水の如くたゆまぬ信心

 

 われわれ創価学会のなすべき仕事は、日本民衆、否、東洋の民衆を幸福にするための宗教革命であります。

 

 昔のことから考えてみるのに、電話ができ、自動車が走り、汽車、電車、またラジオ、そのほか、あらゆる文明のものができているにもかかわらず、昔の人からみて、われわれの幸福がまさっているでありましょうか。

 

 昔の、おじいさん、おばあさんが悲しんだごとく、われわれ文明の民衆も同じく、悩みや苦しみをもっている。否、むしろ社会が複雑になるにつれて民衆の苦しみは増しているとみる以外にはありません。

 

 自由が叫ばれながら、われわれがあらゆる面において束縛されて、これが解決は物質文明によってのみ幸福が得られると考えている。今の科学者の偏見からきたものであります。

 

 人生の幸福には、物質文化はもちろん必要でありますが、それと並行して、正しい信仰が必要なのです。正しい宗教が必要なのです。そこに宗教革命をなさねばならない根本原因があるのです。

 

 ただし、革命と申しますれば、ことばが、なんとなく、ぶっそうに聞こえる。なにか剣でも鉄砲でも持ってやらなければならないように思うでありましょうが、わが宗教革命は、けっしてそんなものではない。おのおの、個々の人間革命を行なうことによってのみ、宗教革命が行なわれるのです。

 

 しからば、いかなることが人間革命というのかと申せば、貧乏人が金持ちになること、病気の者がじょうぶになること、貧しい生活、いやしい生活を、上品な高尚な生活にすること、それが人間革命であります。一歩、突き進んでいうならば、人間自体が喜んで生きていける人間になることであります。

 

 これから、五年、七年、十年と信仰を続けていくうちには、必ずや、あなたたちが人間革命ができ、よくもあんなにりっぱになったものと言われるだろうと思うのです。

 

 ところが、あなたたちのなかには、そんなに待ってはおられませんから、来年あたりまでに、なんとかならないでしょうか……これは無理な話です。

 

 そういうふうに、人間革命というものが、かんたんにできるものなら、なにも苦労はいりません。子供だって、早くおとなにしたいでしょうけれども、生まれて三日目に、どうだ、もう兵隊検査に行くようにならないかと……、それは無理というものです。

 

 四十やそこらで、金持ちになり家でツンとした顔をして、自動車で飛んで歩いてみなさい。たいてい、そういう人は五十になった時には、逆に貧乏してしまいますから。今、貧乏したって、借金があったって、なにも苦にすることはない。犬でも猫でも生きている。人間さまが生きていけないわけはないのだから、安心して信心していきましょう。そのうちには、りっぱになります。

 

 なにも、あわてなくてもいいです。いつも私が言うように、死ぬ前に、三年なり、五年なり、十年なり、そのあいだに、毎晩、歌舞伎へ行ったり、あるいは映画に行ったり、温泉へ行ったり、お山へ登ったり、座談会へ行ったり、そして孫や子供に大事にされて、とくに、姑さんなどは、嫁さんに大事にされて、そしておだやかな生活をして死んでいけたら、それでいいではありませんか。

 

 それがために、われわれは広宣流布をしようと、宗教革命をしようと、こういうのですから、けっして、流血の悲惨な姿を見てやるというのではありません。自分が幸福になりながら宗教革命をやり、自分が得をしながら人を助けていく。こんなうまいことは、ないではありませんか。このような立ち場で、しっかりと信心を捨てずに、ゆっくりと、急がず、まじめに信心をしてください。

 

昭和30年11月20日

城東支部第二回総会

青山青年会館