学会は『日本の潮』
七月八日の選挙が終わって、その次の朝、朝と申しましても夜中の二時に、私がひしひしと身に感ずるものがありました。その時にできた歌が『いやまして険しき山にかかりけり広布の旅に心してゆけ』これが私の心であります。
案の定、選挙が終わって以来、初めて日本の社会がびっくりして、清く、公平な学会が、悪口を言われたり、攻撃されたり、あるいは間違った報道が始まり、あらゆる状態が、われわれ創価学会のうえにかかってまりいました。
これは、とうぜんそうあるべきだと、私はつくづく感じていたのです。
なにゆえかといえば、あの選挙の時に、私が同志の応援のために、全国を歩いて感じたことが、それなのです。
なにゆえならば、今、世界において、宗教にたいする信頼が失われているのであります。天理教しかり、キリスト教しかり、あるいは、同じく日蓮宗を名のるものにしても、身延しかり。だれも、仏さまや、神さまの力などというものが、世の中にあると思うものがいないのです。神も仏も、たんなる形式である日本の国では、神もキリスト教も同じものであります。そして、たんにキリスト教というものを偶像視して、それを拝まなければ格好がわるいから、あるいは文化人ではないからという拝みかたをしている日本の人などは、宗教などというものは、生きていると思わないでいた。
しかるに、わが創価学会によって、宗教は生きている、生きている宗教があるのだということを教えられているのであります。今日、文化人、あるいは、その他の連中も驚いた。いや驚いている。
このあいだ、岩波の『世界』を読みましたが、そのなかの『日本の潮』 - 日本の潮はどういうふうに流れているかという意味と思いますが、そのなかに学会のことを取り扱っている。
彼らも、ようやく、日本の潮のなかに創価学会という流れのあることに気がついている証拠であります。しかし、まだその潮が流れ出したばかりだということに気がつかない。われわれは、この創価学会のこの潮を、全東洋に流し、地上に楽土をつくらんとするのが、われらの理想であります。
今の科学者にもせよ、政治家にもせよ、いかようにして平和をつくるか、いかようにして、世界を平和にしようかと考えているのであります。しかし、今の日本の国の状態をみるに、共産党でいけるわけがない、社会党でも自民党でも、ほんとうの幸福は絶対にできるものではない。
社会党も自民党も、共産党もなしえない真実の精神、真実の宗教、われわれの生命の力を発輝して、これが、日蓮正宗の信仰によってのみ得られるのであります。
また社会党にもせよ、自民党にもせよ、この日蓮正宗の信心のうえに立つものなら、まだしも可能性があると信ずるものであります。
日蓮正宗の力で、宗教そのものの力で、真実の地上の楽土をつくらんと願うものですが、皆さんも同じ心において、日本民族救済のために立っていただきたいとお願いするものであります。
昭和31年8月26日
全国新支部結成大会
両国日本大学講堂