全国に寺院を建設しよう

 

 不思議なことで、上野駅を出ますれば、この高崎を通って、軽井沢、新潟、富山、金沢と行く汽車があるということです。金沢には、寺があるが、その途中はなかったのが、高崎にでき、軽井沢にでき、今後、あと、大宮と新潟と富山に作れば、ずーっと一本の線ができてしまう。どんどん、作ろうではないか。

 その次は、東海道線。それから、常磐線、あれをみんなやっちゃおう。ウソだと思うのか。ウソなんかつかない。

 

 それで、寺ができた以上には、今後はわたくしのいうことを忘れずにいてほしいのは、信心を基調にして、折伏することと、お寺をだいじにすることと、御本山へつくすことはあたりまえのことなんだからね。それが、自慢のようになっては、もう、信者としては資格がない。

 いいか、もう一度いいます。折伏することと、お寺へつくすことと、御本山へのご奉公は、あたりまえのことなのです。それをしたからって、なにも偉いのではないのです。で、ここに寺が建った以上には、この寺をだいじにしてもらいたい。

 坊さんが、メシを食えんなどということのないように、ちゃーんとしなさい。それで、お正月あたりには、御本尊様へのご奉公として、餅のひときれやふたきれは持ってきて、御本尊様の前に供えるようなことを忘れてはいけません。

 

 ただし、御住職をいばらしてはなりません。お世話をもうしあげ、お寺のご奉公はとうぜんであるけれども、むかしから、悪いくせがある。坊さんは、信者を家来か召使いのごとく思う悪いくせがある。断じて、高崎では、そうであってはなりませんよ。弟子檀那と申しまして、御僧侶方が将校でありますれば、われわれは兵隊であります。

 しかし、折伏戦という大闘争になったときに、将校が動かないからといって、兵隊がだまってみているワケにはゆきません。将校をのりこえて、闘争しなければならないのです。

 この点を、はらによくいれていただきたい。

 

 北海道へことしの八月まいりましたときに、旭川に二つの寺がある。オンボロサンボロになっちゃっている。

寺を建てたときの、じつにごりっぱなご信者方が亡くなって、二代目になったら寺が持ちきれないというような状態でした。札幌もしかり。それであっては、あいなりません。

 

 あなた方の信心を、子々孫々までうえて、そうして、この寺が、永久に日蓮正宗の寺として栄えてゆくように、みんなで心がけてください。以上、これをもって、わたくしの祝辞にかえる。

 

昭和29年12月15日

高崎勝妙寺入仏式

日蓮正宗勝妙寺