功徳の体験を聞く喜び

 

 私も、直接指導した人がたくさんありますが、最初のあいだは功徳がみえないので、じつに苦しい思いをいたしました。

 

 たとえてみれば、東京に、ある人がありまして、八百屋をやっておりましたが、その八百屋が、繁盛しなくて、夜逃げをしてしまった。その後、今から一年ほど前に、ちょうど思い出して『あの男はどうなった』と聞きましたら、今は家を新しく建て、電話までひいているという。

 

 またこんなおもしろい話もあります。このなかにいるそうですから、まことに申しわけないことだけれども、仙台へきたところが、女房と別れるというのです。いったい、その女房はどんな女房かというと、自分はあまり働かないので、女房は子供四人を育てて、そして夜は中華ソバを売っている。まことにもったいない話だと思う。

 その女房を追い出して、四人の子供を育てて、夜、ソバを売ってくれるような家政婦を頼んだなら、一万円でもこないだろう。女房だと思うから、そんなわがままなことをいうけれども、家政婦だと思ったらもったいないではないか。バカだ、そんなのは。

 その人のことを、また仙台からきた人に、ある時聞くと、今は夫婦仲良く、ソバもずいぶん売れるという話だ。

 

 これは、ちょとした例でありますけれども、功徳の芽が伸びて、あちらでもこちらでも、うれしい話を聞くのであります。これからも、ますます聞けるであろうことを、私は確信しているものであります。

 

 このなかには、まだ功徳の芽がちょっぴり出て、そこまで景気のいい話ができない人もあろうかと思いますが、しっかりと信心して、そうして、うれしい話をぞくぞくと聞かせていただきたいと思うのです。ただ私の願いはそれだけです。皆さんがしあわせになってくだされば、ほかになんの願いもない。一日も早くしあわせになって、晴れやかな顔をしあって暮らしていただきますことを祈って、私の話を終える。

 

昭和31年12月16日

仙台支部第八回総会

仙台市レジャーセンター