地涌の菩薩

 

 広宣流布、広宣流布というが、広宣流布というのは、これは一国の運命の改革、宗教革命なのであります。

 

 いかなることを革命というか。革命とはこれ改まるといって、いつでも怪我人がでたが、私の唱える宗教革命は、自分が幸福になりながら、だれにも怪我をさせないで、一国の改革ができる。血を流すことはない。けっして鉄砲や剣は使わぬ。御念珠だけです。あとはロウソクと線香はいりますが。それは安いものです。またりんごでもお菓子でも御本尊様に差し上げても、けっして損ではない。そのままかえってくる。これで広宣流布ができるからありがたいものです。

 

 しかし、つらつら考えてみるのに、釈迦には十大弟子等といわれるりっぱな弟子がいた。頭陀第一といわれた頭陀迦葉、智慧第一といわれた舎利弗、神通第一の目犍連等である。もったいなくも日蓮大聖人様は法体の広宣流布をなされ、御開山日興上人様、第三祖日目上人をはじめ富木殿、四条金吾殿等、そうそうたる弟子がおられた。

 

 ところが、今度、私が中心となって化儀の広宣流布の時にあたり、弟子をみたときに、私に似たような、失礼ですけれども、アンポンタンのような顔をしたのが大幹部として高い壇の上にすましてすわっている。

 

 しかし、こういえば、皆さんは利口かというと、皆さんを見渡したところ、あまり利口そうな顔もいないように思う。これは私が言うのではない。釈迦が言っているのである。

『末法の凡夫は、バカで、やきもちやきで、強情っぱりだ』と釈迦が言っている。弟子も私と同じ似たようなものばかり集まっていたのでは、広宣流布はできないかと思うかもしれないが、そうではない。

 大幹部以上の人がたくさん、あなた方のなかにもおいでと思いますが、広宣流布の暁には釈迦や大聖人門下の弟子に劣らない弟子が出てくると思う。

 

 今度の広宣流布は化儀の広宣流布と申しまして、もっとも重要な広宣流布であります。この時には上行菩薩、安立行菩薩、浄行菩薩、無辺行菩薩、その他もろもろの菩薩が出られ、また、もったいなくも、日目上人様をはじめとして、太田入道殿、四条金吾殿等、大聖人様御在世当時に活躍した方々が、今度の広宣流布に遅れることなく、ぜんぶ出ておいでになることと、絶対に信じて疑わざるものであります。

 

 もし出てこなければ、大聖人様とのお約束を破ったことになり、御本尊様に申しわけがないことになります。

 阿仏房や千日尼にもせよ、皆、皆さんのなかに必ずおられる。今はバカのような顔をしているが、これは仮の姿であって、四条金吾殿もあなた方のなかにおられるのです。大聖人様の眷属が集まって広宣流布ができなかったら、なんのかんばせあって霊鷲山にまみえん。地涌の菩薩の皆さん、やろうではないか。これで私の講演を終わります。

 

昭和30年9月24日

小岩支部第二回総会

中央大学講堂