学生部員は次代の指導者
ただうれしいということば以外にない。私は数え年五十八でありますが、二十三の時から三十幾つまで、時習学館という私塾を開いていました。それで、初代の会長がしょっちゅうこられまして、私といっしょに教育学の研究をしてくださったのです。そのころは、信心もなにもないのです。
それで驚いたことに、なにも博士が偉いというわけではないけれども、そのころ私が数学や国語を教えた人のなかに、いつのまになったのか、文学博士になっているのです。それから、私といっしょに勉強しておった男が、法学博士になっているのです。
これは、私を驚かせたのです。しかし、そのころ教えた生徒の数は約一万に近い。私が指導したのは……。ところがそのなかから、法学博士だ、文学博士だ、なかには会社の重役だというのがたくさんでてきた。けれども、一万人のなかから、勘定してみると、幾人もいないのです。
ところが、さきほどは、柏原君も、あるいはその他の人も、少ない少ないと言っているけれども、だが、これくらいいれば、たくさんだ。そうたくさんはいらない。このなかから半分だけ重役になって、半分だけ博士になってしまえば、そうすれば、いいだろう。
このなかから博士が半分できたらたいへんなことだ。だが、博士にもいろいろあるからな。だが、バの字のつかない博士になりたまえ。バカセなんてな。ほんとうの博士になってもらいたい。ぜひともそうなってもらえば、数はたくさんいりません。これだけいれば、たくさん。あまり多すぎると手間ばかりかかってしようがありませんから。
これはぼくの意見だから、どっちだって、いいです。多くなったってかまいませんし、少なくなってもかまいませんが、ともかく、ここに集まった人だけが日本の指導者になってくれると、これだけの指導者ができたら、岸さんだって、石橋さんだって、目をまわしてしまって、どうにもならない。これくらいいれば、私はけっこうなのです。よろしくひとつお願いします。
昭和32年6月30日
学生部結成式
麻布公会堂