幸福になって登山

 

 このようにたくさんの人々がふえると、指導に骨がおれる。しかし、どこまでも御本尊様を中心に、指導していってほしい。なまじっか、枝葉の問題にとらわれることはない。

 たとえ、信心のうえで地区部長、班長といった立ち場であっても、聞かれてわからない場合は知らないと答えても、いっこうにさしつかえない。それを、なんでも聞かれたら、知っておらねばならぬと思っているのは、大きな誤りです。これは、知っているほうがおかしい。

 

 なにゆえならば、仏法は、ひじょうに深いものであり、五年や十年勉強しても、到達することはむずかしいのです。ウソを教えないこと。わからないことは『知らない』でよい。

 ただ、御本尊様さえたもって信じていれば、必ず幸福になる。そして五年、十年後には、私も長いあいだは生きられませんから、いずれ死ぬに決まっているが、少なくとも、今の十倍の人が、喜びに満ちて御本山に登れるようになってもらいたい。

 

 今、見ると、皆、青い顔をして登山している。お金に困って借金して登山したり、よく見ると、皆、貧乏の巣のような感じがする。見るも痛ましいかぎりであります。十年後には、自分ほどのしあわせ者はないと、胸を張って、今の十倍もの人が登山していただきたいと思います。

 

昭和31年5月1日

本部幹部会

豊島公会堂