誹謗すれば法罰厳然

 

 大阪へきていちばん驚いたことは、大阪の府警が、学会員のなかから立った参議院候補の選挙妨害と疑われるようなことをやっていることだった。それは国法に違反する。現職警官の職権乱用と、人権の侵害である。

 

 なんの罪もないおばさんまでもが、学会員とあれば呼びつけて、八時間も九時間もつまらないことを聞いては、選挙違反をしていると疑っている。こんなバカげたことが平然として行なわれているのだからたまらない。なにも悪いことをしてないのに、さもやったようなことを言う警察こそ、明らかに違法行為ではないか。

 

 私が、今から十数年前の昭和十八年に検挙された。その理由は、法華経をひろめたということであった。その時、私と初代会長の牧口先生を、ともに調ベた特高刑事のひとりが、東京の有楽町駅で電車を待っていた時、ひょいと頭を出して電車にぶつかり、目、鼻、口から血を吐き出し、首が抜けて死にかかった、すごい頭破作七分の姿を、はっきりと私は目の前で見ている。

 

 またひとりは、身延系の信仰をしていた警官だが、牧口先生になぐるけるの暴行を働き、さんざんいじめぬいた男だが、あとになって、その警官の子供が、ドブに逆さまに落ちて死んでしまったという事件もある。

 またおもしろいことに、その時の上役某氏に、戦後、最近会ったところが、当時のおもかげはまったくなく、すっかり貧乏のドン底に落ちて、ひょろひょろしていた。『きみ、酒一パイやろう』と言って話をしたのだが、その人は仏罰の恐ろしさ、法罰のきびしさというものに驚くとともに、信じきっていた。

 

 ましてや、今度の選挙にたいする妨害は、まことにけしからんと思うのです。

 また、もう一つおもしろいことには、われわれを暴力宗教だと新聞記者の連中が騒いでいるが、じっさいバカげている。信仰しないものをつかまえて、しないからといって、さあどうだどうだといってなぐったら信仰するか。また、やめた者を追っかけて信仰しろと暴力をふるえば、なおやらなくなります。そんなおぼえはひとつもないのに、暴力と名前をつける新聞社こそ、よっぽど暴力です。

 

 仏壇などもったいないのに焼くわけがない。陽気のせいか、三流新聞の記者連中は、頭が少し変ではないかと思う。それとも、月給がもらえないからかもしれぬ。ほんとうのことを調べもせず、人から聞いたまま記事にしている。新聞記者は、事実をちゃんとたしかめて書くのが、ほんとうの記者である。三流新聞ともなると、電車賃を出さないので、あのようなでたらめな記事を書く。あのようなものを作文記事といい、小学校の生徒の作文のようなのものです。

 

 どうも、大阪には、いろいろな常識のない連中が威張っているようだが、たとえどのような三障四魔が起ころうとも、われわれは断じて信仰をやりとげ、おたがいに助け合い、迷うことなく幸福な生活を一日一日と築きあげていこうではないか。

 

昭和31年6月28日

大阪・堺支部婦人部総会

大阪中之島中央公会堂