大阪事件について

 

 今度は、学会としては、事件を起こしまして、理事長や、参謀室長が、十日か十五日はいってきました。

 

 私は、戦争中に二年はいってきました。今度も、妙悟空という名で『人間革命』という私の考え方をあらわしてみたけれども、それはお読みくださっている人もあろうと思うが、二年間の牢獄生活は、ちょっと長い。二年間ぐらいはいってくれば、おっかなくなくなるのです、あんなもの。今度も私をひっぱれば、いちばん話が早いものを、おっかないものだから、やれないのだろうと思うけれども。

 

 そんなことを向こうに言えば、およそ検事諸君は、あるいは、畜生、いっぺんひっぱってやろうと思うだろうけれども、私も一回やったのだから、もう一回やってみてもいいと思っているのだ。そのかわり、あとこわいぞ。

 

 この間も東京で約四万の結集をやった。中之島ではできない。ところが、各地方の支部長級から『いつ先生、大阪へ集まったらいいのだろう』というわけなのです。計算してみると約十万人ぐらいになってしまうのだ。宿屋なんかありはしない。しようがないから『私はそんなこと関係しない』と。『先生、それでは、どこかあき地のあるところへ、テントを買って張っていいか』と言うから『それはしようがない。あなた方がはいるぶんにはね』と。だが、ここで一応の妥結をみたので、私も、十万人の人間を大阪に集めないで、よかったと思うのだ。

そのかわり『あわおこし』は売れないようになったと思うけれども、その販売元へおわびを申し上げておいてくだされ。

 

 どうも東京の夏の陣とか、冬の陣とかというのはないけれども、大阪はしょっちゅう夏の陣とか、秋の陣とか、冬の陣とか。今度は、なんの陣と言うのか。弱った話だ。だけれども、こっちだけ話していたのでは、あなた方も心にすまんものがあろうと思うから、聞きたいこともあろうと思うから、思うままに、私に聞いてくだされ。

 

(以下の数項、質問に答えて)

 背後関係ですが、この大阪事件は、選挙が終わるまで、わからなかった。私のほうでは、こういう事実が起こったということを聞いて、さては、これは、社会党か共産党かでやったのではないかと思って調べたら、わが子なのです。しかも、これには仕組みがある。その裏に、なにかがあると思うが、まだつかまらない。

 

 学会ではやりません。断じてやりません、そんなこと。ただで動くのは、今、申し上げますように、地震と風と学会だけなのです。こんなバカなことをするかげには、なにかあると、私は思うのですけれども、どこだというわけには、まだいかないのだ。そのうち、つかまえて、裏はこうだったということを教えますから、もう少し時間を私にかしてください。ただ、これだけは信じてください。学会は断じてやりません。

 

 あの事件が起こった時に、青年部やなにかの人たちは『だれがやったのだ』『ちくしょう、相手はだれだ』と言って、こっちが追いかけたぐらいなのだから。だから、断じて学会だけは信じてください。

 

 しかし、諸君、これは、ただではない。この裏は、どこかにある。それが、つかまらない。どこかに、この裏はある。ただで動くわけは、ないから。この裏をつかんで、ひとつ、ぎゅっとやってやろうではないか。

 

 事件をおこした者たちが除名処分になっただけではすまされない気持ちだと、あなたは言うが、除名処分以外に、なんの権利が、こっちにある。まさか、なぐりに行こうというわけにもいかないだろう。

 

 学会から除名するということは、これは恐ろしい事件なのです。このまえ、原町で、班長が妙な野心をおこしまして、無知な会員を連れ込んで、学会脱退を、向こうから申し込んできた。その時に私が言うてやった。『脱退もよろしい。ただ私に反抗して、三年間の勝負をみようではないか』と。

 

 ウソと思うならば、その後の向こうの状態を調べてください、どうなっているか。私の除名処分がこわくなかったら、学会の会長は、私つとめません。まあ、ゆっくり、ごらんなさい。あわてることはない。

 

 日蓮正宗が正しいということが、こんなにはっきりしているのに、邪宗の人たちには、これがわからないというのですが、これはこまったな。勉強したほうがいいというのがわかっているのに、どうして勉強しないかというのと同じです。

 あなた方も、親孝行はいいということがわかっていても、やらない人がいる。そんなみたいなもので、これは、法が正しければ正しいほど敵が多い。このように日蓮大聖人様はおっしゃっています。これは、我慢する以外に、ないではないか。もし、これを、ほんとうに、人にわからせてやりたければ、あなた、親孝行していらっしゃいますか。女房をかわいがっておりますか。これは、かんたんな理法でしょう。親を大事にし、女房を大事にするということは、わかっている理法でしょう。ところが、たいてい、やらないのではないかな、どうですか。なんだい、ずいぶん喜んで手をたたいているではないか。それと同じ理屈なのです。おわかりですか。

 正しいことというのは、なかなか、やれないものです。ここが問題なのです。わかりましたか、かんたんな理法なのですよ。

 

 一般の新聞紙上に誤って伝えられた記事を質すのは、この中之島公会堂における、この大会が、天下にたいしての声明ではないか。

 新聞社なんていうのは、自分につごうの悪いことは書かない。みんな、インチキばかり書いている。だが待てよ、まだ学会を総攻繋する記事はない。ひとたび、これが朝日、これが毎日、これが読売、これが産経と、話が決まって学会を攻撃するときには、私は断然と立つ。まだ、そこまでいっていないのです。おもしろ半分の記事です。ウソ半分の記事です。

 

 しかし、ここで声明しておくけれども、断じて立ったならば、私は向こうの紙数を今の三分の一に減らしてみせる。これが、戸田城聖の大阪の声明です。なにがこわい。その日こそ、大阪の諸君も、全力をあげて応援してください。これが、りっぱな声明ではないか。これを聞いたら、向こうの連中は、おこるでしょう。

 

 労働運動というのは、労働者の階級が助け合っていくものです。だから、このなかに、労働者の組合にはいっている人がいたならば、労働運動を一生懸命やったらいいと思う。

『先生もいっしょに旗かつげ』と言ったら、私も行ってやります。労働運動プラス信心ということなのです。反対ではないのです。マイナスではないのです。

 

『では、先生は、労働運動や共産党に賛成して、資本主義には賛成しないか』と言えば、資本主義だって、われわれ民衆の幸福のために働くのならいいではないか。

 

 私の態度は、自民党だとか、社会党だとか、共産党だとか、そんなものより、まだ優れた構想をもっています。

 民族の幸福、民衆の幸福、それが大事だと、私は主張しているのです。

 

 ちょうど、自民党とか、社会党とか、共産党とか、労働運動というものは、生活改革の幸福への、ひとつの手段だと私は見ているのです。そうではないか。だから、それが、いい手段であれば、それらに賛成してやろうではないか。あまり、かたくなな、けちな心をおこさないで、私は自民党がいい、私は社会党がいい、私は労働党だなんて、そんなうるさいことを言わないで、みんながしあわせになる方法であれば、応援しようではないか。

 

昭和32年7月12日

東京大会二万名参加

東京蔵前国技館

 

昭和32年7月17日

大阪大会二万名参加

大阪中之島中央公会堂