教学部員に
創価学会の使命は、まさに教学の振興にある。わたくしも、教学部員の養成には、心をくだいている。ひとたび教学部員の助師となって、地方の講義に出ると、その人は、わたくしの代理である。その人がみょうな講義をしたり、わたくしが教えもしない解釈をされると、ひじょうに困るのです。だから、教学に通じている人でないと、助師にはできません。
しかし、いま学会にとっては、講義部員の必要に迫られている。
今度の試験の結果によって、助師、講師に任命する。助講師の級は、来年のいまごろ試験して、講師、助教授にする。助教授も、やはり試験して教授にしていく。この試験は、一問題が二十五点ずつで、担当の教授が採点し、わたくしの問題はわたくしが点をつける。
最低五点はつけるから安心しなさい。
総合計六十点以上の人は、七月十二日に講義してもらう。それによって、任用を決定する。どうか、いまから声をよくしておいて、りっぱなご説法ができるように。
昭和28年6月28日
第二期教学部任用試験
市ケ谷家政女学院曲講堂
人に長たる資格
広宣流布のためとはいえ、支部長、地区部長諸君には、いつもご苦労をかけ、御本尊様もさぞお喜びであろう。
いろいろ話したいが、二、三の点を申しあげる。
第一は、できるだけ一級講義に出席されるよう、組長諸君より、よろしく組員に話してもらいたい。
第二には、組長、班長、地区部長、支部長諸君の『長』についての意見である。人法一箇とは、仏法の大眼目であり、正邪の判別はこれにある。南無妙法蓮華経即日蓮大聖人様であるにもかかわらず、邪宗では、南無妙法蓮華経の法を立て、久遠実成の釈迦を人に立てている。人法のそろわぬことは大問題である。
人生も、すべて人法一箇でなくてはならぬ。『長』にも人法がある。家長として完全な方がいようか。家長の境涯がはっきりわからねば『長』がつとまらぬ。
長たるものには、資格が必要である。資格とともに力がなければならぬ。地区部長、支部長が他人を相手にするに、他人が自分の言うごとく働きをするわけがない。自分をどれほど事実の上でぶつけているか、事実上の悩み、問題があるはずである。
ぜったいにいばってはならない。仏の慈悲を胸に受け、自分の夫をいとおしむがごとく、情熱こめて指導しなさい。
『長』たるものが、人に尊敬される資格はない。あるとすれば、大御本尊様の功徳であり、もったいないことである。
この気持ちが、支部長、地区部長、班長、組長に通じたならば、そのまま御本尊様に通ずるものである。
自分の姿をよくみつめ、位置にあるものは喜び、真剣に仏勅に励め、必ず功徳がある。会長としてみなさんとともに立つのは、いっさいの人を幸福にしたいためである。これが、唯一の願いである。
昭和28年6月30日
本部幹部会
東京教育会館