然るに今の人人は高きも賤きも現在の父たる釈迦仏をばかろしめて他人の縁なき阿弥陀・大日等を重んじ奉
るは是れ不孝の失にあらずや・是れ謗法の人にあらずや、と申せば日本国の人・一同に怨ませ給うなり、其
れもことはりなり・まがれる木はすなをなる縄をにくみいつはれる者はただしき政りごとをば心にあはず思
うなり。
ところで、主師親の三徳の釈迦仏を捨てて、すなわち御本尊を捨てて、他人である大日如来やあるいは阿弥陀
仏に従おうということは、これ不孝の者であり、謗法の者ではないか。そのようにいうから、自分をみな怨むの
であると、こう仰せなのです。
そのいやがる原因は、曲がった木は、まっすぐな縄を憎み、悪いことをする者が、正しい政道をいやがるのと
同じであるというのです。
我が朝人王・九十一代の間に謀叛の人人は二十六人なり、所謂大山の王子・大石の小丸・乃至将門すみと
も悪左府等なり、此等の人人は吉野とつ河の山林にこもり筑紫・鎮西の海中に隠るれば・島島のえびす浦浦
のもののふどもうたんとす、然れどもそれは貴き聖人・山山・寺寺・社社の法師・尼・女人はいたう敵と思
う事なし、日蓮をば上下の男女・尼・法師貴き聖人なんど云はるる人人は殊に敵となり候
こういう人人が謀叛を起こした。そこで、浦々の夷(えびす)はこれらの謀叛人を討とうと思ったが、他の上人たちは、
こういう謀叛人とかかわりあいがなかった。ところが、大聖人様は、謀叛人以上に国じゅうの人が敵としていま
す。みんな大聖人様を敵として憎んでいるのです。
其の故はいづれも後世をば願へども男女よりは僧・尼こそ願ふ由(よし)はみえ候へ、彼等は往生はさてをきぬ今生
の世をわたるなかだちとなる故なり、智者聖人又我好我勝(われよしわれすぐれ)たりと申し・本師の跡と申し・所領と申し・名聞利養を重くして・まめやかに道心は軽し、仏法はひがさまに心得て愚癡の人なり、謗法の人なりと言をも惜
まず人をも憚らず、当知是人仏法中怨(とうちぜにんぶっぽうちゅうおん)の金言を恐れて我是世尊使処衆無所畏(がぜせそんしと云う文に任せていたくせむる間・未得謂為得(みとくいいとく)・我慢心充満(がまんしんじゅうまん)の人人争(いかで)かにくみ嫉(ねた)まざらんや。
ともかく、その理由をいおう。それはみな後世を願っている。普通の男女よりは僧や尼の方が多い。しかし、
結局は、未来の往生のことよりは、今生のことに執着していた。ところで、そのころの僧侶も、ちょうど今の僧
侶と同じで、自分の方が偉いのだといいながら、仏法に対する信心の方は軽く、欲張りの方が強い。このように、
大聖人がいうから憎まれるのだというのです。
今の僧侶は、仏法をさかさまに心得た愚痴の者であり、それが一般の今の状態であると。また謗法の者なりと、
堂々と邪宗の僧侶たちを攻撃するから、敵になっているのだというのです。
「当に知るベし、是の人は仏法の中の怨なり」と法華経の中にありますが、これを心の中に秘めて、自分が謗
法の者を責めなければ、仏法中の怨になります。ですから、その金言を心の中にもって「自分は、仏よりつかわ
された者である、断じて恐れることはない、仏の使いなるが故にどこまでも謗法の者を責めるのだ」という仏の
言葉にまかせてやっているのであるという。ところで、未だ得ざるを得たりと思い、自分はなにも悟っていない、
わかっていないのを、増上慢の者は我慢の心非常に高く、大聖人様を憎まないわけにはいかないだろう。だから
憎まれるのだという。
されば日蓮程天神七代・地神五代・人王九十余代にいまだ此れ程法華経の故に三類の敵人にあだまれたる者なきなり、かかる上下万人一同のにくまれ者にて候に・此れまで御渡り候いし事・おぼろげの縁にはあらず宿世(しゅくせ)の父母か昔の兄弟にておはしける故に思い付かせ給うか、又過去に法華経の縁深くして今度仏にならせ給うべきたね(種)の熟せるかの故に・在俗の身として世間ひまなき人の公事(くじ)のひまに思い出ださせ給いけるやらん。
されば、日本始まって以来、法華経のために、三類の強敵をうけた者は大聖人様以外にないと。こういうふう
に、多くの人に憎まれている大聖人様に、あなたがお近づき下さるということは、薄い縁ではなかろうというの
です。過去世の父母であったか、兄弟であったか、その縁をうすうす感ぜられて、その縁で私についているのか。
またそうでなければ、過去世に法華経の種が下種されておって、それが熟していよいよ今世で仏にならんがため
に、公の仕事の中に、忙しい中にも思い出してお出でになったのか。まことに尊いことである。
其の上遠江の国より甲州波木井の郷身延山へは道三百余里に及べり、宿宿のいぶせさ・嶺に昇れば日月をいただき・谷へ下れば穴へ入るかと覚ゆ、河の水は矢を射るが如く早し・大石ながれて人馬むかひ難し、船あやうくして紙を水にひたせるが如し、男は山かつ女は山母の如し、道は縄の如くほそく・木は草の如くしげし、かかる所へ尋ね入らせ給いて候事・何なる宿習なるらん、釈迦仏は御手を引き帝釈は馬となり梵王は身に随ひ日月は眼となりかはらせ給いて入らせ給いけるにや、ありがたしありがたし、事多しと申せども此の程風おこりて身苦しく候間留め候い畢んぬ。
弘安二年己卯五月二日 日蓮花押
新池殿御返事
これはそのとおりです。遠いということです。昔の六丁一里でいえば五十里くらいですか。道の嶮阻(けんそ)なことを
おっしゃっているのです。これは名文です。実にあの川は急流であったらしい。今みたいに電車で行ったりする
のではありません。とにかく、道なんかほとんどないくらいに、非常に細い道だったらしい。そこへわざわざ使
いをやって、米三石も届けたり、自分がみずから行ったりした。このように、大聖人様時代の信者というのは、
なかなか強信なものです。
ところが、今は汽車で行くのですら、どうとか、こうとかいう。大聖人様の御在世当時のことを考えたら、ま
ったくそんなことをいえるものではありません。
要するに、そういうように、ちょうど梵天・帝釈・日月等に護られていらっしゃる、だからここにこられたの
ですかと。
昔は、カゼをひいたことを風がおこったといったのです。大聖人様は、カゼをひいておられたらしい。カゼを
ひかれて身が苦しいから、ここで疲れたから止めておくと。止めておくといっても、こんなに書かれた。私なら
二行ほど書いて止めておくところです。