語訳(妙法蓮華経如来寿量品第十六)……見開きページ(668-670㌻)

 

白などの意。曼陀羅華とは天華の名である。釈尊の経文には多く引用される。この華は色がきれいで、見る者をして喜びの心をおこさせるという。

 全インドおよび群島に産して、暑いときに花を開き、六、七月ごろ実を結ぶ。葉が多くて大樹陰を作る。インドではその花蕾は愛の神の一投箭に付せられる五花の一なりという伝説がある。

 

【三宝】仏宝、法宝、僧宝をいう。文底の仏法では仏宝は久遠元初の自受用身すなわち日蓮大聖人、法宝は、三大秘法の南無妙法蓮華経、僧宝は第二祖御開山日興上人と立てるのである。

 日蓮正宗以外の他宗では、三宝の立て方、敬い方を誤るゆえに、功徳がなく大罰あり、邪宗と名づけるゆえんである。

 

【我も亦為れ世の父】文上の仏法では、世の父とは久遠実成の釈尊である。文底の仏法では御本仏日蓮大聖人である。

 御義口伝(七五七㌻)にいわく、

「第十六我亦為世父の事

御義口伝に云く我とは釈尊一切衆生の父なり主師親に於て仏に約し経に約す、仏に約すとは迹門の仏の三徳は今此三界の文是なり、本門の仏の主・師・親の三徳は主の徳は我此土安穏の文なり師の徳は常説法教化の文なり親の徳は此の我亦為世父の文是なり、妙楽大師は寿量品の文を知らざる者は不知恩の畜生と釈し給えり・経に約すれば、諸経中王は主の徳なり能救一切衆生は師の徳なり又如大梵天王一切衆生之父の文は父の徳なり、今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る者は一切衆生の父なり無間地獄の苦を救う故なり云云、涅槃経に云く『一切衆生の異の苦を受くるは悉く是れ如来一人の苦』と云云、日蓮が云く一切衆生の

異の苦を受くるは悉く是れ日蓮一人の苦なるべし」

 

【放逸にして五欲に著し、悪道の中に堕ちなん】五欲は前の語訳参照。

 御義口伝(七五八㌻)にいわく、

「第十七放逸著五欲堕於悪道中の事

 御義口伝に云く放逸とは謗法の名なり入阿鼻獄疑無き者なり、今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る者は此の経文を免離せり云云」

 

【道を行じ道を行ぜざる】行道とは折伏に励むこと。不行道とは折伏をしないこと。

 御義口伝(七五八㌻)にいわく、

「第十八行道不行道の事

 御義口伝に云く十界の衆生の事を説くなり行道は四聖・不行道は六道なり、又云く行道は修羅人天・不行道は三悪道なり、所詮末法に入っては法華の行者は行道なり謗法の者は不行道なり、道とは法華経なり、天台云く『仏道とは別して今の経を指す』と、今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉るは行道なり唱えざるは不行道なり云云」

 

【毎に自ら是の念を作す】御本尊がいつも、このように思われている。

 御義口伝(七五八㌻)にいわく、

「第十九毎自作是念の事

 御義口伝に云く毎とは三世なり自とは別しては釈尊惣じては十界なり、是念とは無作本有の南無妙法蓮華経の一念なり、作とは此の作は有作の作に非ず無作本有の作なり云云、広く十界本有に約して云わば自とは万法己己の当体なり、是念とは地獄の呵責の音・其の外一切衆生の念念・皆是れ自受用報身の智なり是を念とは云うなり、今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る念は大慈悲の念なり云云」

 

【何を以てか衆生をして無上道に入り速かに仏身を成就することを得せしめんと】御本尊が常に、どうしたならば、衆生をして、無上道であるところの三大秘法を信じさせ、速やかに仏の境涯にしてやることができるだろうかと、念じておられる。

 御義口伝(七五九㌻,)にいわく、

「第二十得入無上道等の事

 御義口伝に云く無上道とは寿量品の無作の三身なり此の外に成就仏身之れ無し、今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る者は成就仏身疑無きなり云云」

御義口伝(七五九㌻~七六〇㌻)

【第廿三久遠の事】

 御義口伝に云く此の品の所詮は久遠実成なり久遠とははたらかさず・つくろわず・もとの儘と云う義なり、無作の三身なれば初めて成ぜず是れ働かざるなり、卅二相八十種好を具足せず是れ繕わざるなり本有常住の仏なれば本の儘なり是を久遠と云うなり、久遠とは南無妙法蓮華経なり実成無作と開けたるなり云云。

 

【第廿四此の寿量品の所化の国土と修行との事】

 御義口伝に云く当品流布の国土とは日本国なり惣じては南閻浮提なり、所化とは日本国の一切衆生なり修行とは無疑曰信の信心の事なり、授与の人とは本化地涌の菩薩なり云云。

 

【第廿五建立御本尊等の事】

 御義口伝に云く此の本尊の依文とは如来秘密神通之力の文なり、戒定慧の三学は寿量品の事の三大秘法是れなり、日蓮慥に霊山に於て面授口決せしなり、本尊とは法華経の行者の一身の当体なり云云。

 

【第廿六寿量品の対告衆の事】

 御義口伝に云く経文は弥勒菩薩なり、然りと雖も滅後を本とする故に日本国の一切衆生なり、中にも日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る者是なり、弥勒とは末法法華の行者の事なり、弥勒をば慈氏と云う法華の行者を指すなり、章安大師云く「為彼除悪即是彼親」と是れ豈弥勒菩薩に非ずや云云。

 

【第廿七無作三身の事 種子尊形三摩耶】

 御義口伝に云く尊形とは十界本有の形像なり三摩耶とは十界所持の物なり種子とは信の一字なり、所謂南無妙法蓮華経改めざるを云うなり三摩耶とは合掌なり秘す可し秘す可し云云。