民族復興の道

 

 民族が復興するには、必ず哲学が必要である。哲学は、また、実践を伴わなければならない。実践のない哲学は、観念の遊戯にすぎないのです。戦時中、神道を強制して大失敗をしたわが国は、終戦後、いかなる哲学と道徳をもって、復興すればよいのか。

 

 世間をごまかした邪宗教や、破壊的な共産主義思想がはびこっている現在、わが創価学会は、偉大な日蓮正宗の哲学を身に帯して実践し、祖国の復興に寄与しなければならないのであります。

 

 日蓮正宗信者の各位は、その分に応じて努力しておられるが、まだまだ、なまぬるいものであり、時代の先覚者というものは、殺されようが、焼かれようが、けつぜんとして突き進む覚悟が必要なのであります。もとより、その時代が必要としないものは、努力してもむだであり、いまの世のなかに、鎧、兜の広まるわけがありません。

 

 ところが戦時中に、もんぺが期せずして広まったごとく、その時代の国民生活に必要なものが現われたなら、必ず広まらなくてはならないのです。

 

 戦いに敗れたわが国が、真に道義と平和を愛好する民族として再起するためには、正しい宗教と正しい思想に根底をおいて、その上に、政治、経済、文化等を、打ち立てなければならないことは、いうまでもありませんが、この欲求をみたしうるものが、わが日蓮正宗の哲学であり、その根本が大御本尊様なのであります。

 

 かかる意義深い大御本尊様が、わが国に厳存しているにもかかわらず、多くの日本人は、ほとんどこれを知りません。われわれ学会員は、かかる不憫と煩悶の時代にあって、たとえ命を捨てることがあろうとも、親と妻子を捨てなければならない事件がおきようとも、はたのものが退転しようと止めようと、その屍をのりこえて、けつぜんとして進もう。これこそ、唯一無上の学会の大使命であります。

 

 この大使命をもって、わたくしとともに進もうではありませんか。この堅い決心のないものは、いますぐにでも、学会を去るベし。われらは、いよいよ信心強盛にして、その屍をのりこえて進むのみ。

 

昭和23年10月17日

創価学会第三回総会午後

東京教育会館