経済的悩みだけが未解決
【問】入信して二年になります。たくさんの病気を持っていましたが、それは、ぜんぶなおりました。精神的
な悩みもなくなりました。ただ、経済的悩みが残っているので、これをなんとかしたいのですが。
【答】 これは、いつも登山会で問題になることでありまして、病気がなおらないと、こういうのです。金がな
いのは困るというのです。
病気がなおらないようだったら、この信心はさせません。医者を頼って、病気はなおしなさい。しかし、医者
にかかってなおらない場合には、御本尊様を拝みなさいと、こういっているのです。なおらないわけがないでは
ないですか。それは、なおるか、死ぬかです。
金欠病は、これはすぐなおらないのです。手品やなにかではないのですから。死んでなおるわけはないけれど
も、生きているうちに、かならずなおるのですけれども、三年や五年の月日をかけなければ、貧乏人に生まれてき
た人が、金持ちになろうというのに、一年や二年や三年の信心でなおるというのは、それは、虫がよすぎます。
いつも私は、笑い話にいうのですけれども、あるお婆さんが私に聞いた「先生、どうしたらお金ができるので
すか」「まあ、四、五年しっかりやりなさい」「そんなに、待っていられません」いや、その気持ちはよくわかり
ます。気持ちはわかるけれども、そういうものではありません。そのように、かんたんにお金ができるのなら、
手品か何かです。それはうそです。ほんとうの信心というものは、五年なり、六年なり、まじめにやって、そこ
から言うにいえないものができてくるのです。
ですから、そうあわてることもないでしょう。どうせ、病気もなおったし、精神的悩みもよくなったのですか
ら、あと、まじめに、二、三年ガッチリ信心してごらんなさい。そうしたなら、そこから、しぜんのものが出て
きます。それを、信仰したから、すぐあとからお金ができるとか、そういう考え方が悪いのです。そういうこと
を指導する人も悪い、そうでしょ。そんなものではありません。金欠病は七年です。自分のからだの病気はなお
ります。七年間待っていられません。痛くてたまらないし、困っているのですから、それは早くなおるけれども、
ほんとうに金などというものは、もともと自分にないものではないですか。それを作ろうというのですから、五
年や六年は、御本尊様をキチンとおがんで、まじめになったほうが、いいのではないですか。