あとがき
創価学会は、今や、世紀の正本堂建立の御供養を、見事に達成した。誰人も想像し得なかったこの偉業は、池田会長によって成し遂げられたのである。参加し得た学会員の歓喜と躍動はいうまでもない。正に広宣流布の機熟し、一時代を画したといえよう。
今、この講演集の発刊に際して、恩師戸田城聖先生の広宣流布、王仏冥合への確信の偉大さ、それが、池田会長の手によって、一つも、もれなく確実に実現されてゆく偉大さに感動せずにはいられないのである。
「戸田先生は、広宣流布への一切の原理を教えられ、その基盤を作って下さった。私はそれを応用し、展開する、実践の会長である」
池田会長は、よくこう言われる。深き師弟の御境涯は、われわれ凡愚の知るところではないが、唯々不思議を感ずるばかりである。
戸田先生の講演は、そのすべてが、仏法の大原理であり、一言一句が、人生の永遠の指針である。数々の講演の中に、万人を納得せしめる、仏法原理、師弟論、組織論、指導者論、民族論、折伏論が、極く平明な、しかも簡潔な言葉で語られている。
現代思想の貧困は、その内容の低級さを難解な語句と、ひねくれた表現でカバーされてきた。そこに現代人の錯覚が生じ、難解な哲学用語と表現がなければ、高度の思想と考えない悪弊をもたらしている。恐るべき誤りといわねばなるまい。
「教弥よ実なれば位弥下れり」とのごとく、真実最高の教えであるならば、万人が納得し得る形で説かれなければならない。だが、この高遠な思想を、誰にでも納得できる平易な言葉で表現することは、難事中の難事である。古今の思想家や哲人が、全くよく成し得なかったところである。
戸田先生の講演こそ、それを見事に表現されたものであり、万人に与えられた珠玉ともいうべきであろう。直接、戸田先生の声欬に接し得た人も、次第に数は少なくなるであろう。だが、この講演集を一読する時、そこに烈々たる戸田先生の大精神にふれ、脈々たる学会精神が、わが生命に躍進しゆくことを感ずるであろう。それは、未来永劫にわたって、学会に育つ、これからの指導者が、必ず一度は通るべき道程となるであろうことを確信して止まないものである。
昭和十六年から二十五年まで、会長就任以前の講演は、当時を知る唯一の文献でもあるといえる。
昭和二十六年から、三十三年に至る七年間は、講演そのものが、時代を創り、創価学会発展の原動力となった歴史でもある。同時に将来、広布達成に至るまでに遭遇するであろうあらゆる場面の縮図が、そこに示されているといっても過言ではない。
本書を通して、この中に流れる戸田先生の御遺志と、今日それを実践される池田会長の深い師弟の道を、たとえ万分の一でも、お互いに感じとり、わが身に実践してゆきたいと、心から願うものである。
創価学会副理事長 秋 谷 城 永
私見:秋谷城永さん、あなたは、以下の話を知ってますか?
渡部昇一「 東京裁判とマッカーサー証言」「安倍総理はリビジョニストか」
https://youtu.be/jlEsw6fZD0U?s
【拡散】田原総一郎も黙って話を聞く、西尾幹二先生の言葉【全日本人と全世界が聞くべき話】
https://www.youtube.com/watch?v=U6eOwKU0lIs
1994年10月【西尾幹二先生】金美齢さん、大島渚さんらの発言。
https://youtu.be/I1SbfG6zolU?si=tAwrqt5mcolUKYXM