松野殿御消息講義(御書全集一三七八ページ)
この御書は、松野殿へ差し上げた御手紙でありまして、まだ会っておられぬ松野殿に差し上げられたので、内容はやさしい御書であります。
柑子一籠・種種の物送り給候、法華経第七巻薬王品に云く衆星の中に月天子最も為(これ)第一なり此法華経も亦復是くの如し、千万億種の諸の経法の中に於て最も為(これ)照明なり云云、文の意は虚空の星は或は半里或は一里或は八里或は十六里なり、天の満月輪は八百里にてをはします、華厳経六十巻或は八十巻・般若経六百巻・方等経六十巻・涅槃経四十巻三十六巻・大日経・金剛頂経・蘇悉地経・観経・阿弥陀経等の無量無辺の諸経は星の如し、法華経は月の如しと説かれて候経文なり、此れは竜樹菩薩・無著菩薩・天台大師・善無畏三蔵等の論師・人師の言にもあらず、教主釈尊の金言なり・譬へば天子の一言の如し、又法華経の薬王品に云く能く是の経典を受持すること有らん者も亦復是くの如し一切衆生の中に於て亦為第一等云云、文の意は法
華経を持つ人は男ならば何なる田夫にても候へ、三界の主たる大梵天王・釈提桓因(しゃくだいかんいん)・四大天王・転輪聖王乃至漢土・日本の国主等にも勝れたり、何に況や日本国の大臣公卿・源平の侍・百姓等に勝れたる事申すに及ばず、女人ならば僑尸迦女(こうしかにょ)・吉祥天女・漢の李夫人・楊貴妃等の無量無辺の一切の女人に勝れたりと説かれて候、案ずるに経文の如く申さんとすればをびただしき様なり人もちゐん事もかたし、此れを信ぜじと思へば如来の金言を疑(うたが)ふ失(とが)は経文明かに阿鼻地獄の業と見へぬ、進退わづらひ有り何がせん、此の法門を教主釈尊は四十余年が間は胷(むね)の内にかくさせ給う、さりとてはとて御年七十二と申せしに南閻浮提の中天竺・王舎城の丑寅・耆闍崛山(ぎしゃくっせん)にして説かせ給いき、今日本国には仏・御入滅一千四百余年と申せしに来りぬ、夫より今七百余年なり、先き一千四百余年が間は日本国の人・国王・大臣・乃至万民一人も此の事を知らず。
松野殿は静岡県の人ですから、ミカンの産地とみえまして、今でも、ミカンがとれますが、ミカンを一かごと、そのほかのものを送ってもらってありがたいと、おっしゃっているのです。
そこで法華経の薬王品には「あらゆる星のうちで、月がもっとも第一である」というたとえがあります。薬王品に十喩といって十のたとえがあります。そのなかの一つをあげていっております。
また「この法華経も同じである。あらゆる経典のうちで、月天子のように、もっとも光り輝いたものである」というのです。
ところで、この月にたとえた法華経の光はどういうことかと言うと、星の光は、あるいは一里あるいは八里あるいは十六里に達する、そういう光度をもっているが、月の光は強くて八百里にも達する光度をもっている。照明ということですから、星の大きさのように読まないようにしていただきたい。
ところで、何と何を月と星との光り輝く力でたとえられたか。いま述べたように、華厳経にしても般若経にしても方等経にしても、あるいは涅槃経、大日経にしても、金剛頂経、蘇悉地経、観経、阿弥陀経にしても、一切の経々を含めて、それらの経文と法華経との力の相違を示したものであると仰せになっているのです。
これは竜樹菩薩や無著菩薩、あるいは天台大師や善無畏三蔵や、その他の、釈尊以外の人がいったのではなくて、教主釈尊の説かれた経文であるから強いのであるというのです。今の日本では、それはあてはまりませんが、これはちょうど、以前の絶対権をもっていた天皇の一言のようなものである。
また今度は、南無妙法蓮華経があらゆるいっさいのものにすぐれている。これと同じように薬王品において証明しているのです。すなわち「この御本尊を受持する者は、すなわち南無妙法蓮華経という三大秘法の御本尊を受持する者は、あらゆる人の中ですぐれている」というのです。
その薬王品の文の意はどうかというと、三大秘法の御本尊を持つ者は、いかなる身分の低い者でも、大梵天王、帝釈天王、四大天王、転輪聖王、あるいは中国、日本の国主、そういう、あらゆる者よりも勝れているという。
だから、われわれは大梵天、帝釈よりすぐれているわけです。だから帝釈天にお参りにいくなどというのは、ばかの骨頂です。偉い人が家来のところにお参りにいくなどというバカなことはないでしょう。帝釈天よりもあなた方は偉いというのですから、自信をもった方がよいのです。
まして、日本の大臣や公卿や皇族、源平の兵隊、そんなものよりも位が上だという。これはちょっと、今はわれわれには当たり前のように聞こえますけれども、大聖人様の時代としては大革命です。非常に秩序を破壊する、ふとどきな人間だとなるのです。
大聖人様がどうして、いじめられたかということは、こういう御文をしみじみと考えてみればわかる。みな公卿様は偉い、また源平の侍は偉いと思っているのに、どんな身分の低い田夫野人でも、たとえこじきでも御本尊様を持つ人は、公卿よりも武士よりも、あらゆる階級の人々よりも偉いというのですから、そのころの思想としては非常な革命です。かれらにとっては、こういう僧侶を捨てておいてはつごうが悪いことになります。だから島流しにしろ、首を斬れと騒ぐのです。今でいえば共産党あつかいです。
今度は女の方は器量が大事です。男の方は位で、女の方は器量です。僑尸迦女という方は帝釈天の奥さんです。
とっても、きれいだったらしい。吉祥天女というのは、やはり、きれいなインドで画かれた福徳の天女です。そういう、きれいな人です。漢の李夫人、楊貴妃などというのは有名でしょう。歩くときにも、なよなよと歩いて、見ているだけで、男の人はたいてい心をうばわれたという。(笑い)そういう人よりもすぐれたりというのです。
これは、女の人が聞いたら喜ぶところです。(笑い)このなかに、女の人がいると思いますけれども、自信を持ちなさい。(笑い)
経文のように、それくらい、この御本尊様を拝する者は偉いのだということを言いますと、あまりにすごいから、かえって人はこれを用い信じないであろう。しかし経文の中には、この御本尊様を受持する者は、すばらしく偉いと書いてある。これを、なかなか信じられないわけです。ところが、信じないとすれば、仏の金言に背くのであるから、阿鼻地獄に行かなければならない。そうかといって、信じようとすれば、バカに偉くなってしまう。信じないとすれば阿鼻地獄に行ってしまう。進退きわまって、どうしたらよいかということになる。
この偉大な教えを、教主釈尊は四十二年の間説かなかった。大聖人様はまた佐渡へ行くまでお説きにならなかった。みな時を待っていらっしゃるわけです。すなわち釈尊が七十二のときに、中天竺のマカダ国、その霊鷲山でこの法門をお説きになられた。
ところで、この大事な教えは、日本に釈尊滅後千四百余年に渡ってきて、それより七百何年たっているといわれる。しかも仏教がわが国に渡って七百余年にして、大聖人様は法体の広宣流布をあそばしている。その後七百年にして、またわれわれは化儀の広宣流布をするようになっているのであります。この七百年については不思議を感じさせるわけです。ですから、七百年以前を考えてみれば、少しもこのことを知らなかった。天皇も知らなければ万民もこれを知らなかった。今われわれが、日本国において広宣流布せんとする。今は、中国においても朝鮮においても、インドにおいても、これを知らない。エジプトも知らなければイスラエルも知らない。日本の国がまず広宣流布して、それから、世界に伝わっていくわけなのです。
これを行ずるわれわれの資格というものは、たいへんな位なのです。単なる、皆さんやろうではありませんかというのでやるのではないのです。この使命は、われわれが生まれるときからうけてきた使命なのです。これをやらないで霊山へ帰っていくと、うんと大聖人様におこられるのです。折伏もしないでポカンとして御本尊様を受けて帰っていってごらんなさい。
本当です、おこられるのです。そういうことになっているのです。それが証拠に、現世においてかならず貧乏したり、困ったりするのです。