法華経には「諸の無智の人有り悪口罵詈等し刀杖瓦石を加うる乃至国王・大臣・婆羅門・居士に向って乃至数数擯出せられん」等云云
これは法華経の勧持品を大聖人様が、簡単にお引きあそばしたのですが、これを三類の強敵といいます。俗衆増上慢というのは、普通の人が悪口をいうのです。「満足な生活もしていないくせに南無妙法蓮華経といえなんて、生意気だぞ」などといってるのは、俗衆増上慢です。そして道門増上慢というのは、今度は坊さんです。
法華経のことを知ったかぶりしてる僧侶、仏法のことを知ったかぶりしてる僧侶、それが、南無妙法蓮華経だって日蓮正宗だって、小さくてダメではないかと、あんなのは、ああだ、こうだと文句をいうのです。高佐日煌などというのがいますが、これなんか、ずいぶん、宗門改造という新聞で悪口をいっていますが、何も知ってはいません。二箇相承がウソだなどという愚か者です。
ところが、そういわれると聞いた方は、ああもっともだなんて言う、これを道門増上慢というのです。
それから僭聖増上慢といいまして、偉そうにしているものがいるのです。とても立派そうに見える。その立派そうにした者が日蓮正宗の悪口をいう。そういうのを三類の強敵というのです。それを経文にあるように、日蓮はわが身に三類を受けたりと仰せになっているのです。
獄卒が罪人を責ずば地獄を出る者かたかりなん当世の王臣なくば日蓮が過去謗法の重罪消し難し
獄卒がおって、罪人を責めなければ地獄から出られないだろう。それと同じく、今の王臣がいて、日蓮を佐渡まで流さなかったならば、日蓮はまことの仏にはなれないであろうという御宣言です。
日蓮は過去の不経の如く当世の人人は彼の軽毀の四衆の如し人は替れども因は是一なり
不軽菩薩という方が、衆生の胸にかかっている御本尊を拝んだ。すなわち仏性礼拝というのですが、その不軽が皆の仏性を、二十四文字の法華経を唱えて仏になった。ところが、その間、不軽は全部の人にいじめられたのです。こうして不軽はいじめられとおして最後に仏になった。しかるに、日蓮がかくのごとく日本じゅうの人にいじめられて、仏になれぬわけがない。不軽が仏になったなら、わが身も仏になるであろうと仰せられている。
父母を殺せる人異なれども同じ無間地獄におついかなれば不軽の因を行じて日蓮一人釈迦仏とならざるべき
すごい確信です。親を殺した者は誰であろうと、皆無間地獄に堕ち罪を受ける。不軽が仏になる原因を行じて仏になったのに、日蓮が今、不軽と同じく仏になる道を行じているのに、自分のみが仏にならないわけがない。自分は仏になるぞと仰せられているのです。
又彼諸人は跋陀婆羅等と云はれざらんや但千劫阿鼻地獄にて責られん事こそ不便にはおぼゆれ是をいかんとすべき
跋陀婆羅というのはおもしろい人です。これはこういうわけです。不軽菩薩という人が法華経を説いていた時に、さんざん不軽菩薩にケンカをふっかけた民衆がいた。それが不軽菩薩という人が釈迦仏という仏になった時には、不軽菩薩をいじめた人たちが、跋陀婆羅菩薩という菩薩になってそばにいたというのです。ところが、そこまでくる間に千劫というから、一劫は、いろいろ説がありますが一説によると八百万年ですから、八十億年の間地獄に堕ちていたというのです。それが今度は不軽菩薩が釈迦仏として生まれてきた時には、跋陀婆羅菩薩としてそばにいたというのです。仏教理論というのは実に深いものです。
彼軽毀の衆は始は謗ぜしかども後には信伏随従せりき罪多分は滅して少分有しが父母千人殺したる程の大苦をうく
この不軽菩薩についた四衆というものは、後で皆信伏随従したけれども、不軽菩薩が法華経を説いた時にはずいぶん反対した。信伏随従したので、ほとんど罪は消したけれども、少し残った。その残った罪だけで、千劫の間阿鼻地獄にいたという。それをよくみなも考えてみよと、大聖人様は厳然と弟子どもにおっしゃっているのです。
当世の諸人は翻す心なし譬喩品の如く無数劫をや経んずらん三五の塵点をやおくらんずらん。
大聖人様の御慈悲はここに出て来ております。当世の人間は、大聖人の御説法に耳を傾ける気持ちがない。譬喩品において説かれているように、一生涯のみならず、無数劫が間、仏にあうこともできず、幸せになることもできない。今でいえばルンペンみたいな生活をするであろう。あるいは三五の塵点をおくるであろう。すなわち三千塵点劫、五百塵点劫の間、仏にあうことなくして苦しみの世界にいるであろう。可哀想なものだと大聖人様はおおせなのです。
これはさてをきぬ日蓮を信ずるやうなりし者どもが日蓮がかくなれば疑ををこして法華経をすつるのみならずかへりて日蓮を教訓して我賢しと思はん僻人等が念仏者よりも久く阿鼻地獄にあらん事不便とも申す計りなし
これはこわいところです。大聖人様が佐渡へ流された。世間の人からみれば実に敗残兵です。法華経を立てて、日蓮房は法華経一門の総大将といっているにもかかわらず、佐渡の国まで流された。なんだあのざまはということになったのでしょう。早くいうと国法と仏法の戦いにおいて、この時は、仏法が負けたのです。佐渡へ流されたのだから、日蓮大聖人様が負けたのです。とうとう日蓮房は流されたではないか、というのが念仏宗の僧侶のいうことだ。そうするとふだんは大聖人様はご立派だとかなんとかいっていながら、日蓮大聖人の御弟子でありながら、やあ、とうとう負けたと。日蓮御坊は佐渡へ流された。自分はもうそんなのといっしょにいるのはいやだ、やめようと。こういうふうに、弟子でありながら、あんな人なんか本当だかどうだかわからない、やめようといって、退転した者の方が、罪は何十倍と大きいぞといっているのです。こわい御書です。
宮城県に平という所がある。そこに私が班長をさせた男がいたが、五十何世帯か六十世帯ほど持ったら気が大きくなって、そこで何か自分で商売をやってみたくなったらしい。それで、学会に総連名で班長が大将になって脱会届けを出してきた。そのときに指導部長やその他の人を当地へやった、何もいってこいといわない、ただ見ていなさい、天下の戸田に反対してやるならやってみろ、三年たたずにろくな生活ができなくなることをいいきっておくから、それだけいってくるようにといってやった。案の定、一年たたなかった。ふだんは信じていたようであるがいざとなると、バカにしてかかる。
私が大阪に来たのは、大阪の人たちを皆金持ちにしてあげようと思ってきたのです。不幸は大阪に残さないと思ってきたのです。その私に反対してみなさい。口はばったい言い方をするようですけれども、私には力がある。いかなる力か、南無妙法蓮華経の力を持っています。どんな病人だって、私になおせない病人なんかありません。どんな貧乏人だって、金持ちにしないなどというバカなことはありません。全部金持ちにしてみせます。だんじてやる、皆さんを貧乏人なんかにさせておかない。(拍手)
修羅が仏は十八界我は十九界と云ひ外道が云く仏は一究竟道我は九十五究竟道と云いしが如く
修羅が仏は十八界であるが自分は十九界であると。外道は九十五究竟道……、これが問題なのです。バラモンは九十五種類の法がありまして、仏様は一究竟道しかない。なんだ釈尊は一究竟道ではないかと、外道のほうには九十五究竟道あるといった。だがそんな数で比べてもダメだと大聖人様はおっしゃるのです。
この中でおもしろい話を一つ教えておきましょう。
九十五派のうちに唖法の長者というのがいるのです。あほうあほうというでしょう。大阪弁で「あれあほや」(笑い)と。しかし唖法のことは知らないでしょう。人に向かってものをいわず、ついに唖のごとく黙りこむ、これを至道としたのです。人間の言葉を忘れてしまう者を唖法という。
日蓮御房は師匠にておはせども余にこはし我等はやはらかに法華経を弘むべしと云んは
ここは、初代の会長が、とっても喜んだ御文です。
「日蓮御房は師匠にてはおはせども余りにこはし」日蓮大聖人様は師匠であるけれども、あまりにもやかましい。
われわれは、やさしく法華経を説いていこうと。皆もそう思っているのでしょう。この次がこわいのです。次が問題なのです。
螢火が日月をわらひ蟻塚が華山を下し井江が河海をあなづり鳥鵲が鸞鳳をわらふなるベしわらふなるべし。
南無妙法蓮華経。
文永九年太歳壬申三月二十日 日 蓮 花 押
日蓮弟子檀那等御中
そういうことをいう者は螢火が、螢のしっぽにある火が、太陽を笑うようなもので、そんな者の精神なんか問題にならないというのです。蟻塚というのは蟻がつくった山です。せいぜいこのつくえくらいの山です。それが華山より大きいという者も同じです。
井江とは池です。それが大海を笑うようなものである。鳥鵲という小さな鳥が、鸞鳳という立派な鳥を笑うようなものだ。折伏を相手が気に入るように、やさしくやろうという連中は、ちょうどこれと同じだというのです。「日蓮御房は師匠にておはせども余にこはし」。ここを引き合いに出して、初代会長は、笑うなるべし、笑うなるべし、と笑っていました。(笑い)