信心による指導が根本

 

 信心強盛な支部と、しからざる支部とが判明してきたが、折伏の数を強要してはならぬ。幹部諸氏の、慈悲ある生活指導を望む。折伏もせずに、世法の相談にきてもなにもなりません。信心による指導が根本であるから、道を求めてくるように。

 

昭和27年9月30日

本部幹部会

神田旧学会本部

 

 

成仏の境涯を体得せよ

 

 信心をして、病気がなおった、やれ夫婦げんかをしなくなったとか、子どもが良くなった等の、ご利益をいただいた体験は聞くが、これらはほんの小さな功徳にすぎぬものである。これについて、きょうはすごい功徳を話すことにする。

 

 われわれは、この世に生命を受けて生きているが、決して今世だけの生命ではない。過去、現在、来世にわたって、三世の生命を体得するのである。

 

 今世で死すとも、また生まれてくる。半年、一年ぐらい信仰し、やっと自分の心にだけわかったというのでなく、ほんとうに自分のものとして消化し、これを信じきれるや否や、ということが問題である。

 

 現世において貧乏であり、また商売をやってもよくいかぬ。からだが弱くて、病気つづきであるとか、不幸をみつめながら、自分の身を不幸とは思わず、生命の永遠さも体得せぬものは、現世の生命そのままを、来世に持続していくのである。

 

 そこで、その貧乏を、その不幸を、幸福な状態にもっていく、これを成仏という。そのためには、御本尊様をよくみつめて、真剣に取り組むよりほかにない。死ぬまで強固な信心をしつづけることである。成仏の境涯を、死ぬまでかかってつかむことである。この境涯は、永劫にわたりつづくものなのである。

 

 願わくは、それぞれの立ち場において、自分の宿命、不幸をよくみつめ、成仏の功徳をはっきりつかんで、死ぬことができるよう願うものである。

 

昭和27年10月12日

蒲田支部第二回総会

日蓮正宗品川妙光寺