幸福になれる原理
わたくしが持っている仏法の知識などは、わずかなものです。だから、わが創価学会の会長は、偉いと思ったら、あとで失望するから……偉いと思ってはあいなりません。これはまず第一に言っておかなければならない。
それで、先ほど体験談をした方がありましたなかに、病気のなおった体験発表がありましたが、いったい、信仰するとどうして病気がなおるのか、ということを知らない。そこで、なぜなおるかということにいて話しましょう。
宇宙は、ひとつの生命、われわれは宇宙生命のひとつの生命と同じものなのです。そうして、この宇宙には、変化しないというものがない。宇宙は、変化以外にないのです。
ここにひとつの木がありますが、これは、じーっとしているから、五年もやはりこうなっているだろうと思うでしょうけれども、そのままになってはおりません。きょうも、青葉城へ行ってみましたが、伊達公のおられたときの姿はありません。
まあ、世のなかは変化するものです。わたくしがこうしてすわっておりまして、三十分のあいだ、からだをいっぺんも動かさないとかりにいたします。わたくしのからだは、動いていないと思うでしょう。動かさないのだから。
しかるに、地球はまわっています。わたくしが動かさなくても地球はまわっているから、自然に動いているのです。しかも、わたくしは年をとりたくないと思いまして、このままここへすわったままでじーっとしています。しかるに、髪はちゃんとのびてきます。細胞はほろんでいきます。世のなかに、変化のないものはないのです。これを仏法では無常ともいうのです。
ぜったいに変化がないものがあったら、持ってきてごらんなさい。世のなかは、ぜんぶ変化する。変化するのが、宇宙生命の実体なのです。その宇宙生命の実体という、変化させていくそのおおもとに、変化させていくものがあるのです。
この変化させていくものを、南無妙法蓮華経という。その大宇宙の生命の根元、これが南無妙法蓮華経であるとどうように、われわれの生命の本源が南無妙法蓮華経というものなのです。
ここで、南無妙法蓮華経の話しをします。
われわれのこの血液のなかには、白血球というものがあり、これがばいきんを食いつぶしてくれるのです。たとえていえば、警察や軍隊のような役目をしているのです。その白血球が、あり過ぎても困るし、なさすぎても困る。お灸は事実きく。お灸の宣伝を頼まれたわけではないのですが、それは、白血球をふやす方法としてだいじなのです。もし、白血球が少ないとすれば、われわれは、ばいきんに食われてくると、すぐまいってしまう。
それはわかるでしょう。仙台というところは、学問の町である。仙台人は、日本一、あなた方は仙台人でないかもしれないが……、だが良くわかってください。
わが生命のいっさいを変化させていくところの力ある、南無妙法蓮華経というものがあるとしても、それが働かなかったら、どうにもならないでしょう。白血球がないのと同じなのです。
南無妙法蓮華経といって、大宇宙生命の本体それ自体が、わが生命のなかへ働かなかったならば、ないも同じでしょう。
それを働かせるために日蓮大聖人様は、南無妙法蓮華経という御本尊様を現わされたのです。その御本尊様に向かって、われわれが、南無妙法蓮華経というとき、このわれわれの生命のなかにある南無妙法蓮華経という実体が動き出し、活動するのです。
それで、病気などというものは、へみたいなものであるといえるのです。先に、大宇宙は変化だと言ったけれども、この地球が、三百六十五日で太陽のまわりを一周する。わたくしは、いそがしいから六百日でいこうというものがいたとする。二十四時間でひとまわりしたと思うと、十二時間でまわってしまうときもある。きょうは、五十時間でゆっくりまわるというようなときもある。しかし、こうなっては、区別がつかなくなってくる。ところが、ちゃんと、きちんとまわるようになっているのです。
世のなかが、きちんと行なわなければ狂いが起こり、狂いというものが、人生の幸福というものにとって、大きな反対現象を起こさせるのです。
世のなかに、われわれは楽しむために生まれてきたのであり、それを楽しませないというような条件、これは要するに、地球が三百六十五日に、きちんとまわらないということです。
御本尊様を拝すると、われわれの生命を中心とする力、南無妙法蓮華経という力が現われてきます。この己心の南無妙法蓮華経が躍動してくると、生命の調和がとれ、病気がなおったり、貧乏人が助かったりするようになるのですが、これが、ずいぶん、めんどうな原理でありまして、これが心に浮かんでくるようになると、安心なんだけれども、浮かばないといっても、拝めばよい。
御本尊様は、貧乏人は金持ちになり、肺病はなおる機械である。こういうと、あるものは、御本尊様を機械だなどともったいないではないか、というかもしれぬが、もったいないといっても、そうなんだから、しようがない。肺病がよくなる。貧乏人が金持ちになる。それがたった二百五十円、あれを十万円ぐらいで……十万円だして買いますと、こんどは破ったりしないです。子々孫々まで残していくでしょう。それを表装代だけでいただくものだから、生意気にそまつにする。だから、そういうものをバカというのです。
昭和29年4月25日
仙台支部第五回総会
仙台市公会堂