ご承知のごとく、今月の折伏成果は、七千世帯を出ない。毎月、今月は一万、今月こそ一万を突破するだろうと期待されていながら、その線も出ず、ただ七千にとどまっている。
むかし、わたくしは仙台から飛行機で東京へ帰ってきたことがあるが、その途上、阿武隈川の川下のあたりで烈風にあった。そのころの飛行機は、いまどきのと違って、六人乗りのかんたんな飛行機だから、上下に激しく振動して進まず、いらいらしたことがあった。
わたくしは、がんらい気が短かくて、話しを聞くにも静かに聞くことができない。しょっちゅう飲んだり、食ったり、タバコをすったりして、常に動いている。
以前、青年が、わたくしの寝ているところにきて、『たしかに先生は、寝ていてもじっとしていない。水をのむ、タバコをすうやらして、いったい、なにがそんなにいそがしいのですか。見ている方でかえっていそがしくなる』と、いったことがあるくらいです。
仙台から東京までくるあいだ、飛行機が気流と闘争していたが、その闘争は、見ていてじつにりっぱな闘争であった。しかし、気流を乗りきることができなくて、もがいていた。
学会の闘争もそのようです。去年からことしにかけての闘争で、各支部長は疲れきっている。わたくしは、支部長をみていて、じつにかわいそうだと思う。
かわいそうだと思うけれど、これで良いともいえないし、また、悪いともいえない。
しかし、学会のなかには理事がいる。理事はこれまで、あまり活躍していない。いまこそ、理事の働くときだと思う。そこで、いままでの全理事を、その職から退いてもらって、新たに理事を任命し、このいきずまりを破らんがために、理事に働いてもらう。五月三日に、理事を任命するが、新しく理事になったものは、目の色変えて騒ぐだろうと思うが、そのときは、よろしく応援を頼む。いまは、その支部長の闘争の時代を過ぎて、理事の闘争時代にはいった。
きょうは、みなさんに学問を教える。この日蓮宗学を、人々はわからない。女の子が、よく科学ということばを使う。科学とはなにか。それは、水素に酸素を二対一として化合させると水となる。しかし、これはもう古いと、いまの学生はいう。ここに、機械をおいてあるとして、これに酸素と水素を混合させると、フラスコに水がダラダラ流れてくる。じつに不思議である。妙である。
放射能の死の灰をかぶると、病人となる。科学の力を考えると、いろいろな面で、科学ほど不思議な力を持っているものはないと思う。みな不思議です。電気洗濯機があるが、置いておいただけで、ちゃんと洗濯できる。
あらゆるものが、今日、不思議な世界を現出しつつある。しかし、仏法哲学は、その不思議の上の不思議である。
この仏法哲理は、お山へ行ってもわからない。
人間というものは、こうしていわれたことは知っているが、他人には教えないものです。人間は、親しくなると教えないものです。
このあいだ仙台で聞いたことだが、『おせんこうは三本あげなければいけない』と、班長にいわれたというのである。こんなバカなことがあろうか。
次に出た質問は、竜と大聖人様との関係いかんと出た。こんな関係は、仏法にない。どこで聞いてきたかと尋ねたら、お山で聞いたという。
わたくしはめんくらって、たぶん班長あたりでも、そんなことを教えたのだろうと思っていたから、まさかと思っていたら、坊さんが、日蓮大聖人様と竜との関係を教えたのだそうです。そこに、ちょうど仏眼寺さんが、『三具足に竜がいる』と、教えてくださいましたが、ローソク立ての飾りなんか、仏法の問題ではない。三具足に竜があるかどうか、見ないから知らないが、大聖人様と竜との関係はない。
こういう質問を聞いてくると、仏法をよそにうそを教えているのではないか。
電燈は明るいが、もし線一本でも切れたなら消えてしまう。そういう不思議な世界がある。
しかし、ほんとうに、仏法哲学は不思議な世界である。金がもうかり、病気がなおり、科学と違う、それ以上の不思議な力がある。
これをいいきれるものは、日本にただひとりです。科学、哲学におそれを持たないのは、日本広しといえども、戸田ひとりだけである。ただ南無妙法蓮華経の哲学をもっているものは、戸田以外にいない。
その哲学を残していくから、それをしっかり身につけて、たのむ。
広宣流布を成し遂げていただきたい。たのみます。
手をたたいてみても、毎月一万の折伏ができない。わたくしは、だんぜん理事をつくる。そして、学会は大きな闘争にはいる。
昭和29年4月31日
本部幹部会
豊島公会堂