仏も病気でなくなるのでしょうか
【問】 日蓮大聖人様がおなくなりになるとき、病気でおなくなりになったということをうかがいましたが、そ
ういうことがあるのでしょうか。
【答】 いまの質問は、いい質問です。仏法の原理に通ずることなのです。
それは、法華経をお読みになったかどうかは知りませんが、法華経のなかに、釈迦牟尼仏の前に諸菩薩が集ま
って「少病少悩でいらっしゃるか」と、釈迦仏に聞いている。「少病少悩」すなわち「わずかの病気、わずか
の悩みがおありですか」と聞いているのです。
これは、仏法哲学者の一つの問題になっているのです。なぜかならば、仏に病気がない、悩みがないといえば、
この世の衆生を救うわけにはいかないのです。そこで、少しの病い、少しの悩みがありますかと質問して、釈尊
の状態を述べているのが、法華経の経文に、数々あるのです。
日蓮大聖人様は、もったいなくも、弘安二年の十月十二日に、大御本尊様をお顕わしになりまして、その後、
四年間生きていらっしゃったのです。もうご用事はないのです。しかし、病気といいますのは、いまの科学の説
で考えれば、ビタミンの不足なのです。腸をおかされていらっしゃいます。下痢がとまらないのです。それで、
一年間は、下部の湯にという、弟子どものすすめで行こうとなさったのですが、ご自分の寿命を知っていらっし
ゃるのです。
それで、釈尊は純陀と申しまして、大工の家で死んでいるのです。ここが不思議なのです。日蓮大聖人様は、
池上で死んでいるのです。そうすると、純陀と池上家との関係になってくるのですが、池上が、鎌倉幕府の建築
奉行です。正法の釈迦如来も、末法の日蓮大聖人も、同じく大工の家で亡くなっているのです。
そういうようなわけで、ご自分の命のなくなることは、ご自分でじゅうぶんご承知なのです。だから、仏だか
らといって、病気をしないで死んだら、おかしいではないですか。仏様が汽車にひかれて死んだとか、そのころ
は汽車はありませんが、ガケから落ちて死んだのならおかしいかも知れませんが、人間は、みんな病気という形
をとって死ぬのではありませんか。その形をおとりになったからといって、おかしいことはないでしょう。何が
ありますか。
私だって、死ぬときは病気で死ぬのです。なんの病気で死んだらいいか、まだ考えていませんけれども、何か
の病気で死なないと、私もつごうがわるいです。肺病では、もう死にません。心臓病でも死にません。しかたが
ないから、洋酒の「寿屋」で死のうかと思っているのです。
日蓮大聖人様が、一年前からご病気で、六十一歳のおん年でなくなられたときには、四条金吾殿がついていた
のです。四条金吾殿は有名な医者です。その方がついていて、お手当てのたりないことはないのです。ただ自分
の死を期してから、あの時お乗りになっていた馬などをかわいがったそうです。馬の首すじをたたいて、そうし
て「大事にしてやれよ」とおっしゃったそうです。そのように、仏様が死を覚悟していらっしゃったのですもの、
病気くらい、いいではないですか。
佐渡へ流罪になられた、伊東へ行かれた。あるいはその他に行かれたけれども、日蓮大聖人様が病気をなさっ
たとは書いてありません。死ぬ前だけ病気したのです。それくらい景品をつけてもいいではないですか。おたが
いに死ぬ時は、何か病気を作って死のうではないですか。私は「洋酒の寿屋」です。わかりましたか。仏様は病
気で死んでもいいのです。
われわれの場合、御本尊様を拝んで、病気がなおるのになぜですかという疑問がでると思いますが、なおると
いっても、死ぬ前は景品をつけなければだめです。
また、自然死ということもありえます。日蓮大聖人様のは自然死です。ただその前に腸が悪かったというだけ
のことです。自然死でなくて、なんの死ですか。お苦しみあそばしましたか。眠るがごときご臨終ではないです
か。
何も日蓮大聖人様が、おれは死ぬのはいやだとか、苦しいとか、なんとかいった記録は一つもありません。自
然死です。その前に、腸が少し悪かったというだけです。腸ぐらい時に悪くもなります。
こういう話があるのです。身延の山に雪が降って、だれびとも、何も売りにこなくなってしまった。その雪の
時に塩を売りにきたそうだ。麦をおとりかえになったそうだけれども、その麦のおかゆに、塩を入れて召しあが
ったときに、日蓮大聖人様のおおせには、「塩というものは、おいしいものだ」とおっしゃったそうです。そう
いう山の中で、三か月も塩を食べないで、もちろん青いものもないでしょう。そこでお暮らしになっていて、い
まの科学ではビタミン不足だなどといいますが、それがないといえますか。しかも、ご自分の働く場所はないの
です。御開山日興上人にぜんぶおゆずりあそばして、戒壇の御本尊もできて、安住しておられる場合ですから、
ビタミン不足も、麦に青物を持ってこいといえば、どこからでも持ってきます。
うそだと思うなら、大講堂を作った時、ここから、あの時代の金で二百何十枚という穴あき銭が出たのです。
いまごろ穴あき銭などというと、人はばかにするけれども、あれが一文あると、たいした生活ができたのです。
うそと思うなら、元禄時代に、赤穂浪士四十七人のたばねをした大石蔵之助が、自分の同志に貸してやった金に、
二分という金があるのです。二分とはいまの五十銭です。それで三月間、飯を食っていたというのです。
あのころの穴あき銭に二通りあるのです。中国からきた穴あき銭は高く、日本で作った穴あき銭は安いのです。
日本の八文と、中国からきた一文と交換になっていた時代です。その中国の穴あき銭が二百四十枚うずまってい
たのです。
日蓮大聖人様が、お金がないとは申されません。それは、青い物が欲しいから持ってこいとか、なんとかいっ
たら、富木殿はいるし、四条金吾殿はいるし、富士には南条殿がいるのに、持ってこないわけがありますか。
「少欲知足」「波羅提木叉」の戒といって、これは仏様でなければできません。自分が食べるとか、自分が飲む
とか、それは関係ないのです。
そういうおからだですから、栄養失調におなりあそばしたのではないかと、私は考えるのです。命を後へもど
さない、というお心があるから。それをなぜお前はいえるかというと三つの事件があるのです。
それは、佐渡で、四月二十五日に「観心本尊抄」をおしたためになりました。天台は、四月二十六日に「摩訶
止観」を作られ、章安大師にお授けになって、それから四年めになくなっていらっしゃいます。観心本尊抄を作
って、四年めに、この大御本尊様はでき上がっていらっしゃる。この大御本尊様をお作りになってから四年めに、
日蓮大聖人様は、この世をお去りあそばしていらっしゃる。そういうふうなことから考えれば、病気で死んだと
一応は人はいっても、私は仏法の論議からいって、それは認めません。大御本尊様をあらわして四年めです。天台
は、摩訶止観をあらわして四年めです。天台は、日蓮大聖人様が観心本尊抄をあらわしたその翌日から起稿にか
かったのです。それは、大聖人は末法の仏様なのですから、先なのです。天台は、像法の仏ですから、後になる
わけです。一夏すごして書いて四年めになくなっています。その仏法の哲理を考えなければならないのです。
そうひがんで考えないで、大きな目から、仏法哲理を見なければならないと私は思うのです。あなたの質問は
きょうの質問で、いちばん秀逸です。「病気がなおりますか、なおりませんか」なおらないものを信仰する必要
はないではないですか。なおるにきまっています。自分の思いどおりにならなければ、死なないにきまっていま
す。死なないのは、よほど強つくばりです。私は、そんなものの責任は負いません。