現世の幸福が成仏の証拠

 

 科学の力が、われわれの生活に幸福を与えることは、私は否定いたしません。しかし、今、日本の人々の考えをみますのに、宗教というものが、ひじょうにわれわれの幸福生活に関係があるということを知らない。

 

 邪宗邪義の宗教は、人生を不幸にする。ただこれだけのことです。これだけのことをわからせたいと思うのが、私であります。

 

 しこうして、われわれが現世に幸福をうける。そのことについて人々は『創価学会は現世利益の宗教屋である』と、こう言う。

 

 絶対にそうではない。われわれは日蓮大聖人様の教えを遵奉する。

 大聖人様はなにを教えられたか。大聖人様は永遠の生命をはっきりと教えられているのです。

 われわれは、何回も何回も生まれてこなければならないのです。その長い将来を終えて、また不幸を背負って生まれてくるということは、もっとも悲しむべきことである。

 

 それで、将来、永遠の生命において、幸福な生活ができるという証拠のために、現世において、われわれは利益を得るのです。

 

 仏法はみな証拠でありまして『来世には極楽浄土に行ける。来世には天国に行ける』そういう、りっぱなところへ行けるものならば、現世において、すでにそれを証拠だてなければならない。しかるに、現世において、証拠もなくて、どうして来世の幸福が考えられましょうか。

 

 であるからして、われわれは正しく御本尊様を信じておりますので、必ず現世において、来世もこのように幸福であるという証拠をつかめるのです。

 

 しこうして、どのように信仰することが正しいのか。どのようにすれば、ほんとうの信心か、これは、ごくかんたんなことなのです。御本尊様を拝み奉ることがあたりまえで、折伏することがあたりまえという心になれば、それで充分であります。

 

 かんたんなものです。なにもめんどうなことはおぼえなくてもいい。『御本尊様をありがたい。ああ折伏するのだ』それがあたりまえです。ほめられたって、おかしな話なのです。『あなたはよく折伏しますね』と言われても、あたりまえのことをしたまでです。『あなたは、よくお勤めしますね』ほめられるべきことではない。あたりまえのことなのです。

 

 このあたりまえがやれれば、必ず現世で幸福をうける。未来永劫の幸福をつかんでほしい。これが私の願いであります。この願いを話して、きょうの私の講演にかえます。

 

昭和30年11月3日

創価学会第十三回総会

後楽園球場