魔王の試練
ただいまは、法が滅びるときであろうか、興るときであろうか。法が滅びるとき、その方につくものには、現証はない。興る方につくものには利益がある。初信の人は、きょうの体験発表のとおり、ご利益がある。その功徳は、なんのためにおきるかといえば、法がもっとも尊いからである。
これを、山にみた場合、最高の山の頂上が成仏であり、利益の最高である。成仏とは、永遠の生命を感得することであって、いつ、いかなるときにでも、ぜったいの幸福で、成仏といっても、ことばではあらわせないため、死ぬまでに、物心両面が満ち、その証拠をとる。
初信の功徳は、山へ登ることであり、成仏は、それよりも高い山へ登るのであって、これは世法のご利益を得るのではない。低い山から最高の山へ登る中間には、必ず谷があり、この谷に、みなさんは迷う。これこそ鬼子母神、十羅刹、魔王の試練で、初信のものは、これに驚き負けてしまう。この第六天の魔王の試練の罰に負けてはならない。谷へ落ちたとき、これでなるものかと、最高の山へ登るためにいちど谷へ落ちたことを信じ、よくよく小山より大山へ登る谷へ、考えをいたさなければならない。これこそ、三障四魔が紛然として競いおこったのであり、初信の功徳に、酔うべきではなく、谷間への信心であることを、深く考えて、毎日の信心をおこたってはならない。
昭和26年9月16日
合同座談会
日蓮正宗向島常泉寺