三年、五年の信心で

 

 昔は、新しい思想というと、共産主義などというのは新しいうちにはいっている。これが、もっとも盛んであったのは長野県であります。この長野県が新しい思想の出所であります。あそこは、どうも理屈屋が多い。

 

 ところが、そのお株が北海道へ取られて、今、社会党が景気がいいのは北海道、共産党の思想が盛んなのも北海道です。もう長野県などはあとまわしになってしまった。この北海道がどういうわけでそうなったのか私にはわかりませんが、社会党が盛んであっても、また共産党の思想が北海道に芽ばえておっても、どれだけ北海道の人間がしあわせになったか、さっぱり、しあわせになった者はいない。

 

 だいたい不景気な人相をしている。そんな新しい思想をはぐくむこの北海道ならば、少し景気のいい顔をしている人がいるかと思う。

 ところが、創価学会員が二万何千できた。これから、しあわせな人間ができると、私は確信するのです。

 

 自民党の政策がどうあっても、社会党の政策がどうあっても、共産主義の理論がどんなにりっぱでも、個人の幸福というものはつくれない。個人の幸福は、正しい信心以外には、できないのです。

 

 同じことを、なんべんも話してはすまないけれど、何回も聞くとよくわかるから聞いてもらいたい。

 今から六年前、仙台に行った。仙台にのらくらな親父がいまして、私に御指導願いますと言う。なにかと思うと『女房と離縁したい』と言う。『もったいない、女房を離縁するのはいいけれども、お前の商売はなんだ』と聞くと『ソバ屋だ』と言う。それから、私は言った。

『女房を離縁したら、その代わりを雇わなければならん。考えてみると、四人の子供を育てて、夜、ソバ屋をやるような家政婦を捜すと、一万円出しても、くるかこないかわからないんだよ』と。ところが、その女房、ただでしょ。一銭も出していない。着物を買ってやったことがないという。ただの家政婦使ってて、もったいないではないか。このなかにもそのたぐいがそうとういると思う。亭主なる者は、わが妻を大事にしなければならん。

『盆と正月ぐらい、着物を買ってやれ。もったいないから、やめなさい』と言った。

それから、昨年の秋、仙台で総会があった。ふっと、私は、そのことを思い出したのだ。そのもったいない家政婦を追い出そうとした男を。支部長に、あの男どうしたと聞くと『今、開会の辞を述べている人だ』と言う。

地区部長になってるのだ。よくなってしまって、シャアシャアして開会の辞をやっている。オツにすましている。その人が仙台一のソバ屋になったという。夏の暑い盛りでも、ラーメンが七十も売れたというのです。

 

 

 さあ!そこだ。五年目です。それが、五年でそうなったのだ。女房と夫婦げんかばかりやっていた、金もっていかないから。女房を離縁しようとまで考えていたその男が、新調の洋服を蒼て、地区部長になって、開会の辞までやっている。驚きました、これは。

 おもしろいだろう。そうなると、あなたたちも、仏の種を心田に植えたのですから、五年ぐらい我慢して、きちんと信心しなさい。そうするとガッカリしちゃって『わあ!五年か、長いなあ』などと。

 あるおばあさんが『私は、あと何年信心したらよいでしょう』と聞くから『七年ぐらいやりなさい』と言うと『そんなに待てません』と言う。今、聞いて、これから五年かなんてがっかりしないで、幸福の種は植わっているのだから、これから三年、五年と、私が札幌にくるごとに『先生こんなにしあわせになりました』と言ってきてほしい。

 

 この前の総会の時には、財布の中はからだったが、どうだ、この会場のなかに、聖徳太子二枚も持っている者は、あまりないだろう。聖徳太子がいじわるで、やってこない。きたと思うと、すぐ出ていってしまう。気の早い男です。そんなけちくさい話が出ないように、今度は聖徳太子が胸のなかにたっぷりはいっているように、商売しても成功してほしいものです。

 

 私は心からまじめに折伏して、まじめに信心したら、五年もかからないと思う。三年も五年も信心して、先生まだ病気がなおらないと言ってくる人がいる。そんな人は、ちゃんと信心していないという人だ。

 御本尊様をしっかり拝んで信心していれば、三年と、五年とすれば、だれでもしあわせにならないわけがない。このことを教えて、私の講演を終わりたいと思う。

 

昭和32年5月12日

北海道第一回総会