寿量品について
寿量品において
『譬如良医』とは、久遠元初の自受用身、無作三身の如来、また、南無妙法蓮華経仏とも申しあげる。
『是時其父 還来帰家』のその父は、日蓮大聖人であらせられる。
『遣使還告』は富士大石寺にいます法主上人であらせられる。
以上のごとく心得て、経文は拝すベきで、譬如良医をインドの釈迦と読んではならぬ。この良医が『智慧聡達』であって『明練方薬』-よく衆病を直すとある方薬とは、三大秘法の大御本尊様であって、『飲佗毒薬』の佗の毒薬という佗は、三大秘法の本尊にあらざる佗であって、毒薬とは邪宗教である。良医の作った薬以外は、みな毒薬であるから、佗といったのであって、三大秘法の御本尊以外は、ことごとく邪宗教である。佗(他)の字に心を留められたい。
『色香美味』とは、三大秘法と拝すべきで、戒定慧と読むべきでない。
また、学会で、この信仰によれば生命力が強くなる、ということについての文証は『更賜寿命』という文である。その前の文に『我等愚癡 誤服毒薬 願見救療』すなわち、われら愚癡にして誤って毒薬を服せり、願わくば救療を給えと。当世の体を見るのに、みな『我等愚癡』のことばに当たり、誤って毒薬を飲むというが、みな邪教に迷って、その生命力および福運が衰減して、病み疲れているからである。そこで、願わくば救療を給えと、言わざるをえない。
ここに、宇宙唯一の御本尊あり、弱った生命に、衰減した福運に、うまくいかない事業に、さらに寿命を与えようとおおせになっている。なぜ、すみやかに、末法の御本仏、出世のご本懐たる三大秘法の本尊を信じないのだ。まことに『我等愚癡』というが、愚癡なものである。
また、御本尊を守護する側も、すみやかに謗法を去り、勇気を盛りおこし、たがいに怨嫉することなく、一団となって、広宣流布の大道へ進もうではないか。
(昭和二十八年二月十五日)
