語訳 (妙法蓮華経方便品第二)……各見開きページ毎(642-643㌻)
【妙法蓮華経方便品第二】方便には三方便がある。法用方便、能通方便、秘妙方便である。法用方便、能通方便は、小乗経、権大乗経で用いる方便であり、方便品第二に「正直に方便を捨てて但無上道を説く」といわれる方便である。
「方便品第二」の方便とは、秘妙方便であり、真実に通ずる方便である。
御義口伝(七一三㌻)にいわく、
「第一方便品の事文句の三に云く方とは秘なり便とは妙なり妙に方に達するに即ち是真の秘なり、内衣裏の無価の珠を点ずるに王の頂上の唯一珠有ると二無く別無し、客作の人を指すに是長者の子にして亦二無く別無し、此の如きの言は是秘是妙なり、経の唯我知是相・十方仏亦然・止止不須説・我法妙難思の如し故に秘を以て方を釈し妙を以で便を訳す正しく是れ今の品の意なり故に方便品と言うなり記の三に云く第三に秘妙に約して釈するとは妙を以ての故に即なり円を以て即と為し三を不即と為す故に更に不即に対して以て即を釈す。
御義口伝に云く此の釈の中に一珠とは衣裏珠・即頂上珠なり、客作の人と長者の子と全く不同之無し、所詮謗法不信の人は体外の権にして法用能通の二種の方便なり爰を以て無二無別に非るなり、今日蓮等の類南無妙法蓮華経と唱え奉るは是秘妙方便にして体内なり故に妙法蓮華経と題して次に方便品と云えり、妙楽の記の三の釈に本疏の即是真秘の即を以円為即と消釈せり、即は円なれば法華経の別名なり即とは凡夫即極・諸法実相の仏なり、円とは一念三千なり即と円と言は替れども妙の別名なり、一切衆生実相の仏なれば妙なり不思議なり謗法の人今之を知らざる故に之を秘と云う、又云く法界三千を秘妙とは云うなり秘とは
きびしきなり三千羅列なり是より外に不思議之無し、大謗法の人たりと云うとも妙法蓮華経を受持し奉る所を妙法蓮華経方便品とは云うなり今末法に入つて正しく日蓮等の類の事なり、妙法蓮華経の体内に爾前の人法を入るを妙法蓮華経方便品とは云うなり、是を即身成仏とも如是本末究竟等とも説く、又方便とは十界の事なり又は無明なり妙法蓮華経は十界の頂上なり又は法性なり煩悩即菩提生死即涅槃是なり、以円為即とは一念三千なり妙と即とは同じ物なり一字の一念三千と云う事は円と妙とを云うなり円とは諸法実相なり、円とは釈に云く円を円融円満に名くと円融は迹門円満は本門なり又は止観の二法なり又は我等が色心の二法なり一字の一念三千とは恵心流の秘蔵なり、□は一念なり員は三千なり一念三千とは不思議と云う事なり、此の妙は前三教に未だ之を説かず故に秘と云うなり、故に知ぬ南無妙法蓮華経は一心の方便なり妙法蓮華経は九識なり十界は八識已下なり心を留めて之を案ず可し、方とは即十方十方は即十界なり便とは不思議と云う事なり云云。
【爾の時】文上では、釈尊が序品第一の無量義処三昧から起たんとする時。文底では、末法の時。
【世尊】仏と同じ。仏の十号の一つ。仏は世界で、もっとも尊い人であるから、世尊と名づける。文上(釈迦仏法)より読めば法華経迹門の釈尊。文底より読めば末法の御本仏日蓮大聖人のこと。
【三昧】梵語である。訳せば、定、正受、調査定、等持、等念などという。心を一処に定めて動かさぬこと、文上では無量義処三昧をいう。そのほか、法華三昧、海印三昧、獅子奮迅三昧、念仏三昧など、釈尊一代経中には無数の三昧がある。
文底では、三昧とは、われわれが一心に御本尊を拝んでいる境地である。
【安詳として】安らかで静かに。
【舎利弗】釈尊の十大弟子の第一で、智慧第一といわれる。阿弥陀経で三十余度も名を呼ばれても成仏できなかったが、迹門方便品の対告衆となり、譬喩品で信をもって成仏し華光如来と記別された。王舎城の北の那羅のバラモン族で目連と共に外道を学び各々百名の弟子をもっていた。小さいときから頭が良く、八歳で王舎城中の学者と討論して負けなかったという。釈尊が成道して二年目に、仏に帰依して、その上首の阿羅漢となった。釈尊の死ぬ悲しみを見るに忍びず、釈尊が死ぬ前に故郷に帰り、母を折伏した後に死んだ。釈尊は大いにほめて塔を建てて供養したという。
過去世に乞眼のバラモンの責めに堪えかねて、六十劫の菩薩行を退転したことは有名である。
文底からいえば舎利弗は末法の衆生ということ。
【諸仏の智慧】あらゆる仏が自ら覚られた智慧をいうのである。文上の天台学では、この諸仏の智慧は実智と権智がある中でも実智である等という。文底から読めば、要するに、御本尊の広大無辺なる智慧をいうのである。天台の文上の読み方は所破といって、完全に打ち破って捨て去らなければならない。われわれは借文といって文を借りて文底から読んで、大聖人の仏法をあらわすのである。以下の語句も、そのように心得ベきである。
【甚深無量】その智慧が非常に深くて、量りがたいという、ほめたたえた言葉、縦には永遠にわたって深い智慧であるから甚深といい、横には全宇宙にわたって広い智慧であるから無量という。
【其の智慧の門】天台では、家に入るのに門から入るように、仏の教えに方便の教えがあり、それが権智であるという。
また道前を権、道中を実としている。文底より読めば、日蓮大聖人の仏法には方便権教はまったくないから、折伏さ