死後の生命と空観
広宣流布ということと、少しは学問的なこととを話したいと思う。
広宣流布のできる時まで皆さんが会社をやっていれば、社長さんなり、課長さんなりになっている。お役人なら、局長さんや大臣になっていなければならない。そうして、その時は、皆さんのなかから、多くの国会議員も出なければ広宣流布はできない。そして、あそこの会社へ行ってみたら、守衛さんが、バッジをつけていた。
『あの人は、学会員だよ』また、女給さんが、皆、バッジをつけている。『あの人も学会員だ。どうも弱ったものだ』というふうになる時は、広宣流布の時なのです。
しかして、この私に言わせれば、この年から二十五年のあいだでなければできない。来年や明後年にできるものではない。私も、君たちぐらいの年ごろからやればよかったのだが、すこぶるなまけもので、おやじに、しかられてばかりいた。おやじは初代の会長だが、おこられてばかりいた。今の時がきて、あわてても、まにあわない。
私も、ことしで、もう五十六になった。二十五年でできるとしても、加算をすると、どうなる。八十一ではないか。それまで、生きているわけにはいきません。私も忙しいから、どこかの仏国土へ行って、かせがなければならない。よその仏国土には、折伏のできない国があるかもしれないから、そこへ行って、かせがなければならない。そうすると、この娑婆世界は、あなた方に委任しなければならない。あなた方で、広宣流布をしてもらわなければならない。
『先生が生きているから大丈夫だ』と、そういう軽はずみをしないように。『あとは、おれが引き受ける』という人間になってほしい。
戸田も、そう忙しくはかせげない。よその仏国土へ行く前に少しは休みたい。
そこで、休んでいる死後の生命は、どういうものであるか。死後の世界は、今の哲学では定まっていない。しかし、仏教哲学では、きちんと定まっている。死後の生命を扱っている御書は、ずいぶん、たくさんある。そこまでは、私も言わなかったし、君たちも聞かなかった。
これは、大幹部の者が話し合ったことだが『発起衆』ということを話したことがある。発起衆が、うまくいかないから、こっちも、いままで話さなかった。それは、聞きかたが良ければ返事ができるし、聞きかたが悪ければ返事はできないのです。
きょうは、諸君らが聞かないけれども、私は話そう。
それは、仏法における空観という問題である。ドイツの哲学界は、哲学の本場みたいに言われているところである。あそこの哲学では『有る』ということと『無い』ということと、この二つを根源にしている。仏法には『有る』と『無い』とのほかに『空観』というひとつの人生問題を考え、生命問題を考える根幹がある。これが、なかなか、わからない。
ずうっと昔でありますが、昔といっても終戦後ですが、鈴木大拙(だいせつ)先生という、日本仏教界では偉い方であります。また、皇太子殿下に、英語を教えてあげるイギリス人がいた。
その人のところへ、日大の哲学部長をしている大島君といっしょに、酔ってたずねたことがあります。ぼくも酔っており、大島君も酔っていた。たずねたほうの人は、じつにりっぱな方で、タバコも酒ものまない、ずいぶん、りっぱな方です。わが学会の青年部のようなものです。
その人が、鈴木大拙先生について、華厳経を研究していると言っていました。それから私は、ためしてみた。
失礼だけれども、私も酔っていたから『空(くう)とは、どういうものか』と聞くと、そばに折鶴がありまして、ピアノの上の折鶴をもってきて、それを、くちゃくちゃにして『これだ』と言った。そのときほど、私はおどろいたことはない。『これは、こわいことだ』と思った。
日本の一流の仏教学者が、外国人に空を教えるのに『無くなった』という『無』と同じことだと教えることは、とんでもないことだ。
しかし、どうせ、私みたいなものが教えても聞くわけがなし、そして、こっちも不きげんだったし、また、いつか行って、ゆっくり話さなくてはとも思い、また、日本人にも、まだ話してないのに、外国の人に先に話をしても、わかりはしないとも思って、だまって帰ってきてしまったわけです。
私は、からかうことが好きで、ときどき人をからかう。これは、そばにいる人は、なんべんも聞いて、聞きあきたと思うが、今より六年か七年前に、昔の本部の隣に、ある女性がいた……。急に目の色を変える必要はない。
御年六歳であらせられた。
それで、その女性に『猫が大きくなって犬になるのだね。犬が大きくなって虎になり、虎が大きくなってライオンになるのだね』と言ったら『おじさん、それは、うそだよ』と、その子は絶対に承知しませんでした。そこで『うそをついたから、ごめんね』と、金魚鉢に、金魚とメダカを買ってやった。そして、今度は『メダカが大きくなって、金魚になるのだね』と言ったら『ウン、そうだ』と言った。『金魚が大きくなって、フナになるのだね』『ウン、そうだ』『フナが大きくなって、コイになるのだね』『ウン、そうだ』『コイが大きくなって、海へ行ってサケになるのだね』『ウン、そうだよ』『サケが大きくなって、クジラになるのだね』と言ったら、『ウン、そうだよ、おじさん』と、まず私は人をだますのに成功した。
『ここに米国のことばがありますね』『そんなのありません』『では、ドイツのことばがありますか』『ありません』『日本のだれかが話をしている声がありますか』『そんなものありません』ない? ないといえますか?
精巧なラジオを、ここにおくのです。聞こえるではないか。ないとはいえますまい。上海で放送しているものと、朝鮮で放送しているのや、米国の放送でも、ドイツ、フランスでも聞こえるではないか。五十ぐらい並べてやらせてごらんなさい。とても耳がいたくなってしまう。ないといえますか?あるのです。『あるのなら、聞かせていただきたい』といっても、機械はないから、聞かせられない。
どうですか、この部屋のなかに、ドイツのことばもあれば、英国のことばもあれば、仏国のも、ラジオ東京も、NHKのも、まだ、こまかいことをいえば、屁の音まではいっている。屁の音も、ラジオの電波と合えば、聞こえるのですから。今のテレビのように、科学が発達すると、匂いまで出てくるかもしれない。
そうすると、ドイツのことばの背中に、米国のことばがおんぶしているものでもないでしょう。また、中国語の上に朝鮮語が並んでいるのでもないでしょう。どうなのでしょうか。さきほどの朝鮮語と中国語が並んで、ことば同士がケンカをしているのではないか。
この部屋にある、あらゆるいっさいの声だけの問題だけでしょう。匂いは違う。現代の科学ではわかるでしょう。声がある。あるけれども、ちっとも、じゃまにならない。これが出てきた日には、たいへんです。耳をふさいで歩かなければならん。隣の人の話すことも聞けなくなる。
それと同じに、われわれが死んでからの生命は、この宇宙に、ラジオの電波のように、溶け込んでしまう。あるといえばない。ないといえば出てくる。こうやって、おばけのように出てくるのではない。赤ん坊になって出てくるのです。その状態を空という。
その声という、一つの大前提をおいて、その声が、事実ありながら、また、ないと同じような状態を空という。
空は御飯を食うというくうではない。天台は達磨の説いた『クウ』を、ハトの鳴くグウと同じと言ったそうだけれども、へたをすると、御飯の食うになりそうだ。死後の生命は、このようになる。
それなら、いいですか。死んで、大宇宙の生命に溶け込むから、ボーンと死んでしまえばすむだろうが、それですむだろうか。
ダメなのです。肉体とも心とも違う。御義口伝(御書全集七〇八ページ)に『色心不二なるを一極と云う』その生命という問題は、われわれの心とは違っている。それを安楽行品(法華経)に『十八大空』で説いていますけれども、われわれの生命というものは、大宇宙に溶け込むのです。
それなら、そのままで、いいではないか。しかし出てくる。それなら、出てきたときに、その生命の運勢がよくなるために、信心したらいいではないか。それは、うそです。
米国のことばが、ここへきているいじょうは、米国の放送局で放送した、その歌なり、なんなりが、そのリズムに乗って、ここへきているでしょう。この大ホールに溶け込んでいるだけではないでしょう。あっても、なくとも、われわれの生活は、無関係なその声が、調子をもっているでしょう。そのように、われわれの死後の生命の形も、ぜんぶ大宇宙に溶け込んでいながら、その生命のもっている状態により、悩んだり、楽しんだりしているのです。それが、こわいのです。
謗法をして死ぬ。真っ黒けになって死んだ。死んだ生命が、大宇宙に渾然として溶け込んでいながら、死ぬ時の状態を原因として、その大宇宙のなかで、死後の生命自身が生命の生活をやっている。
もしも、ラジオと同じ機械が発明されて、大宇宙に溶け込んだおやじや兄弟の生命を見ることができれば、じつに、悲鳴をあげているものもあれば、歓喜に満ちているものもいる。
形もなければ、色もなければ、生命自身がもつ苦しさ楽しさのために耐えるのが、死後の生命なので、その空観というものがわからなければ、生命論の本質はわからない。だから『南無妙法蓮華経と唱えなさい』と言うのである。
この唱え死んだものの死後の生命は、まことに、おだやかなるものです。また、苦しんで死ぬ者もいる。そこに塔婆供養の原理が成り立つ。溶け込んだだけなら、塔婆供養の必要はない。死んだ者にたいして題目を唱える必要もない。溶け込んだ生命に、生命自身が業を感ずる。これが死後の生命なのです。まあ、めんどうな話は、このくらいにして、きょうは、やめる。
戸田の話を『ほんとうに、そうかな』と信ずるもよい。そうとしておくもよし。死後の生命、三世にわたる生命を言いきっているのは、不肖私ひとりなのです。私は、信じてくれとも言いません。否定してくれとも言いません。聞くほうも自由、考えるほうも自由、われわれは、地涌の子だから。どうだい。
私が、他の国へ、かせぎに行っているあいだ、その宇宙の空間に、ぐっすりと眠っているから、そのあいだは、諸君たちにまかせるから、よろしく頼む。
昭和30年1月16日
男子青年部第三回総会
中央大学講堂