私は末法の凡夫
わたくしが最初蒲田へきたころは、だれもかれも、みな顔を知っていて、『近ごろはどうだ』などと、お互いに親しく話し合ったものですが、いまは何千とふえ、きょう、ここにきている人も、わたくしと初めて会う人が多いと思う。
それで、講演とは、いつも学会でやっている一級講義や、二級講義のように、やかましい理くつをのベることですから、蒲田にきたら、むずかしい講義はやらない方がいいと思います。
会長というと、なにか偉そうにみえるが、さきほどからあなた方が、わたくしの、足を出したりひっこめたり、横をむいたり前をむいたりしているありさまを見ているように、わたくしは、したいことを自由にしているのです。
わたくしは会長になりたくなかったのです。それは、会長になれば、どうしても大闘争をやらなければならないことを、よく知っていたからです。わたくしは好きなことをやっている凡夫なのです。もし、わたくしが生き神様とか、生き仏とかいわれるならば、とっくの昔に死んでいます。わたくしは、自分のしたいほうだいのことをやって、そのまま御本尊様にご奉公をしていこうという立ち場なのです。
『長』と名がつけば、なにか特別に偉いものになったように思うのは誤りです。同じ凡夫の境涯にあって、お互いに指導をし、指導を受けるというのが、ほんとうだと思う。もし、自分は偉いという班長がいたら、わたくしに会わせて欲しい。
お互いに悩みや苦しみがある。それを解決するために信心している。世のなかをご覧なさい。貧乏人だらけです。いまの世に、自分はしあわせだという人はないのです。もし自分は金持ちだ、自分は少しもけんかをしない、という人があったら、出てきてもらいたい。
これをなんとかしなくてはならない。会長になるのがいやだ、などといってはいられない。これを、支部長、地区部長にたのんで助けてもらっている。その立ち場からいえば、各人が協力して、助け合っていかねばならないのです。
貧乏人、病人は、ほんとうに助かります。そのふたつの実例を話します。
そのひとつは、いまから二十余年前、わたくしが折伏したひとりの女の人がいる。その人は、主人に別れて未亡人となり、子どもを三人かかえていたのである。その人が信心を始めて、二十何年間、信心しつづけた。いま、評判によれば、一億の財産を持っているという話しである。
もうひとつは、子母沢寛という小説家がいる。この人が、昔、わたくしのところに金を借りにきた。そのわけを聞くと、『娘が死ぬのだ』という。『博士を四人、五人とたのんでも、病名がわからぬ。死んだら金がいるから借りに来た』といった。これが三月二十七日のことで、その娘は、四月十日に結婚式をすることになっていた。
わたくしは『信心をやれ』といった。かれはためらっているので、わたくしは『もし病気がなおって、念願の四月十日までに結婚式ができたら、やるか』というと『やる』といって始めた。かれは、富士の方にむかい、経をあげ、題目を唱え、護秘符を娘にいただかせた。これが三月二十七日のことである。
四月三日に、かれの家へ行ってみると、いままでなにひとつ食べられなかったのが、くだものを食べ始めたとのことである。七日にまた行ってみると、『歩ける』という。そして、十日にはきちんと結婚式をあげたのである。
大御本尊様の威力はぜったいです。そんなりっぱなものなら、なぜいままで広まらなかったのか、とよくいわれる。これは大問題である。御本尊様の功徳はぜったいである。太陽はいつでも変わることなく熱い。しかし、朝早くせんたく物を干しても、なかなか,かわかない。太陽が真上にきたとき、たちまちのうちにかわくのである。
日蓮大聖人様が、大御本尊様を建立されて、七百年にして、いまわれわれ不幸に沈む人々の上に、大御本尊様が輝きわたっているのである。これが、これから一万年つづくか、二万年つづくか、とにかくすごい功徳である。
いま信心をやらないものはバカです。大きな損をするのである。
もし、天照大神や観音菩薩がいま出てきたら、わたくしの前にすわって、末法仏法流布の労をねぎらい、礼をいうであろう。
また、あなた方に対しても同じようにする。あなた方の地位は、ぜったいである。功徳はぜったいにある。しかし、信力、行力がなければ、御本尊様から、法力、仏力は与えられないのである。
先ほどの体験のような功徳は、功徳のなかにはいりません。わたくしの受けた功徳を、この講堂いっぱいとすれば、あんなのはほんの指一本です。
いかなる大難があろうとも、わたくしは、広宣流布の大願をぜったいに捨てません。命をいますぐにでも捨てます。なんでこの命をおしみましょうか。わたくしは、一日も早く霊鷲山に行って、お目通りしたい気持ちでいっぱいです。しかし、行く前には、するだけのことをやっておかなければ、御本尊様のおしかりを受けます。わたくしのもっともこわいもの、もっともなつかしいものは、大御本尊様だけです。
わたくしは、やるべきことをやっていきます。それは、貧乏人と病人、悩み苦しんでいる人々を救うことです。
そのために、声を大にして叫ぶのです。
昭和28年6月21日
蒲田支部第三回総会
星薬科大学講堂