今から4年前2021年夏に毎年の健康診断を受け、血糖値が281、HbA1cが12.5、肝機能GPT(ALT)、γ-GTも高値だった。
 紹介状を書いてもらい総合病院に。


 その1年半ぐらい前から急に夜間頻尿があり泌尿器科で診てもらい、薬を呑むだけが続いた。約2年間であったが、頻尿はそんなに変わらなかった。医者は前立腺肥大はもう治らないと言う。で、行くのをやめ薬もやめた。


 総合病院では、インシュリンの注射を自宅で自分でするはめに。病院には半年ほど通院した。
 そのような状態であったが、ある程度歳をとると病気もでるかな、付き合っていくしかないか、と考えるようになった。

病気とは何か、と考えると自分の身体が、生活していく上で、支障が出てきて困るという気持ちにさせるのであれば、それが、病気と言われるものではないだろうか、病は気からと言われるように。その事を深く考えていけば、私の思考では、仏法が説くように生命の問題となっていく。

 だからこの病気(糖尿病、頻尿等)が、私が生きていく上で支障を感じなければ、(無理に、俺は支障を感じない、支障を感じない、と、そう思い込むことではなく、)それが当たり前の日常と普通に考えることができるならば、問題ないのではないかと思う。
 信心によってこの病気を治そう、信心によって生命力を強め身体を年相応の健康体にしていこうと昔から考えていることもあり、病院にはどちらも行くことをやめた。健康診断も受けなくなった。

 そんな中、ネットで戸田城聖先生の巻頭言を読んだ。あれ?っと!
ちょっと違うんじゃないか。こいつ書き換えているんでは?と思って確認したら、やはり違った。
ここのブログである。
https://ameblo.jp/sirofujikeisetu/theme-10119465686.html

 戸田城聖先生が創価学会員・日本国民に書いた大白蓮華の巻頭言である。この戸田城聖先生が書いたものを、勝手に書き換えている。(中国がよく昔の文書を書き換えて、例えば、尖閣は中国の領土だ、と言っているようなものだ。)
 気持ちはわからんでもないが、こんなことしていいと思っているのだろうか。地獄に行きたきゃ行けばいい。
池田大作(先生)も勝手に人間革命(戸田城聖著)を書き換えているから、勝手に書き換えてもいいと考えているのか。
ある程度の教学(理論だけ)も知っているようだから、本部幹部だろうと思う。創価学会に責任が及ばないように書いているの?

 その他にも戸田城聖先生が、聖教新聞紙上の寸鉄で宗門に対しての不満、馬鹿にした思いを書いているように書いている。これも書き換えであろう。もし書かれていたとすれば、一部の僧侶に対しての不満だろう。日本の歴史を知って日本で育った者だったら、戸田城聖先生の真意は理解できるだろう。

 こんな奴が創価学会の本部幹部の中に、聖教新聞の名字の言を書くような者がいるのだ。
「子」という書き手が日本の歴史の勉強もしないで書いているようだ。先人の想いを理解できないのだ。

 テレビが現象の一部を切り取って放送したことを名字の言に書いてもいた。その現象の全体を考えることなく日本を貶めようと記事を書いている。学会員が地獄に落ちてもいいというのだろうか。仏法者ではない。まあ、そのうちに結果が出るから。

 こういうことが分かって、戸田城聖先生の著作物をできるだけ書き換えられていないものを捜してネットに公表するようになった。
小さいころから好きだった創価学会員の方たちに、今の創価学会の首脳部が、仏法を理解せず、学会員を「物」のように考えているように思えること、日本人の心を持っていないと思われる事を伝えるために、そして、創価学会の創始者(戸田城聖先生)の想いを学会員に伝えるため、一人でもいい、戸田城聖先生の想いを理解してほしいという想いからネットに書き出した。

 そんな中、ブログを書き出したころには、もう病気のことを気にかけることもなく毎日を送っている。いつの間にか特になにも問題なく過ごしている。

 血糖値は120~140ぐらい、HbA1cは6~8の間と思う。肝機能は問題ない、と思っている。
 前立腺肥大については薬を2022年ごろから止めている。寝てからの頻尿はあるが特に気にしていない。

 年相応の健康体でいようと、仏の生命に感応させる勤行唱題を続けている。

 創価学会で勤行の簡素化がされたが、これは愚行である。

 朝の東天に向かっての諸天善神への祈り・感謝をしなかったら守護されなくてもいい?経文上どうですか? 

私は簡素化された時、朝の諸天善神への感謝、守護の祈りがない、こりゃだめだ、と簡素にするなら私はこうすると、朝は、初座と二座、夕、二座で、御観念文は、朝夕それぞれ五座の全部を祈念していた。
 しかし、今は朝五座、夕三座の勤行を行っている。これは戸田城聖先生が五座三座を指導されていることもあるが、年を取っても言語聴覚の障害が出ないように、長行、自我偈、唱題で何度も繰り返して発声、そして唱題中様々な思考を行うことでの脳への刺激を行う行為とも思ってやっている。やっぱりこれが私にはいいようだ。

 私は戸田城聖先生が教えてくれた仏法を信じる。化儀の行為で今の時に合わないものもあるかもしれないが、根本の信心は不変であるはずだ。

 池田大作(先生)の著作物はほとんど読んでいるが今では読まない。(PDFで保存し検索できるようにしている。)大白蓮華は新聞といっしょに辞めた。

 それから、教宣ハンドブックもPDFにして持っている。あまりに酷い内容で、宗門を攻撃している。これが慈悲だというのだろうか?まさに自己中心的な考え方である。仏法者ではない!

 御書は昭和51年3月16日105刷のものを私用として使っている。
 それと、今後、日蓮正宗も創価学会も辞める手続きなどしない。意味がないと思うからである。
人の信じるものに、手続きなんか必要あるか!

今の勤行の御観念(祈念)として
『常に戸田城聖先生の講演・論文・講義・巻頭言等を再読』そして
『日本国に法華経の精神を広めます』等々。
やはり、勤行終わったときは清々しくなる。

 

日本国民は知ってますか

渡部昇一「 東京裁判とマッカーサー証言」「安倍総理はリビジョニストか」
https://youtu.be/jlEsw6fZD0U?si=zqSEW71Xqquri65d

 

【拡散】田原総一郎も黙って話を聞く、西尾幹二先生の言葉【全日本人と全世界が聞くべき話】
 


1994年10月【西尾幹二先生】金美齢さん、大島渚さんらの発言。