折伏は仏との約束
折伏の行者、学会の会長として、宗教革命にいどんでおります。革命には必ず犠牲がつきものだが、しかし、わたくしは自分を犠牲にはしない。一家幸福のうちに断行できるのである。
革命とは、暴力を用いることでなくして、ひとりひとりに、御本尊様を拝ませることである。これすなわち仏の使いであり、昔、御本尊様にお会いして約束してきたから、その約束を果たせば功徳があるのである。この約束が折伏である。
邪宗の本尊は、人の命を食うことは知っているが、幸福にすることはできない。われわれがお山に行って、たった三百円でお参りができるのは、もったいないことである、もし、小笠原慈聞が身延へ売ったとしたら、何万円出しても拝することはできなかったであろう。
この偉大な御本尊様に、みな、貸しでもあるように、ご利益をくださいくださいと願っている。そんなことではなしに、折伏してごらんなさい、必ず功徳がある。
鶴見も、すこし学問して、蒲田に負けないようにおなりなさい。だからといって、仕事をないがしろにしろというのではない。御書(檀越某御返事一二九五ページ)に、『御みやづかいを法華経とをぼしめせ』とありますが、商売をそっちのけにするのは謗法である。こんど会う日には、貧乏人は金持ちに、その他の悩みも、信心によって解決して会いましょう。
昭和28年3月1日
鶴見支部第二回総会
日の出学院