妙法蓮華経の訳者

 

 この法華経二十八品は、釈尊がパリ語あるいはサンスクリット(梵語)で説いたようであります。そして釈尊の死後に、遺弟によって梵語で結集され、そして法華経は広く各国語に訳されているが、中国語訳としては、六訳三存といって、今三本だけ現存しているといわれます。

 

 この三本の中で、羅什三蔵訳の原本がもっとも古本であるとされ、また訳としては羅什三蔵訳のもののみが仏の真意を伝えるものであると、日蓮大聖人はおおせでありますが、あらゆる学者も、空前の珠玉のごとき名訳として認めております。ゆえに、今では、この羅什三蔵訳の妙法蓮華経のみが用いられております。この妙法蓮華経を略して法華経といっております。

 

 それでは羅什三蔵という人は、どんな人でありましょうか。鳩摩羅什の父は鳩摩羅炎というインドの名門の人で、亀国で耆婆という賢い国王の妹と結婚して、生まれたのが羅什であるといわれております。七歳で出家し、幼いころから非常な秀才でありました。

 大乗仏教を、須梨耶蘇摩大師という人から学びました。須梨耶蘇摩は、羅什に、とくに法華経を授与して「此の経典は東北に縁あり、汝、慎んで伝弘せよ」と命じたといいます。

 

 羅什は、後にそのとおりに、東北の国である中国に渡り、国王の命を奉じて、優秀な弟子三千人を指導して、中国語訳の妙法蓮華経を完成しました。さらに、この法華経が東北の国である、もっとも縁の深い日本の国に渡ってきたのであります。

 

 この訳について、次のような話が、伝わっております。時の中国の国王は、強いて羅什に家庭生活をさせましたので、羅什は清浄な僧院の生活をしていませんでした。そこで死ぬときに「自分は戒律を破って、妻や子をもつ俗人のけがれた生活をしたが、口で述べたことは少しも仏意にそむかなかった。ゆえに自分の死後、火葬にするときに、不浄な肉体は焼けてしまうだろうが、清浄な舌のみは焼けずに残るであろう」と、弟子たちに遺言しました。はたして、そのとおりになったといわれます。

 

 日蓮大聖人は、御書の中で、次のように、おおせられております。

じて月支より漢土に経論をわたす人・旧訳・新訳に一百八十六人なり羅什三蔵一人を除いてはいづれの人人も悞らざるはなし……但し一の大願あり身を不浄になして妻を帯すベし舌計り清浄になして仏法に妄語せじ我死なば必やくべし焼かん時舌焼けるならば我が経をすてよと常に高座にしてとかせ給しなり、上一人より下万民にいたるまで願じて云く願くは羅什三蔵より後に死せんと、終に死し給う後焼きたてまつりしかば不浄の身は皆灰となりぬ御舌計り火中に青蓮華(しょうれんげ)生(おい)て其の上にあり五色の光明を放ちて夜は昼のごとく昼は日輪の御光をうばい給いき、さてこそ一切の訳人の経経は軽くなりて羅什三蔵の訳し給える経経・殊に法華経は漢土にやすやすとひろまり給いしか」(御書全集二六八ページ)

 

 法華経は、一般に妙法蓮華経八巻二十八品といわれております。品とは今でいえば、章とか科とかいうような意味であります。また「法華三部経」ということも聞きますが、これは法華経の開経である無量義経(曇摩伽佗耶舎(どんまがだやしゃ)三蔵訳)一巻と、法華経の結経である観普賢菩薩行法経(曇摩密多三蔵訳)一巻とをあわせた十巻を総称していいます。法華経十巻といわれるのが、これであります。

 

 法華経二十八品のうち、序品第一より安楽行品第十四までを迹門、涌出品第十五より勧発品第二十八までを本門といいます。

 

 迹門の肝心は方便品第二にあり、諸法実相に約して理の一念三千を説き、また二乗の作仏を説いております。本門の肝心は寿量品にあり、久遠実成を説きあらわし、因果国に約して事の一念三千を説き、かつ神力品において地涌の菩薩に付属しているのであります。

 

 簡単にいえば、迹門というのは、天の月が水に映った影、すなわち水月のようなものであり、本門は本体である天月のようなものである、という関係にあります。迹門は生活の理論を説き、本門は現実の生活を説いているのであります。すなわち、迹門は家の設計図のようなものであり、本門は実際にできあがった家のようなものであります。ゆえに迹門よりも、本門の方が、きわめて勝れているのであり、天地雲泥の差があるのであります。