聞法下種と発心下種
さきほど、理事長から話しがありましたが、折伏のしかたはよく考えなければならない。
とくに、罰論をいう場合は、しんちょうに、正しくいわなければならない。『お前は死ぬぞ』とか、『お前は三日後に罰が当たる』とか、こういうことを教える組長、班長はいかん。それから相手がわかりたいといっているのに、ただ、『やらなきゃだめだ、やらなきゃだめだ』と、または、『そんな理くつをいってないで拝めばわかる。拝まなきゃ悪人だ』とか、こういう折伏のしかたは、聞いている方がかわいそうであります。もっともへたな折伏法です。
それに信者の奪いあいだが、信者の数で、『あっちの支部はでっかいんだから功徳がある。こっちの支部は小さいから功徳がない』または、『おれの折伏した人がとられちゃった』とか、『とった』とか、そんなことは、よしなさい。信心さえしていれば功徳があるのだから。
下種のことを話す。Aが折伏したが、聞けなかった人を、Bが折伏して入信させた。その場合、Aには功徳がないと思いはしないか。下種には聞法下種と、発心下種の二種類がある。初めて会って折伏した。けれど信心しなかった。これは聞法下種である。ところが、次の人が行って折伏し、御本尊様をいただかせた。これは発心下種である。どちらも下種には変わりはない。功徳は同じである。ひとりでふたりに功徳をいただかせてもらったんだから、良いではないか。
たとえば、ある人を折伏するのに、七人の人が順々に重なって、折伏したとすれば、その人は七人分かせがしてやったことになる。だから、折伏しても、信心させなかったから、功徳がないと思っているのは、これは違う。
最後にお礼をひとつ。みなさんのご協力で、夏季闘争が十二分にできました。また、寺院の建設も、秋田が八月いっぱいにできあがり、軽井沢も来月中旬が上棟式、高崎は二百四十坪の地所がみつかり、すぐに決めて、しごとにとりかかるようになっています。
それから、夏季闘争に出発のさい、主将、副将に、正継寺がもう狭くなって、拡張しなければならないから、なるべく経費を節約して、帰ってくるように頼んでいたところ、あんのじょう余して帰ってきてくれたので、その金で拡張します。お寺さんに代わり、お礼申しあげます。
では、九月からも、しっかり信心して、功徳を受けきってください。そして、明るく愉快に信心してください。
昭和29年8月31日
本部幹部会
豊島公会堂