素晴らしい本だと思います。
これは具体的に、どうこの人生を生きていけばいいのかを教えてくれる本だと思います。
実際、この本の言われるように実践・行動していければいいなと思います。
この著者が言うところの、「原則」を、私は「自然」と捉えれば分かりやすいのかなと思います。
このところが、生命論と共鳴する部分ではないか、と思います。
ただ、私が原本を持ちませんので、この本のなかで「良心」と訳されている部分がありますが、この良心は、おそらく
コヴィーさんが信じる?かどうか分かりませんが、キリスト教からの宗教上の良心ではないかと思います。
この良心は戸田城聖先生も言われているように安定せず、人それぞれで違っていると思います。
仏法には、一念三千論があり、仏法には「劣る」もしくは「浅い」教えかなと思います。あくまで「論」として浅いと思うだけであって、実際に実践できて批判しているかと言うと、恥ずかしい限りです。
私は、仏法を理解することは難しいけれども易しい(生命論が分かれば)と思っているのですが、この7つの習慣も、どう生きればいいか、を分かりやすく具体的に教えていただいていると思っています。目指すところは同じように思いますが、ただ、「南無妙法蓮華経」という題目だけは、私のように意志が弱い人でも強くなれるものです。強い生命力等が私の中から湧いてくるからです。
他の素晴らしい本(例えば「嫌われる勇気」「自助論」等)も、目指すところは同じだと思いますが、生命力を湧かせ強くするもの(南無妙法蓮華経の読誦)はどこにも説かれてないようです。
もう一つ、影響の輪と関心の輪の中の「主体性に対する自覚を高める方法」について、時間やエネルギーを集中させているところを観察し、関心の輪を描くことで、自分が関心を持っている事柄と関心を持っていない事柄をふり分けることができる。
関心の輪の中に入っている事柄を見つめれば、実質的にコントロールできないものと、コントロールできるもの、あるいは大きく影響できるものがある
このようなものであるが、この中で
人によっては、地位・財力・役割・人脈などにより、影響の輪が関心の輪よりも大きくなるケースもある。この状態は、近視眼的な生き方の結果であり、反応的で、利己的・自己中心的な、関心の輪に集中した生活様式の結果である。
影響を及ぼしたい事柄に優先順位をつける必要があるとはいえ、主体的な人の関心の輪の大きさは少なくとも影響の輪と同じくらいのものであり、彼らは、自分の持つ影響力を効果的に使う責任を認識している。
しかし、自己中心的な人は、影響の輪が関心の輪よりも大きくなる場合がある。これは、人や社会に対して無責任な状態であり、本来、自分が解決できる問題をも無視してしまう結果である。
これが、池田大作(先生)が自己中心的な人と一致している。このことを理解されていなかった人と思う。
どんな人に影響するか理解することなく、一人一人の学会員なんかどうでもよかったのであろう。
何も考えず、方便だからとか、自分を仏と考え、どうせ仏の言うことなんかは分からないとみんなが思っているから好きなことを言えると思って、話されてきたのではないかと思う。
この池田大作(先生)という方は、福島源次郎氏の言われるとおりだと思います。