りっぱな信者をつくろう

 

 広宣流布、広宣流布というけれども、なかなかめんどうな仕事であることは、私もまえまえから知っております。まず、三大秘法の王仏冥合の哲理からいって、王法、仏法ともに冥合する時に戒壇の建立があるというのが、日蓮大聖人様の御予言であります。

 その時は、もう近いとは信じていますが、さすがに、これはめんどうだということを、つくづく感じたしだいであります。

 

 広宣流布と、口ではかんたんに言うけれども、自分がやってみると、つくづくむずかしいと感ずる。

 

 まず一般の人は、創価学会が議員の全体を占めて日本の政治を左右するという、とんでもない間違った考えをおこしているらしい。われわれは、勅宣ならびに御教書を申し下してという、ただそれだけを行なわんがための政治です。なにも日本の政治をどうする、こうするというのではないのです。

 

私見:戸田城聖先生は、確か参院選だけをやろう、と言われていたと思っている。このような思いがあって参院選だけと言われたのは納得できるが、池田大作(先生)になって衆議選にも出るようになった。学会員の大変さも理解できないで、このころからも、権力の魔性に魅入られた姿ではないか。第六天の魔に負けた姿そのもの。どんな口から、戸田城聖先生が師だと言ってきたのか。戸田城聖先生を師だと言ってきたくせに、師の想いを無視してきた結果ではないか!日本の歴史も知らず、そもそも仏法を知らない人だと明確に言える!こんな人を聖教新聞はいまだに奉っている。頭破作七分の会員を作る創価学会になっている。

 

 また、本門戒壇の決定は、日蓮正宗一色にするという考えがみえているけれども、それも違った話である。ただ日本民族が納得して、大聖人様の教えのとおり戒壇をたてなければ、日本の国のほんとうの安定はないのです。

 

 きのうから、新聞記者や、あるいはまたラジオの連中に追い回されている。いろいろなことを聞いてくるのです。いったい、こうした間違いはどこからでるか。本門戒壇とは、日本全国の人が、皆、納得して建てなければならないのです。今の社会党や、自民党のけんかのように、こっちの票が多いから、さあ本門戒壇を造るというような本門戒壇ではいかんのです。

 この日本の人が、ああできてよかったというのでなければならない。さあそうすれば、お祭りも景気よくできる。神社も、各天界から神々がお帰りになって、日本民族をほんとうに守るのだから、その時に、お祭りを景気よくやりたいと思うのです。

 

 それが、なかなか今の人たちには理解できないらしい。ほんとうに理解できないのです。

だいたい、東京には十二万世帯あるんだから、各家庭に三人ずついたとしても、三十二万でるはずなのがでない。口では不自惜身命で、命を惜しまず御本尊様のために尽くすと言いながら、巡査にちょっとおどかされる、新聞に書きたてられると、ペシャンコになってしまう。意気地のない者ばかり信心しているものだと感心してしまった。

 

 そこで、今後の学会の行き方について、じゅうぶん考えさせられた。あんな新聞や、警察におどかされるくらいでびっくりする連中が集まって、なんで広宣流布ができましょうか。

 だから、理事長がうまいことを言った。

『先生、集まった人に文句を言ってはだめだ。くる人たちはやった人で、こないのがやらなかったのだから』と。もっともだと思う。

 それで、学会の方針として、ことしあと十万世帯ができればよい。ですから、折伏、折伏と騒ぐのはやめよう。

 今、四十万世帯ありますから、これが暮れまでに、四世帯でひとりだけ折伏すればよい。だから、たくさんやるのはやめましょう。願うことは、純真な信者をつくることである。

 まあ、お帰りなって、四世帯一組になって、暮れまでに、四軒でひとり以上絶対にやらないということにしょうではないか。この四軒で、二世帯やったら約束を破ったことになりますから。そのかわり、純真な、ほんとうに御本尊様を守っていける人、功徳を受ける人を、ひとり、つくりましょう。

 

 今月十世帯やったとか、二十世帯やったという人は、もう仲間に入れないようにしてもらいましょう。どうですか。

 ほんとうの信者をつくることが必要である。これが、今度の選挙のみやげとなる。われわれはたくさん折伏しないで、だって、四世帯で年末までにたったひとりだもの、これぐらいできるだろう。そして、胸を張って御本尊様にお目通りして、そして四世帯にひとり、しかもりっぱな信者であります。あのように功徳をお受け(し)ておりますと、こういう信者を、おたがいにひとり、つくろうではありませんか。

 

昭和31年7月12日

一級講義

豊島公会堂