正継寺落慶式に
わたくしが寺を建てるということは、もう生まれつきみたいな念願になっています。最初のこころみに、ひとつの寺を建ててみた。まずそれが常在寺であります。今後は、常在寺のような寺は建たない。常在寺のような寺を建てるということは、とても金がかかってできない。今後の寺は、かんたんな建物となるかもしれない。
学会人が、長年寺を建てると念願していた。その念願は、四月に破れてしまった。
宗会からは文句をいわれ、わたくしどもの首をとるなどといわれた。
鶴見のお寺の建物も、そのため、便所みたいなような、でないような形態になってしまった。もしわたくしの気持ちを通してもらえばよかったのです。少なくとも、鶴見に不安のないようにしたかったが、そのようにやらせなかったため、みょうなものを造ってしまったのです。
しかし、そのときの人間の、その動きがだいじであって、きょうのことばで思い出してみてください。当時、まことに情けないと思ったが、そのまま小さな森田君の別宅を改造して造った。あのときの式にのぞんだ人には、自ら心の底にひとつの不満やなにかがあることをみました。
しかるに、いま橋本のこの寺を造るときは、かまわない、造りたいものを造りなさい、君のやりたいように造りなさいという。それが、いま開堂入仏式をみ、もったいなくも御法主上人猊下のご来臨をかたじけなくし、たいへん心のなかにうれしく思っています。このりっぱな厨子、この寺は小さなものだけれども、とにかくできた。
次に成増、高崎に寺院建設が待っております。まったく本部を造るひまはない。常泉寺さん、常在寺さんを造ったのも、信者の熱意でできたとわたくしは信じております。そして、そのひとつの形ができたことは、ひじょうにうれしい。
橋本は、いま大橋住職を迎えた。先生は、信者のきげんはとれん人だが、信者の赤飯を食うぐらいはできるでしょう。月給取りが会計を持つような坊さんとしてはだめかもしれん。それはできんかもしれんが、道を求め、教学に熱心なことは認めている。
この橋本は、大橋住職を赤ん坊のようにしてだいじにかかえ、きょうのよき日を、こんこんと心に留め、ぜったいに恥をかいてはならない。ぜったいに恥をかいてはいかんと、わたくしは、きょう命じておきます。
りっぱな折伏の道場、りっぱな折伏の法城として、邁進するように努力すべきだというて、きょうの祝辞にかえる。
昭和28年5月31日
正継寺入仏開堂式
日蓮正宗橋本正継寺