同十月十日に依智を立って同十月二十八日に佐渡の国へ著(つき)ぬ、十一月一日に六郎左衛門が家のうしろ塚原と申す山野の中に洛陽の蓮台野のやうに死人を捨つる所に一間四面なる堂の仏もなし、上はいたまあはず四壁はあばらに雪ふりつもりて消ゆる事なし、かかる所にしきがは打ちしき蓑うちきて夜をあかし日をくらす、夜は雪雹雷電ひまなし昼は日の光もささせ給はず心細かるべきすまゐなり

 

 十月十日に依智すなわち今の相模原をたって、佐渡の国に十月二十八日にお着きになったというのです。

 今の塚原の三昧堂と申しますが、中国の都である洛陽の、蓮台野のように死人を捨てていた場所です。そのところに一間四方の家があった。堂といっても名ばかりで仏もなにもまつっていない。畳二枚のところです。ずいぶん小さいところです。

 

 佐渡の国ですから雪は積もっている。普請(ふしん)なども粗末であばら家です。熊の敷き皮をしていて、蓑を着ておすわりになっていたというのですから。そこで夜を明かし、日を暮らしたというのです。夜寝るなどと、そんなことはできません。夜は雪や雹がはいってくるし、雷電はひまなく、昼は日の光りもささず、心細い御生活です。

 

 彼の李陵が胡国に入りてがんくつにせめられし法道三蔵の徽宗皇帝にせめられて面にかなやきをさされて江南にはなたれしも只今とおぼゆ、あらうれしや檀王は阿私仙人にせめられて法華経の功徳を得給いき、不軽菩薩は上慢の比丘等の杖にあたりて一乗の行者といはれ給ふ、今日蓮は末法に生れて妙法蓮華経の五字を弘めてかかるせめにあへり、仏滅度後・二千二百余年が間・恐らくは天台智者大師も一切世間多怨難信の経文をば行じ給はず数数見擯出の明文は但日蓮一人なり、一句一偈・我皆与授記は我なり阿耨多羅三藐三菩提は疑いなし、相模守殿こそ善知識よ平左衛門こそ提婆達多よ念仏者は瞿伽利尊者・持斎等は善星比丘なり、在世は今にあり今は在世なり、法華経の肝心は諸法実相と・とかれて本末究竟等とのべられて候は是なり

 

 李陵という人は外国に使いに行って、岩窟に閉じ込められた。また徽宗皇帝の時に、法道三蔵が仏教上の意見の相違から江南に追放された。それらの苦難も思いやれるというのです。檀王を責めた阿私仙人というのは、提婆達多の前身です。檀王というのは、そのときの王様で、後に釈迦如来と生まれたのです。経文によると一千年といわれておりますが、マキをとったり水を汲んだり食事の用意をしたりして給仕し、そして下僕となって働いて、法華経の極理を阿私仙人からおそわったというのです。そのことをいっているのです。これは法華経提婆達多品というところに出ております。

 

 ところが、今度は大聖人御自身の境涯になってくれば、末法に生まれて南無妙法蓮華経の五字七字を弘めたがゆえに、この災難を受けたというのです。ところで過去に法華経を行じた天台・妙楽・伝教等の人達でさえ「一切世間、多怨難信」すなわち、世間には怨が多い、そして、なかなかこの経は行じがたいという、この経文どおりのことを身でやったものはないというのです。日蓮はたしかにこれを行じているというのです。

 

 数数見擯出というのは勧持品の文です。これは島流しが二度以上ということです。ところが天台にしても伝教にしても妙楽にしても、島流しが二度ということはない。大聖人様は伊東の流罪、佐渡の流罪、これ数数見擯出ということにあたるではないか。勧持品を身で読んだということになっているのです。

 

 法華経の経文の中に「一句一偈なりとも、これを信ずれば、阿耨多羅三藐三菩提、即ち仏の智慧を授記す」とあるが、自分は経文の中の「世間には怨が多くて信じ難い」という文や「数数見擯出」という文も読んだ。故に仏の智慧を得たことはあたりまえではないかというのです。これは仏だという断言です。

 

 法華経を身で読ませてくれた相模守時頼は善知識である。自分の命を奪おうとした平左衛門は釈尊に反対した提婆達多のようである。提婆達多がおったればこそ、釈尊は仏になったのである。故に平左衛門が迫害したからこそ、大聖人は御本仏の境涯を顕わされたのです。それから瞿伽梨尊者や善星比丘などは、みな在世の釈尊の弟子であって、遂には背いた人であるが、そういう人に当たるのは、今の念仏宗だというのです。

 

 ですから、在世というのは、釈尊在世のことをいっております。釈尊在世の時に仏教を弘めた苦しみと、大聖人様が、今受ける苦難も、同じことだというのです。

 方便品に諸法実相とあり、最後に本末究竟等とある。すなわち釈尊の時は本で、大聖人の時は末だと。本末ともに究竟して等しいというのです。また、われわれからいえば、大聖人様の時は本です。われわれが法華経を弘めるに当たって難を受けるのは末です。究竟して等しいのです。

 

 この広宣流布の大業はなまやさしくできるものではない。色々と事件も起こる。本末究竟して等しい、これを本末究竟等というのです。同じことが同じように起こるのです。学会などはおとなしいから、あんまり難がないのです。少しばかり、昨年あたり選挙をやって、お巡りさんにおこられて、びっくりしている人がいます。そんなことでどうするかというのです。この大聖人様の御難を思ったら、これくらいのことはびっくりするほどのことでもなんでもないのです。あんまり、びっくりしない方がよい。びくびくしないで、一生懸命、折伏することです。

 

摩訶止観第五に云く「行解既に勤めぬれば三障・四魔・紛然として競い起る」文、又云く「猪の金山を摺(す)り衆流の海に入り薪の火を熾(さかん)にし風の求羅(ぐら)を益すが如きのみ」云云、釈の心は法華経を教のごとく機に叶ひ時に叶うて解行すれば七つの大事出来す、の中に天子魔とて第六天の魔王或は国主或は父母或は妻子或は檀那或は悪人等について或は随って法華経の行をさえ或は違(い)してさうべき事なり、何れの経をも行ぜよ仏法を行ずるには分分に随って留難あるべし、其の中に法華経を行ずるには強盛にさうべし、法華経を・をしへの如く時機に当って行ずるには殊に難あるべし

 

 天台の摩訶止観第五に、行解既に勤めぬれば、すなわち信仰が深くなると、三障四魔が紛然として競い起こる、煩悩障、報障、業障という三つの障り、煩悩魔、病魔、死魔、天子魔という四つの魔が盛んに起こってくるというのです。これは困るのは困るけれども、起こってくるというのはしかたがない。

 すなわちイノシシというものは、牙をとぐために金山をする。また、あらゆる川がみな海にはいる。これは当然のことです。薪が火を増す、風が求羅という虫を、ふとらせるように当然のことです。

 法華経を弘めるときに、時にかない、機にかなってこれを弘めると、三障と四魔の七つの障りがでてくるのだというのです。三障四魔の中で天子魔といって、第六天の魔王が、あるいは国主、あるいは父母、あるいは妻子、あるいは檀那の心にはいり、あるいは悪人等について、法華経の行者の妨げをするというのです。これは天子魔の仕事だというのです。

 

 仏法というのは、たとえ低い仏法でも、分々に応じて難は受けるものだというのです。ところが、その中でも、法華経を弘めるということは、もっとも大きな難がくるというのです。また法華経をその時がきている時に行ずるということになれば、難がひどいものだというのです。

 

 故に弘決の八に云く「若し衆生生死を出でず仏乗を慕わずと知れば魔・是の人に於て猶親の想を生す」等云云、釈の心は人・善根を修すれども念仏・真言・禅・律等の行をなして法華経を行ぜざれば魔王親のおもひをなして人間につきて其の人をもてなし供養す世間の人に実の僧と思はせんが為なり、例せば国主のたとむ僧をば諸人供養するが如し、されば国主等のかたきにするは既に正法を行ずるにてあるなり、釈迦如来の御ためには提婆達多こそ第一の善知識なれ、今の世間を見るに人をよくなすものはかたうどよりも強敵が人をば・よくなしけるなり、眼前に見えたり此の鎌倉の御一門の御繁昌は義盛と隠岐法皇ましまさずんば争か日本の主となり給うべき、されば此の人人は此の御一門の御ためには第一のかたうどなり、日蓮が仏にならん第一のかたうどは景信・法師には良観・道隆・道阿弥陀仏と平左衛門尉・守殿ましまさずんば争か法華経の行者とはなるべきと悦ぶ。

 

 妙楽の弘決の八には「衆生がいて生死を出でず」すなわち仏法を知らない、また仏乗を慕わない、正しい教えを聞かないと知るならば、天子魔という魔が親の思いをなして、その人を愛撫するといっております。これは不思議な御言葉です。今の言葉は、念仏宗や真言宗や禅宗や律宗の信心をやって、法華経の敵となるならば、魔は親の恩いをなして、その邪宗を信じている人について、その人に、世間の人達からはまことの僧のごとき思いをさせるように、その邪宗の人を援助するというのです。

 

 よく、こういうことがあります。今いったような邪宗教がありますと、なかなか相手が仏罰をこうむらない場合がある。どういうわけであるかという質問がときどき出るのですが、これに対しては、邪宗の僧侶には魔がついていますから、かっこうはとてもよいのです。ところが仏教の上から見ますと、無間地獄にいくことになっているのです。だから、今てきめんには仏罰は出ない。

 

 たとえば「死刑に処す」という裁判所の判決を受けた人がいる。その人が、泥棒したとすると、もう死刑に決まっているのだから、そんな小さな罪ではそれ以上の求刑はない。それと同じように、邪宗教の者は魔がついていて、姿はいい形をしておりますけれども、仏法の上からいきますと、かならず後には無間大城に行くことに決まっているのです。ですから罰はすぐ出ないのですが、もっとも罪は重いのです。

 

 釈尊にとっては、その敵である提婆達多が一番の善知識であるというのです。提婆達多など、さんざん釈尊に反対したのです。提婆達多は釈尊とはいとこ同士です。ところが釈尊の仏法の敵となった。そこで釈尊の因位からいくと、提婆達多は阿私仙人という仙人であって、法華経を教えた人です。それでいて、釈尊には絶対反対していた。なぜかというと、釈尊の仏法を応援にきたのです。ですから釈尊の仏法の反対者を、全部自分の家に集めて、そしてさんざん反対して自分が仏罰を受けて、釈尊が仏であることを証明して釈尊の仏法を助けたのですから、善知識だということができるのです。

 

 そこで、今の世の中をみるのに、自分をよくしてくれたのは、味方よりも敵がよくしてくれたというのです。この前にも「小島のぬしにおどされて」とは、北条執権のことをいったのであるということをいってきましたが、今の北条一家の繁盛というものは、隠岐の法皇が、すなわち承久の乱があって京都に勝ち、また源氏一族の元老たる和田義盛が北条一家を滅ぼそうとし、それに勝った、すなわち敵があったから、北条家が繁盛したのではないかというのです。だから、敵だった和田義盛や隠岐の法皇が、北条家のためには一番の味方ではないかというのです。

 

 ところで大聖人様の見解は、自分が仏になる、すなわち法華経の行者であるという証拠をつくってくれたのは、東条景信であり、悪僧では律宗の良観とか禅宗の道隆、念仏宗の道阿弥陀仏であるとか、あるいは権力者の平左衛門尉とか、相模守時宗等であるとかという人々です。この達がいなければ、どうして私が法華経の行者となれようか。そのおかげだから、感謝しなければならないというのです。

 すなわち、ここでは法華経を身に読んだ方は、日蓮大聖人様御一人であり、日蓮大聖人様こそ末法の御本仏であることを述べられているのです。