忘持経事講義(御書全集九七六ぺージ)

 

 千葉の殿様だった富木殿が、大聖人様のところへ、お経を忘れた。それをお届け下さったときの御手紙です。

 忘れ物をだんだんとあげて、一番物忘れのひどいのは、これだと教訓されているのです。

 

 忘れ給う所の御持経(ゴジキョウ)追(おっ)て修行者に持たせ之を遣わす。

 

 あなたは経文を忘れて帰ったから、持たして遣わすと。このおじいさんは、よほどあわて者です。

 

 魯の哀公云く人好く忘る者有り移宅に乃ち其の妻を忘れたり云云

 

 中国の周時代の魯の哀公のいうのには、引っ越しのとき、自分の女房を置き忘れた男がいると。これは忘れ物の大きい方です。

 

 孔子云く又好く忘るること此れより甚しき者有り桀紂(けっちゅう)の君は乃ち其の身を忘れたり等云云

 

 これは、前のよりもっと、忘れ物が大きい。夏の桀王、股の紂王、この二人はともに国を滅ぼした悪王です、忘れるに事欠いて自分の身を忘れたという。国を滅ぼしたことをいうのです。

 

 夫れ槃特尊者は名を忘る此れ閻浮第一の好く忘るる者なり

 

 槃特尊者というのは、釈尊の弟子で、修利・槃特といって二人兄弟であったが、名前を忘れてしまって、どっちかの名前を呼ぶと、二人で返事する。自分の名前を忘れるのだから、忘れる方の豪傑です。だがお釈迦さんのいうことだけは信じて、仏になったのです。舎利弗や、目連や、阿難、大迦葉等は、インド第一の大智者に数えられていたが、それらが仏にならぬうちに、槃特尊者は仏になったという。

 

 今常忍上人は持経を忘る日本第一の好く忘るるの仁か

 

 ここは叱られたところです。ちょうどわれわれでいうと、御本尊様を忘れたみたいなものです。「おまえは忘れものが一番ひどい」と叱られたのです。ここを読んだときは、汗をかいたでしょう。

 

 大通結縁の輩は衣珠を忘れ三千塵劫を経て貧路に踟蹰(ちちゅう)し

 

 これは難題だ。大通智勝仏、三千塵点劫の仏ですが、この時に法華経を教えられたのを、衆生が三千塵点劫の間、忘れていたという。衣珠とは法華経五百弟子受記品第八の中にある譬え話で、ある人の家へ、友達がきたので、一杯ごちそうした。ところがその人にお上から、すぐこいとの命令が出たので、その友達の衣にそれさえあれば一生食べていけるほどの宝の珠をくくりつけて出かけて行った。それから何年かたって、その友達とまた逢ったところ、乞食のような姿で、放浪の旅をして町の中をさまよっていた。「おまえはなんで、そんなことをしているんだ。ここへ宝珠をやったじゃないか」というと、「ああ、そうか」と、酔っぱらって忘れてしまっていた。それを「衣裏の珠」というのです。それと同じく三千塵点劫の昔に、仏になるところの珠を与えておいたのに、それを忘れている。これはずいぶん忘れ物の大きいものです。

 

 久遠下種の人は良薬を忘れ五百塵点を送りて三途の嶮地に顚倒せり

 

 今度は、寿量品において、五百塵点劫のその昔に、我本行菩薩道という、あの菩薩道の初住の文底に秘沈したところの南無妙法蓮華経を渡してある。五百塵点劫の間をほっつき回って、少しも幸福な境涯をみない。これもずいぶん忘れた輩ではないかと、こういうのです。

 

 今真言宗・念仏宗・禅宗・律宗等の学者等は仏陀の本意を忘失し未来無数劫を経歴して阿鼻の火坑に沈淪せん

 

 まだ忘れている者は、今の真言宗、念仏宗、禅宗、律宗その他であり、仏の心を忘れて、インチキな宗教をひろめている。さぞや三途の河にも迷うであろうし、死後の生命は実に痛ましきかなと、仰せられているのです。

 死んだ人の悪口をいってはいけませんけども、立正佼成会の長沼妙佼が死んだそうです。さぞや、三途の河に迷うであろう。昔はやはり、久遠下種の人の一人なんだが、仏の心を忘れ、迷い出て、ああいう悪い宗教を弘めて死ぬということは、忘れ物のひどいおばあさんだ。だから、題目を唱えて「なんとか思い出せ」くらいいってやろうではないか。可哀想なことだ。

 

 此れより第一の好く忘るる者あり所謂今の世の天台宗の学者等と持経者等との日蓮を誹謗し念仏者等を扶助する是れなり、親に背いて敵に付き刀を持ちて自を破る此等は且く之を置く。

 

 それよりも、なお忘れ者のひどいのは天台宗だという。それはそうです。天台山において天台智者が立てられた仏法では法華経第一です。それを伝教大師が日本に伝えた。それを途中から、三代目の慈覚から真言宗を入れて、天台の教義を忘れたのです。

 だから、それをつらつら考えれば、身延などというのは、もともとなにもないから忘れっこないけれども、日蓮正宗で忘れたらたいへんです。御開山上人、日目上人の流れをくみながら、その教えを間違ったらたいへんです。保田の妙本寺なんか、今度思い出してきたけれども、まだ興門一派といわれている中で、西山でも、北山でも、忘れている現状です。「忘れ物はありませんか」と聞きに行った方がいい。(笑い)

 大聖人様は親である。みんなを助けてやろうと思うのに、それに背いて、自分が三悪道におちていくには、刀を持って、わが身を破るようなものではないか、それはしばらく置くと、こういうのです。

 

 夫れ常啼菩薩は東に向って般若を求め善財童子は南に向いて華厳を得る雪山の小児は半偈に身を投げ楽法梵志は一偈に皮を剥ぐ

 

 常啼菩薩は般若経をおそわったというのです。雪山童子は半偈の仏法の言葉を得るために、自分の肉を鬼に与えた。楽法梵志は仏の言葉を後に残すために、わが身の皮をはいで書いたという。

 

 此等は皆上聖大人なり

 

 これらの人々は、仏道を求めるのに命がけであった。ですから、上聖大人、すなわち仏と申しても、さしつかえない人々ではないかと、こういうのです。

 

 其の迹を撿(かんが)うるに地・住に居し其の本を尋ぬれば等妙なるのみ

 

 十地の位に住し、等覚、妙覚の位に上るのも、みな妙法蓮華経の力であると仰せなのです。

 

 身は八熱に入って火坑三昧を得・心は八寒に入って清涼三昧を証し身心共に苦無し

 

 これは、たいした御言葉です、大聖人様の境地を説いているのです。八熱地獄にはいっても、ちっとも熱くない。八寒地獄へはいって涼しくてよい気分だと。

 ちょっとこれは、裸でも冬中寒くないというのと同じように聞こえますが、いかなる苦難にあおうとも、そこに人生の幸福というものを、心からつかんでいるぞと、おっしゃるのです。

 

 譬えば矢を放って虚空を射石を握って水に投ずるが如し。

 

 簡単なことだとの仰せなのです。あまり簡単でもないですが。

 

 今常忍貴辺は末代の愚者にして見思未断の凡夫なり

 

 こんなふうに、やっつけられてはたまらない。おまえは末代のバカ者で、悟りを一つも開いていないと。

 

 身は俗に非ず道に非ず禿居士(とくこじ)

 

 僧でもなければ、俗人でもない。禿居士だと。つごうのよいために、僧みたいなかっこうをしているのを禿居士というのです。今は、商売のために、お布施もらいのために、僧になった者をいう。みんな禿居士になんかなってはいけません。

 

 心は善に非ず悪に非ず羝羊(ていよう)のみ

 

 こんなにも、こき下さなくてもいいのにと思うのですが。心は善でもない、悪でもない。羝羊、羊のように愚かだというのです。

 

 然りと雖も一人の悲母堂に有り朝に出で主君に詣で夕に入て私宅に返り営む所は悲母の為め存する所は孝心のみ

 

 しかるに、おまえをよく観察してみると、おまえにはおかあさんがいる。朝は、お役所へ出て勤め、夕には、帰って、おかあさんに孝行をする。親孝行をする。親孝行の心をもっていると、ここはほめられたところです。

 それくらいなら、皆さんだってやれるだろう。親がいなくて、できないというのなら、子供にやればいいでしょう。さもなくば、女房は亭主に、亭主は女房にやればよい。親孝行をしなさい。よく、自分は親孝行もしないできたくせに、子供にばかり、親孝行しろなどという者がいる。この中にいませんか。

 

 而るに去月下旬の比・生死の理を示さんが為に黄泉の道に趣く

 

 ここが大聖人様のお偉いところです。生死の理を示さんがためにと。釈尊は、こうはいわない。方便現涅槃といって、釈尊の寿量品を文上でだけ読むと、一生懸命いいわけしているように見えるのです。永遠の生命だ、永遠の生命だといっていて、なぜ死ぬのだと、これは涅槃経でも、迦葉菩薩が突っ込んで聞いているのだが、そのいいわけで方便のために死ぬのだといっている。

 それは、てだてという意味でなく法用、能通、秘妙のうちの秘妙方便を用いているのですが、

 大聖人様はきちんとおっしゃっている。生死の理を示さんがため、生命の現象を現わさんがために、先月、黄泉すなわち、あの世へ行かれたと仰せられている。

 

 此に貴辺と歎いて言く齢既に九旬に及び子を留めて親の去ること次第たりと雖も倩事の心を案ずるに去って後来る可からず何れの月日をか期せん二母国に無し今より後誰をか拝す可き

 

 ところで、常忍上人のいうのには「おかあさんの年は九十だし、子供をおいて母親が先に死ぬのは、あたりまえであるけれども、いったんここで別れたならば、いつの日に会えるであろうか。また、きょうから後は、誰を母親として仰いでいけるだろうか」と、こういう嘆きがあるというのです。

 

 離別忍び難きの間舎利を頸に懸け足に任せて大道に出で下州より甲州に至る

 

 そこで、あまりの母親の慕わしさ、離別の嘆きにおそわれて、お骨を首にかけて、下州、今の千葉県から、甲州、山梨県の身延までこられたというのです。今は汽車があるから、総本山へ行くのも簡単でしょう。歩いて行くのだからたいへんです。今、汽車で行くのさえ、なんだかんだとたいへんなことのように思っている。

 だがこのころは、千葉の中山から身延まで、はるばると歩いて行ったのだから、途中、泥棒は出るし、食物はないし、秩序なんかないのです。そこをはるばるとお骨を携えてうかがったのは、富木殿の真心でしょう。

 

 其の中間往復千里に及ぶ国国皆飢饉し山野に盗賊充満し宿宿粮米乏少(しゅくしゅくろうまいぼうしょう)なり

 

 千葉から身延まで千里はないけれども、この当時の一里の計算は、中国流を使ったので、一里が六町です。今でいえば、六百キロから七百キロくらいの計算になりましょうか。

 

 我身羸弱(えいじゃく)・所従亡きが若く牛馬合期(あいご)せず峨峨(がが)たる大山重重として漫漫たる大河多多なり高山に登れば頭を天に捽(う)ち幽谷に下れば足雲を踏む鳥に非れば渡り難く鹿に非れば越え難し眼眩き足冷ゆ

 

 山は高く、川は広く、今みたいな砂利ばかりの川ではないのです。身延あたりの川で、ずいぶん舟がひっくり返っているのです。そういう川がたくさんあった。道にしても、今の道路なんか考えてはだめです。人がやっと通れるような狭い道が普通だった。

 

 羅什三蔵の葱嶺(そうれい)・役(えん)の優婆塞の大峰も只今なりと云云

 

 羅什三蔵の越えた葱嶺というのは、ヒマラヤです。役(えん)の優婆塞とは、日本の舒明(じょめい)天皇のころに生まれ、山で修行した行者の名前です。それに劣らぬほどの苦難であったというのです。

 

 然る後深洞に尋ね入りて一菴室を見る法華読誦の音青天に響き一乗談義の言山中に聞ゆ

 

 ようやく、大聖人様のお住まいにたどりついてみたところが、法華経を読む声、題目を唱える声が空に響きわたり、一乗談義すなわち、法華経の講義が山中に聞えていたという。

 

 案内を触れて室に入り教主釈尊の御宝前に母の骨を安置し五躰を地に投げ合掌して両眼を開き尊容を拝し歓喜身に余り心の苦み忽ち息む

 

 この教主釈尊という言葉が問題になるのです。インドの釈尊ではないのです。このころはまだ、御本尊というものが、今ほどみんなに理解されない時でありますから、教主釈尊と名前を使われたが、いつもいうとおり、教主釈尊という言葉には六種類の意味があるのです。

 御書や、経文によって、この教主釈尊の位置を決めるのです。蔵教の釈尊、通教の釈尊、別教の釈尊、次は、法華経迹門の教主釈尊、法華経本門文上の教主釈尊、文底下種の教主釈尊の六通りに、この言葉は使い分けなければならない。

 

 私がいつもいうとおり、阿弥陀にだっていくとおりもあるのです。法蔵比丘の十億劫の仏たる阿弥陀と法華迹門の阿弥陀と、法華本門文上の阿弥陀と三種類あるのです。念仏宗の阿弥陀は、法蔵比丘の阿弥陀で一番安いのです。あなた方のアミダでは、安い方がいいでしょうが、仏教ではそうはいかない。一番高いのでなくてはだめです。あの法蔵比丘の阿弥陀は本門では、五百塵点劫の本仏の分身仏になるのです。迹門では、釈迦如来の兄弟です。値段が違っている。(笑い)

 この教主釈尊を拝んだというのは、すなわち、御本尊を拝んだことなのです。読み違えないようにして下さい。

 

 我が頭は父母の頭・我が足は父母の足・我が十指は父母の十指・我が口は父母の口なり

 

 これは、親子同時の成道を説くためにおっしゃっているのです。あなた方が信心して、あなた方の成道がなり立てば、一家親類がことごとく成道するという理を、今ここで説いておられるのです。

 

 譬えば種子と菓子と身と影との如し教主釈尊の成道は浄飯・摩耶の得道・吉占師子・青提女・目犍尊者は同時の成仏なり

 

 釈尊の成道は、すなわちおかあさんの成道になる。目連尊者の場合も同じです。だからおまえが身延へきて、わたしのもとで、この大御本尊を拝んだそのとたんに、おまえは成道している。それは母親の成道にもなっているのだと、母子の成道を説かれているのです。

 

 是の如く観ずる時・無始の業障忽ちに消え心性の妙蓮忽ちに開き給うか

 

 観ずるというのは悟るという意味です。考えるという意味ではない。こう悟る時には、無始の業障が忽ちに消えて、この胸の中の蓮華がたちまちに開くであろうと。この胸の中に蓮華があるということは、観心本尊抄の講義録に書いておきましたが、人間のからだの中には八葉の蓮華があるという。私もこれには困りました。ウソだといえば、大聖人様がうそつきになるでしょう。医学上、そんなものがあるかというと、今の生理学の肺と心臓の絵を見ると、真ん中に心臓があって、両端に肺が二つあって、三つ並んでいるように、なっているでしょう。

 これしか、われわれの頭にないのです。

 

 それからいろいろと本を捜してみたら、あの図は切り口であって、ほんとうの肺というのは、肺を映した写真を見たら、心臓のまわりをぐるっと囲んでいるのです。まるで、蓮華の蕾のような形になっているのです。不思議です、おもしろいものです。それを今お引きになっていらっしゃるのです。

 

 然して後に随分仏事を為し事故無く還り給う云云、恐恐謹言。

         富木入道殿

 

 それから、富木殿がいろいろと仏様へのお勤めをして、無事に帰られてけっこうなことであったとお喜びになられているのです。