末法の利益は冥益
末法の信心は冥益といいまして、すぐに目に見えるというものではないのです。ちょうど、赤ん坊が生まれたのに、すぐ学校へ行くかといいますと、そうではなく、だんだんと大きくなって変わっていくわけです。
われわれの信心も、日蓮大聖人様は『われわれ幼稚なもの』とおおせになっておられます。赤ん坊を持ってみると、落とさないように、かぜをひかないようにと守るでしょう。
御本尊様も、われわれをお守りくださるのも、親心としてとうぜんのことです。『受けるはやすく、たもつはかたし』とおおせになっておられますが、御本尊様をたもつ者には、その人に福運がつくまで、必ず守ってくださるのです。欲を出して、ばたばたしないで、落ち着いてやっていきなさい。
信仰したから、すぐ功徳をください。それはちょっと無理というものです。一年一年と純真に信心し、五年、十年、十五年とたってから、よくみつめてごらんなさい。一年、二年はともかく困っても、苦しくても、時間をかけて信心を続けた時は、必ず幸福になることは、うけあいです。
昭和31年9月20日
大宮支部結成大会
浦和・埼玉会館