人よりも党に理解をもち、協力してきたのに、いま、一片の同志愛も示さないなら、もうなにをかいわんやです。

一咋年七月、当時は私の全収入がたった八千二百円。これで一家七人が衣・食・住をみたすので、私の世帯は難行苦行の歴史でした。このような人間苦のなかに"首切り"をなんとしても撤回しようと図ったのは、やむをえないことでした。五人の子どもをかかえて苦しい妻は、私の検挙された後、共産党にはいり、盲目的なうわっ調子になっていた。昨年の春まで府中刑務所で面会のたびごとに妻をたしなめましたが、その当時は、まったく焼け石に水、判決後、おだて半分の手紙もこず、党員も寄りつかなくなって目がさめ、私のところへ泣きごとをいってよこす始末で、困ったものです』

 

一月二十五日付、谷中裁判長あての手記のなかから、

『私は、まじめな労働者が、腹黒い投機者によって、ふたたび私のような愚挙をせぬよう、ざんげ者として失敗者としてさけぶのです。私の失敗のわだちを、人々や子どもたちにふませたくないのです。裁判長さん、私は、じつにおろかでした。いままで、コミュニストこそ人間社会における最高の愛や勇気や徳操を持った人たちだと思ってきました。ところが、現実、私の身近にみられる党員の、あやまって獄につながれた生態の一半を知り、私は目がさめたのです。当時、組合扇動者、嘉屋武被告が、「竹内を極刑にしろ」と釈放後、放言していると聞きました。かれが未決監でどんな態度をとったかは私をして刮目させます。未決監の懲役人を使嗾(しそう)して、私のところへくる手紙の内容、本の差し入れ、食物まで、いちいち、うたがって報告させたこともあります。そんな冷酷、猜疑、陰険、こうかつな人間たちに、あやまって指導権力を渡したら、それこそ、じつに、かれらのいうファシズムであり、警察国家であり、熱い人間の涙を解しえない、権力主義的人間ロボットへの道だと考え、私はそんなイズムと戦わねばならんと思ったわけです。

 正しい労働組合の発展が、かかるやからに翻弄されて、右往左往していることは、じつにおろかなことである。挑戦者はだれでしょう。私の子、また多くの働く人たちは、断じて私の愚を繰り返してはならんと考えます』

 

 同志をうらみ、妻の同志活動をなげき、かつ自分をいたるところで弁護している。

 かれは共産党の活動に、浮薄な確信で活動してきたにちがいない。さればこそ、死刑の宣告を聞いて、青くなるはずである。

 

 くらベるも、もったいないことであるが、日蓮大聖人が由比ガ浜で、死に直面したときのあのおすがたは、崇高とも、極美とも、偉大とも申しあぐべきである。

 

 絶対の大確信でいらせられる。鶴ガ岡八幡にむかい、『なにゆえに法華経の行者を守護せざるか』と諸神のおこたりをおしかりになり、また、『わが身を法華経にたてまつるは、フンをいれた袋と、黄金の袋と取りかえるものである』とおよろこびあり、『わが生命を法華経にたてまつった、功徳を、弟子檀那にわけ与えるぞ』と、大慈悲をお示しになっておられる。

 

 このように、行動の確信に天地の差があるのは、どこより生じたものであろうか。

 

 一人は凡夫、一人はご本仏の差ではあるが、永遠の生命を自覚し、絶対の慈悲に立ち、『民衆を救う法これ以外になく、万代にわたって民衆を救う者われ一人である』との大確信によるものである。

 

 すなわち、持つところの法の、偉大と卑小によるものである。

 

 ゆえに、その後も、大聖人のお跡をしのんで法難にあったもの二百数十人と聞くが、みなみな法悦の境涯において難におもむいているのである。

 

 大白蓮華に日亨御上人がご執筆くだすった、三勇士の死なぞは、その典型的なものである。三人まず首を切られるや、女子等が大声あげて泣かれた。役人が、『なにゆえに泣くか』と聞かれたのにたいし、『女とあなどって後に殺すとは、なにごとである』と、文盲の女子が少しも死をおそれなかったとうけたまわる。

 

 死は一時、生は永遠である。創価学会の同志も、いまや広宣流布の大旗をかかげて立ったのである。

いまや広宣流布の秋である。勇まなくてはならない。しかし自分の行動に絶対の確信のないものは、この大行進には、じゃまである。この絶対の確信はどこから生ずるか、御本尊を信じきることにある。

御本尊は大聖人の御命であり、われわれの生命であることを深く掘りさげて知るときに、この確信が出るのである。

 

 大御本尊と一致の境涯の大根幹は、強力な信心であって、この信心によって、毎日の行ははげまされてくるのである。           

 

 毎日の題目の功力によって解が生じてくるので、解とは学問の理解である。学問することによって、すなわち大聖人の御書を精読することによって、毎日、行の助けをかりて信仰の根本義が理解され、理解することによって、信心が、また、ますます深くなり、信心が深まることによって行をますますはげむのである。

 

 信・行・学は、われわれ信者に欠くべからざる条件であって、折伏は広宣流布を誓った信者の必須条件である。

 われわれがひとたび御本尊を持つや、過去遠々劫の当初に、仏勅をこうむったことを思い出さねばならない。

 

『末法に生まれて広宣流布すべし』と仏勅をこうむっているのである。

 この仏勅を果たさんがために、われわれは出世したのである。

 

 仏の一大事の因縁は、二十八品の法華経を説かんがための出現であり、大聖人ご出現の一大事の因縁は、『南無妙法蓮華経』を私どもにくださって、われわれ大衆を救わんがためである。

 

われわれの出世の因縁は、広宣流布の大旗をかかげんがためである。

(昭和二十六年五月三日)