下種仏法の大功徳
けさ、お勤めを本部でいたしました時に、病気の人がありまして、お勤めをするのでありますから、御祈念をして差し上げようと思いまして、病名を聞いた。ひとりは黄疸、ひとりは神経痛、ひとりは胸を痛めて、ひとりは胃潰瘍で、見まして、この病気は、どれもこれも、かんたんな病気で、悩むような病気ではない。勤行さえ完全にして、愚痴を言わず、御本尊様にすがりついていればなおる病気です。なにも心配のない病気です。
私見で別に書こうと思いますが、例えば糖尿病、前立腺肥大症等は、勤行をきちんとしているのですが、いつの間にか治りましたよ、というか、もう心配していません。薬なども飲んでいません。
『しっかり御本尊様を拝んでいますか』と聞くと『拝んでいる』という。拝んでいてなおらないわけがない。
なんとなく、ちょっとあやしくなってきた。まあ、別れる時に『しっかりと拝まなければなりませんよ』と言うてきましたが、つらつら思うに、私は悩みがしょっちゅうある。
それは、どうかして、こんな病気はすぐなおしてやりたいものだという悩みです。どうか早く功徳を受けさせてやりたいと、こう思うのです。逆にもう一つは、今、白木君が話したように、なぜ、じっとがまんができないのだろうかということです。
功徳が出るのが遅いというて、歯がゆがる人がいる。そんなに、あせらなくてもなおるに決まったものなのだから、朝、ごはんを食ベれば、次の朝までに必ず出るのです。拝んだ以上には、必ず功徳が出るのです。待っていてもらいたいが、がまんができないという。
これは、大宮の結成大会でも話してきましたけれども、信心をしたということは、わが心田に、種を植えたということなのです。だから、下種というのです。種をおろすというのです。下種したのですから、サルカニ合戦の話ではあるまいし『芽を出さなければチョン切るぞ。なんとかしなければチョン切るぞ』と、いくらおどかしてみても、けっして、植えた仏の芽は、時間がこなければ、大木にはなりません。
あなた方だって子供を生んで、そうして、私のところへきて『先生、ゆうべ子供を生みましたが、あさってから学校へやりたいと思います』などと、そう言われても、私は、どうしようもないのです。
『先生、なんとか御祈念してください。もうそろそろ中学へ、生まれて四日ですから、やりたいと思います』などと、それはちょっとムリというものだ。
やはり、小学校へやるのは、まる七年なり、あるいはその前後からでなければならない。
いったん植えた種は、拝んでさえおれば、必ず大木になる。その時には『功徳はいりません』といっても、なんといっても出てくるのだから、しかたがない。
まだ、大阪は、白木君がきてから、四年以上の信者は少なかろうと思う。しかし、これが、七年となり、十年となりしてごらんなさい。大阪には、非常に功徳を受ける人が多くなることは、目にみえている。途中でやめた人と、十年間、途中でゴモゴモ言っている人と、それから、しっかりやった人とを比べてごらんなさい。十年たってから『ああ、損をした』なんて言うても、まにあいません。
十年という月日は惜しいものです。しっかりと信心をして、必ず功徳を受けてください。心ず功徳は、出るにきまっているのですから。ガツガツとあわてないようにしてもらいたい。
しかし、それなら、その間、功徳がないのかとがっかりしなくてもよろしい。そのわけは、大聖人様は、われわれを幼稚といって、幼稚園の生徒のような赤ん坊のようなものだといっていらっしゃる。ですから、諸天善神をつけて、われわれを守るようにしてある。ずーっと大木になるまで、ひとり立ちになって、堂々と生活ができるようになるまでは、諸天善神をわれわれの回りにつけて、必ず困らせないように、じっと守ってくださっているのだから、ないものは持ってきてくれることになっているのだから、十万円束の一つや二つは、いつでも、なければ持ってきてくれるようになってるのだから、その点はまた安心して信心していらっしゃい。
昭和31年10月16日
船場支部結成大会
夕陽ケ丘会館