広宣流布の証拠
先ほどから、広宣流布ということについて、いろいろ話されましたが、広宣流布ということは、日蓮大聖人様
のこの世へお出ましになった本願でございます。しこうして、われわれに対してのご命令であります。
それは、広宣流布するならば、この世のなかが平和になる。世のなかから、貧乏というようなもの、病気というようなものを放擲できる。民衆の幸福のために、大御本尊様を広宣流布せよと、ご命令になったのであります。
しからば、こういうことが、一応、考えられる。『日蓮宗というものが数たくさんあるのだから、どの宗旨が
広宣流布してもよいではないか』と、一応は考えられる。だが、それは、ほかの宗旨に対してご命令はないので
す。
わが日蓮正宗のみに、広宣流布のご命令があるのです。こういうならば、戸田は、自分が日蓮正宗だから、
日蓮正宗を好きでひいきしてそういうのだろうと、みなさまはお考えになるかもしれません。
しかし、あらゆる哲学的に、あるいは歴史的に、あるいは実証的に説明はできますが、ごくやさしく、そして
わかりよく申しあげますれば、かりに、いまいちばんみょうなのでは、立正佼成会、あるいは妙智会、あるいは
護念会、霊友会、かりに身延としてもよろしゅうございましょう。
それらがかりに広宣流布したとします。そのときに、日蓮大聖人様のご遺言があります。それは、必ず広宣流布すると、そのときに、天皇陛下が御本尊様をいただきたいというにちがいない。勅使を御本山へ必ず出すであろう。そのときに、御本尊様がなかったならば困るであろうから、予がしたためておく。そして、もし勅使がおみえになったならば、この御本尊様は、国家鎮護の御本尊様であるから、紫宸殿へ飾るべし。これを、紫宸殿御本尊様と申しあげております。
もう広宣流布ができることを、ちゃんと、仏様ですから、ご承知で、ご用意がある。
身延が広宣流布したとして、『おまえのところに紫宸殿御本尊様があるであろうから持ってまいれ』と陛下か
らいわれたとして、身延は持って行けない。ましてや、このごろのかけ出しの立正佼成会や霊友会にあるわけが
ない。どこに、その紫宸殿御本尊様があられるか。富士大石寺の御宝蔵に、厳然としてあるのであります。これ
をもって、仏勅は、『日蓮正宗でいたせよ。日蓮正宗のみは、ほんとうに日蓮大聖人様の教義を清く守って、必
ず広宣流布のときまで進めよ』とのご仏勅なのであります。
しからば、七百年このかた、広宣流布、広宣流布と叫ばれながら、いまだかつて、いっぺんも、その姿をみな
い。また、日蓮正宗は広宣流布を叫びながら、またしても、できないだろうといわれるかもしれません。しかし、いろいろな点で証拠がありますが、できるという証拠です。
これも、かいつまんで申しますならば、いまや、わが国に三災七難が起こっております。この三災七難は、広宣流布するときの前兆なんであります。七つの難と申しますれば、まず風の難、水の難、火の難、星の難、それから太陽の難、それから今度はうちわもめ、敵国から攻められる。これが盛んに起こるのです。
風の難は、このあいだあったばかり。火の難は、戦争中に盛んに日本中にあった。水の難はしょっちゅうです。うちわもめはしょっちゅうです。吉田が、したしそうに吉田がなどと、むこうではそんなこといわれるおぼえないと言うかもしれないけれども、外遊する。吉田から一銭ももらっておらんから、いうてもよかろう。外国へ行く、一国の首相が、外国へ行くというのです。よかれあしかれ、うちわで、あれほどのケンカをしてやらなくたって、よさそうなものではないか。うちわもめの、これは見本みたいなものです。
敵国から攻められたというのは目の前でしょう。三千年来のわが歴史を汚がし、宮城の前で、外国の兵隊の閲
兵式をみるなどということは、日本人として腹がたってしようのないことではないでしょうか。
この七つの難は、もう現われている。これからも、ちょこちょこ出てくる。小さいのや大きいのが。
それから、三災というのは、物価の騰貴、それから国が外国から攻められること、次は疫病がはやる。三つと
もはやっていましょう。疫病はまだはやっていないではないか、などとのんきなことをいっていてはいけませ
ん。
疫病にふたいろある。ほんとうの疫病と、それから、みんなの頭が狂ってしまった、正しい見解をもつことが
できないのも、疫病のうちにはいる。
精神病だ。肺病の多いこと。医者がいっしょうけんめい肺病をこしらえるのを手伝っている。うっちゃらっておけばなおるようなものでも、これは肺浸潤だから、あなたは三月も休めといわれ、とたんに本人はがたっときて、そうして生命力が衰えますから、病気が進行する。そうしてただ肋骨さえとればなおるみたいなことをいっている。肋骨とって、あるいは肺の一部はよくなったかしらんけれども、からだの均衡がとれなくなって、なお悪くなってしまう。生命ぜんたいをたもつことができなくなる。もう日本人は、肺病が多いことたいへんです。そのほかの病気もずいぶんある。そういうような、この三災が現われている。
しかも、ここに申しあげては、もったいないが、その大御本尊様を護持してきたところの日蓮正宗が、まさに
つぶれかかっていた。これが証拠のひとつなのです。いままで農地があって、そうしてあんまり騒がんでも生活
のできた御本山も、農地法によって米がとれなくなって、もうじつに貧乏の極地で、折伏の意欲などあったもん
ではない。信徒にこびることあたかも……あとはお考えいただきたい。そのほかまず同じように、屋根はこわれ、床はゆがんでいるような寺はたくさん出てきてしまって、信者は、旧来の信者は、文句をいうことはじょうずだが、お寺をひとつも守らない。また旧来の信者は、折伏などというものはとうに忘れてしまって、お坊さんも、それをいうては信者がいなくなるのを恐れて、いわないというような、大法まさに滅せんとするときが現われたのであります。
このときが、今度は、新しく広宣流布という大作業が現われる。これは、その前兆なのです、そこで、わたし
は、広宣流布近きにありと確信するものであります。
だが、まだまだ、二年や、三年や、五年では、できるべきことではない。これがいよいよできてくるとき、も
うだいじょうぶきたぞというには、これは予言を申しあげておきます。
三類の強敵というものが現われて、その三類の強敵に向かって、われらが敢然と戦いうるときなのです。これ
は、なかなか、口では言えてもやれないことなのです。
三類の強敵と申しますのは、俗衆増上慢と申しまして、一般の大衆が盛んに悪口をいうことと。次には道門増
上慢と申しまして、お坊さんがたが、ただしい正宗のお坊さんではありません、他宗の坊主が、盛んに悪口をい
うことです。その次は、僭聖増上慢と申しまして、世のなかから偉い人だと思われている人が、あだをなすこと
です。
それで、わたくしも仏勅をかしこんで、広宣流布の途上に出たものの、俗衆増上慢しかありませんので、心に
いとさびしく思っておりました。ところが、いよいよ創価学会も十五万世帯を数えるにいたりましたら、お坊さんがたが、まあお坊さんというのももったいないんですが、邪宗の坊主が ー 急に値段が下がってしまった。ー 飯が食えなくなるので、今度は躍起になって、三流の新聞記者を買収して、そうして、さんざんと悪口を言いだしてきた。第二類がでたのだから、まことに学会にとってはめでたい。今度は、第三類が現われてくる番になってくる。それには、第二類がまだまだふえなければならない。この二類がふえてくる途上は、途上にあなたがたは退転させられるのですから、かれらに、用心しなければいけません。わたくしは喜んでおっても、あなたがたが退転してたのではだめなのです。だから念を押しておきます。
ましてや第三類、いちばん上等品です。それが現われてきたときには、あなたがた、たいてい腰をぬかす。そ
のときこそ腰をぬかさんように。第二類ぐらいで驚いているのでは、第三類のほうは、なおこわいのですから。
それには驚かんようにして、そして、われわれは広宣流布をまっとうし、そうして霊鷲山会に大いばりで、『創価学会員、広宣流布をしてまいりました』と、日蓮大聖人様にお目通りのできるように、信心をしていこうではありませんか。
昭和29年10月9日
仙台支部第八回総会
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