清澄寺大衆中講義(御書全集八九三ページ)
新春の慶賀自他幸甚幸甚
こういう御言葉は御手紙の中でも、珍しい御言葉です。新年早々めでたいと。お互いに幸甚幸甚と。よほど御機嫌のいい時の御手紙のように拝されます。
去年来らず如何定めて子細有らんか
安房の国の清澄寺から誰も参詣にはこない。大聖人様のところへこないと。さぞ子細あることであろう。これは事実あるのです。真言と大聖人の教えのぶつかりあいがあるのです。謗法との闘争があったのです。そこでさぞや子細あらんというのです。
抑(そもそも)参詣を企(くわだ)て候わば伊勢公の御房に十住心論・秘蔵宝鑰(ほうやく)二教論等の真言の疏(じょ)を借用候へ
今いう論文は、弘法大師の真言宗のものです。それを大聖人は伊勢公に持ってきなさいというのです。
是くの如きは真言師蜂起の故に之を申す
なぜかならば、真言宗が蜂起したと。真言宗がケンカをふっかけたわけです。だから、それを持ってきなさいというのです。
又止観の第一・第二・御随身候へ東春・輔正記なんどや候らん
止観というのは、御承知のとおり、これは天台大師が最後の教えとして、章安大師に一夏に説いたものです。
その止観の中の一巻と二巻が手もとにないから、持ってきなさいという意味であろうと私は思うのです。
さらに東春も輔正記も、ともに法華経の解釈書でありますが、それもあるなら持ってきなさいというのです。
円智房の御弟子に観智房の持ちて候なる宗要集かしたび候へ
その本を持ってきなさいというのです。ですから、今ならば、古本屋に行って買ってきなさいとか、どこどこの本屋で売っているから買ってきなさいとかという仰せがあるのですけれども、昔はこういう本はみな写す、手で書き写すのが主体であります。印刷にはなっていないのです。ごくまれに印刷になっている場合もありますが。
印刷の話などいらない話ですけれども、オランダで印刷機ができまして、その前に、東洋にも非常に印刷が行なわれていたわけです。ですから、日本にも相当印刷された本もあったのでしょうけれども、なかなかそういう本は、今のように簡単に手にはいらないから、お寺にあるものを持ってきなさいというのです。
それのみならずふみの候由も人人申し候いしなり早早に返すべきのよし申させ給へ
そればかりではなく、そちらには、さまざまな貴重な文献となるべき手紙の類いもあると伺っています。そこで早くお返しいたしますから、貸していただきたい旨を伝えて下さい、という意味です。
今年は殊に仏法の邪正たださるベき年か・浄顕の御房・義城房等には申し給うべし
今年は仏法が、邪か正かを、ただす年であろうかということです。
浄顕房、義城房の方々は、昔、ご自分が清澄寺におられた時の兄弟子です。非常に大聖人様を守った人たちで、その人たちにもよくいっておきなさい。
日蓮が度度・殺害せられんとし並びに二度まで流罪せられ頸を刎られんとせし事は別に世間の失に候はず
伊東の流罪、佐渡の流罪そのほか色々の御難を受けたのも、世間のことではないというのです。みな仏法の上から受けたことであると仰せです。
生身の虚空蔵菩薩より大智慧を給わりし事ありき
ここが問題です。これは仏法上の大問題です。私は大聖人様が、どこで南無妙法蓮華経を御悟りあそばされたかといろいろ考えてみました。普通ならば比叡山から帰り、三十二歳の時、四月二十八日に清澄寺で初めて南無妙法蓮華経とお唱えになった時ではないかと。あるいは比叡山に登られたその時ではないかと。こういうふうに誰しも考える。仏教学者は、比叡山で勉強して、そうして南無妙法蓮華経の極理をそこでおそわってきたのだろうぐらいに、みんな普通はそう考えています。だが私はそうは考えないのです。
どこで大聖人様が、妙法蓮華経の極理を体得せられたかということをさんざん考えてみたのです。どうしても、この虚空蔵菩薩の御前でなければとしか思えないのです。御年十六の時です。私などは、仏法のことを少しわかったのが四十いくつ。仏様は御年十六の時に、虚空蔵菩薩の御前で、そこで初めて法華経の極理、妙法蓮華経の極理を体得されたのではないかと思うのです。それが今の御言葉です。
日本第一の智者となし給へと申せし事を不便とや思し食しけん明星の如くなる大宝珠を給いて右の袖にうけとり候いし故に一切経を見候いしかば八宗並びに一切経の勝劣粗是を知りぬ
不思議な言葉です。夢はうつつのごとく、虚空蔵菩薩が珠を大聖人に賜わった。大聖人様はそれを衣の袖で受けられた。そして、その時の大願が「日本一の智者になし給え」ということだったのです。その願いはかなった。
大聖人は、その時すでに過去も未来もすべて知りつくし、南無妙法蓮華経を悟られていたのです。ところが「一切経を見候いしかば」とあり、これは短い文証でありますけれども、これが問題なのです。
普通の者なら、わかったならそこでやめてしまう。大聖人様は世界の仏法に照らして、みずから体得したところの妙法蓮華経というものが、真実であるか否かということを究明するために、一切経をお読みになったのです。
あらゆる経文をお読みになった。そして間違いないと。またほかのものが間違っていることがはっきりしてしまったのである。これが大聖人様、御年十六の時の事件です。
それから、三十二歳の御時まで十六年間、仏法の研究をなさったということは、自分がつかんだ哲理が本当かウソかをたしかめられたのです。よく言うのですが、こういう不思議なことにぶつかったという人がいますが、それが真実ならば、その人の生活にそれだけの証拠がでてくるはずです。大聖人様の場合は、厳然たる証拠の上から仰せられているのですから、日本第一の智者として許されるのです。
虚空蔵というのは大宇宙のことをいっている。大宇宙の生命それ自体から、南無妙法蓮華経を証得したといわれているのです。ただ大聖人様は証拠として一切の経文を用いられていると思うのです。自分の体験したことが、仏法の上ではどうなるのか、釈尊の経文ではどう説かれているかと。それを示されるために一切経を読まれたのです。それで八宗見学の上において、南無妙法蓮華経以外にないと、こう断じられるところです。
其の上真言宗は法華経を失う宗なり
真言宗というのはでたらめな宗教です。ここで法華経を失うとおっしゃる意味は、法華経に背くということです。真言宗を秘密宗といい、人間の命は秘密だからであるというのです。大日如来のことを、法身如来という。法身、報身、応身の、三身即一身と説かれてこそ正しい生命観なのです。ところが、そのうち法身だけの生命観を説いたのが大日経です。法華経は法身、報身、応身を説いており、大日経とはぜんぜん経文の位が違うのです。
真言秘密の法と申しまして、今でいうと呪文です。呪文といいますと、なにか迷信のようですが、それが真言にあるというのです。真言というのは、何が真言かといえば、彼らはインドの言葉をそのまま使うから真言というのです。よくダラニというがあれは呪文ということです。たとえば、犬はドッグ、ネコはキャット……このくらいの真言は知っています(笑い) ー このようなことで騙したのが真言宗なのです。
是は大事なり先ず序分に禅宗と念仏宗の僻見を責めて見んと思ふ
まず真言宗がいけないということはいったが、その序分に念仏と禅宗とを破折しようというのです。中国に道教という教えがありまして、老子が最初です。荘子が弟子ですが、この二人の思想をとって、老荘の思想といいますが、二人とも世の中に道があるから迷うのだ、道なんかつくるからいけない、勝手に歩かせておけというのです。赤ん坊に好きほうだいのことをさせると同様に、好きほうだいのことをさせておけというのが、老荘の教えです。その連中が、最後に行き詰まった問題が、生命の問題である。そこで、どうしたら人間は長生きできるかと、その研究が始まった。それが中国の薬でシンタン、今、日本ではじんたんというのがあります。それで長生きする秘決として、人里はなれた空気のいいところで、食べ物があって、水もいい場所で、生活することを説いた。こうなれば長生きします。こういう生活をしているのを中国では仙人というのです。
しかし、普通の人間は、仕事だってあるし、やっていられないでしょう。そういうところへ、仏法がまじってそれから禅
宗ができたのです。坐禅をくんで見せましょうか。これが役に立つのは夫婦喧嘩のあとぐらいかもしれない。(笑い)
念仏というのは全部ダメなのです。阿弥陀仏というと、あなた方は一種類しかないと思っていますが、いく種類もあるのです。法蔵比丘の四十八願の阿弥陀と、法華経迹門の阿弥陀。法華経本門の阿弥陀と全部違うのです。
アミダってよくあなた方やるでしょう。五十円のもの、十円のもの、ただのものと、線を引いて(笑い)。冗談はともかくとして、今の念仏宗の阿弥陀は法蔵比丘の四十八願の阿弥陀です。
四十八願のうち第十八願に「もし我が浄土に生まれずんば正覚をとらじ」仏にはならないと。そこだけを取って立てた宗教です。そのあとに「但し五逆罪と誹謗正法の者を除く」とあるのを隠した邪宗教です。
昔は念仏三味といって、仏を念ずる修行があった。それを引っぱってきて阿弥陀に結びつけ、やかましい修行よりは、ただ一度だけ南無阿弥陀仏と唱えれば、極楽浄土に行けるという法然の教えが今の念仏宗です。
その前に、中国において曇鸞、道綽、善導という人達が弘めたのです。善導という人は、了忍坊ともいわれているのです。これもバカな人でして、みんなに話しても誰も聞いてくれない。よし、それなら自分が死んでみせるといって、死んだら観音が、かならず迎えにきてくれるから見てろといいだした。そうしてみんなを集めて、目の前で、柳の木に縄を掛けて首を吊ってしまった。そうしたら、うまく死ねばいいものを、死なないで、柳の枝が折れてどかッと落ちてしまったのです。十四日
間、うなりにうなって死んだ。地獄の相です。もちろん観音も誰も迎えにこない。それが善導和尚という男です。それが念仏宗の大将になっているのです。つくられて偉い僧侶となっている。それを法然が日本に弘めたのです。
ところが、今の念仏は親鸞が大将になっているのです。ところで、大聖人の御在世当時、法然が死んでから二、三十年以後ですが、事件が起きているのです。その時に法然の他の弟子は名前がでているのに、親鸞という名前がひとつも出てこないのです。ですから、法然の弟子でなかったことは確かです。弟子であれば、そこにあるベきが本当なのです。
もしも親鸞がもともと念仏宗の開祖だったならば、日蓮大聖人の御書に出てこないわけがない。ほかの人の名前はたくさん出ている。これほど日蓮大聖人が念仏宗を攻撃していらっしゃるのに、親鸞の名を一度もあげていないというのはおかしいでしょう。では、大聖人様が知らなかったのかというのです。仏様が知らないわけがないでしょう。それは私の研究からいわせれば、親鸞という名前がないのはあたりまえなのです。親鸞という男は、その後において、どこか関東において、娘の家で世話になっていて、九十くらいまで生きたおじいさんらしい。いたことは事実だったらしい。というのは彼の書いたものに無生忍、無生法忍という言葉があるのです。これは法華経を読まなければ教えられるものではない。自然法爾ともいうのです。ありのままということです。それは年が九十までもなって、それに仏教経典を色々読んでみれば、世の中は自然であり、ありのままだというくらいの思想は出てきます。それをたくさん書いていたらしい。私も読んでみたが、無生法忍、自然法爾という言葉は、阿弥陀経にはないのです。三部経にないのです。あるわけがない。それが、その言葉を親鸞一派において使っているところをみると、それは全然三部経で育ったのではないのです。
年が九十にもなって、人生をながめれば、世の中というものは自然のままである、無理をしてはいけないと。金もないのにあるふりをして使ってはいけないし、年をとって酒なんか飲んでもいけない。それが親鸞の思想です。
そうなってくると、親鸞という男は法然の弟子でないことは事実である。はっきりしている。それを、二代目か三代目が、こんなことしていてはいけないと。こんなに書いたものがあるのだから、京都に持っていって旗上げしようといって、そのつずらをしょって、京都で開いたのが今の念仏宗です。南無阿弥陀仏ということばは、その時から始まった邪宗教です。
ですから、大聖人様の時には今の真宗系の念仏はできていなかったのです。法然一派の念仏なのです。念仏ということは、法然が最初に日本で唱えたとはいいきれない。天台だって南無阿弥陀仏といわせたのですから、それはしかたがない。上機熟脱の者には不可思議境の研究をさせ、下根の者にはひとまず阿弥陀を唱えさせた。天台の場合の阿弥陀は、法華経本門、迹門の阿弥陀ですが、名前が同じ阿弥陀なものですから通じてしまったのです。そういう仏教上の大きな間違いがあるがゆえに、大聖人様は念仏はいけないというのです。
念仏は、日蓮大聖人がおっしゃった後に、まだ間違いを起こしているのです。そのずっと後の秀吉の時代に蓮如という男が出た。念仏宗ではエライ男で、大聖人様の御書をまねした。それも全部親鸞が作ったかのようにこしらえまして、阿弥陀の経文に一つの原理をくっつけたのです。それが蓮如です。ですから、親鸞よりもほんとうに悪いのは蓮如なのです。大聖人のまねをして、大聖人が南無妙法蓮華経と唱えればそれをまねて南無阿弥陀仏と蓮如が書いた。それをひろめることに一生懸命になったのです。それが今日の念仏宗です。ですから、念仏がいかに信用できないものであるかがよくわかるでしょう。
禅には三種類あるのです。達磨禅と申しまして、今の禅宗がやっているのが達磨禅というのです。次は教禅といって、教えを深く考えていくのがこれです。そうして如来禅、さきほど私がやったような姿で題目を唱えるのが如来禅なのです。とてもからだのためにいいのです。私はいやなのです、くたびれるから、たいくつするから。
しかし、ずっとあの姿勢でものを考える、これはたいしたものです。達磨禅はそういうわけにいきません。達磨禅のことを天台大師は、あれは空を考えているが、彼らの空は、ハトが「クー」と鳴くのと同じ空(クー)だといって笑っているのです。達磨などは、天台大師は認めていないのです。