信心活動と労働運動

 

 しずかに、日本の国内情勢をみつめますと、他国侵逼難の姿であります。

 アメリカに、あるいは中国に、あるいはイギリスに、ほとんど征服された時代はすぎて、もう何年かになります。まさに邪法が栄えた証拠として、他国侵逼難にあたっている。

 

 今ここに創価学会の誕生をみて、しからば今、なにが起こりつつあるか、それは自界叛逆難であります。

 これを小さな点からみますれば、政治の貧困です。

 

 自由党と社会党、これは二党あっていい。だが、その内幕をのぞいてごらんなさい。自由党だって一本にまとまっておりません。ただ岸君が総理であるから、なにかえさをもらえるだろうと思う仲間が集まっているにすぎない。

 社会党をごらんなさい。あれは右派か、あれは左派か、いったい、あれはなんです?自界叛逆難ではないか。

 また共産党のことは、よく知りませんけれども、なんとなく自界叛逆難が現われています。

 

 また経済の形相をみましても、労働者と資本家側との争いというものは激しい。勝手に汽車をとめてみたり、ろくなことをやらない。

 魚がくさっても、そんなことは知ったことではないというのだ。人が乗っていようといまいと、そんなことかまわないと言っている。

 

 おれたちは、ストという権利があるからやるのだという。それから、総評あたりの動きは、私よりあなたたちのほうがくわしいでしょうが、やっぱり自界叛逆難だ。

 

 いずこの社会をみても自界叛逆難だ。自界叛逆難を起こさない一団体はわが創価学会だけです。

 

 いよいよ今度の炭労の気違いざたは、天下のもの笑いであります。

 今、私のところへ、ずいぶん評論家が集まってくる。ちょうど、こっちへたつ前も、大宅壮一さんと会い、対談した。徳川夢声氏とも対談したのですが、あれら種々の雑誌記者、評論家は、今度の炭労との闘争は、学会の一方勝ちだ、ずいぶん恥をかいたものだなと言っている。

 

 一流の雑誌記者、評論家が、これはおもしろい問題だ。創価学会の会長として、労働組合とケンカしろと、いままでいっぺんも言ったことがない。

 私は言っている。『労働運動をやって、生活が向上するものなら、私もいっしょに旗をかつぎにこよう』というのです。

 

 労働運動をするなと言うのではない。労働運動をするならば、われわれ労働者のために全勢力をあげて戦って、断じて資本家に負けない闘争をしろというのです。

 それができるものは創価学会の会員でなければできないと私は確信している。

 ストライキというものは、労働者の権利である、伝家の宝刀だ。めったに抜くものでないのであります。

 

 以上を勘案し、夕張ならば、会社と交渉に交渉をしつくして、天下の人が、あそこで労働組合が立つのがあたりまえだ、立たねばならんという情勢にきた時に、伝家の宝刀は抜くべきものなのです。だから、やたらにはびこっている労働貴族というあの幹部連が、労働者を手下のように、組合員を、あごの先で使うというような考えの抜けきらないうちは、ほんとうの労働運動というものはできない。

 

 私の精神は労働運動に反対ではない、ストライキにも反対でないということがわかったら、あなた方も、労働組合のまだ信仰していない人たちと、なにも折り合わないことはないはずです。それなのに、創価学会にケンカをふっかけてくる。売られたケンカは買おうではないかというのです。

 

 男の子が、ケンカを売られて『ええ、ごめんくださいまし』と言っていられますか、どうですか。

 ちょうど、労働組合というものの線がこのへんなら、学会の線はずっと横のほうにきているのだから、なにもぶつからない。それを、ぶつかったような気がするのです。なんでそんな気がするかというのだ。バカバカしい。

 

 冷静に考えてごらんなさい。衝突することは、なにもありません。いくらでも、彼らは彼ら、信心は信心なのだから、別なものなのだから、レールが違うのだから。だけども彼らには衝突するようにみえる。

 

 いなかのおばあさんを東京に連れてきて、自動車に乗っける。すると、向こうから走ってくる自動車がなんだかぶつかってくるような気になる。あぶないあぶないなんて、ちゃんと走っている。

 

 そういう錯覚をおこしてしまうのは、去年の選挙において夕張から三千何票という票が出たのでぶったまげたのです。これはいったい、なんだというのです。これは労働運動ではないではないか、政治運動です。

 

 自分のほうに票がほしいだけの騒ぎなのです。その票がぶつかったものだから、さあ労働運動と創価学会の信心がぶつかったような錯覚におちいった。

 そういうふうな錯覚におちいっている人がいたら、教えてやってください。

 

 あなたたちのなかには、労働組合にはいっている人がいるでありましょうが、ほんとうに自分のためであることだったら、しっかりやるのです。

 ただ組合費を払うだけなら、なにもならない。ここはいくら払っているか知らないけれども、国鉄あたりは三百円か。ずいぶんもうかる商売だと思います、あれは。そうではないですか。そのために金はどうなっているのですか。総評なんか十何億とあるそうです。

 なにか社会のために使っているのか、使っていないのかわからない。

 

 だから、そういう間違ったことをしていれば、ぶっつぶれるには決まっているけれども、ああいう者たちのことばにとらわれないで、あなた方は、信心一途に立って、そうして幸福な生活をつかんでください。

 

昭和32年8月20日

タ張支部結成大会