生活が苦しく信心が楽しくない

 

【問】楽しい信心をするようにいわれております。ところが、家庭の生活が苦しいので、あまり楽しくなりま

せん。どのようにしたらよろしいのでしょうか。

 

【答】 これを一般的に申し上げますが、人間というものは、なんのために生まれてきたのかという問題です。

そこを考えると、釈尊は法華経寿量品第十六の自我偈で「衆生所遊楽」と説いてありますし、日蓮大聖人もおお

せですが、人間というのは、世の中へ楽しむために生まれてきたのです。苦しむために生まれてきたのではない

のです。だが、苦しみということがなければ、楽しみというものはわかりません。

 

 ところが逆に、このごろの世のなかは、苦しみの方だけ感ずるようになってきたのです。金と権力に圧倒され

て、楽しみの方は感じられないのです。

 そこで考えなければならないのは、今あなたのいうのは、楽しい折伏をしなさいといっても、折伏しなくては

ならないと思うから楽しくないのです。しぜんに折伏がしたくなれば、楽しいのです。

 そこが問題なのです。みんな折伏しなければ功徳がないといわれているから、折伏しなくてはならない、折伏

しなくてはならないと思っていた苦しみです。

 要するに、われわれが、朝起きて、おなかもへらないのに、ごはんを一生懸命食べなければならない、食べな

ければならないと思ったら、苦しむでしょう。ところが、腹がへると、うまくてしようがないのです。

 夜でも、さあ寝なければならない、寝なければならない、といったらどうなりますか。それを丑寅の勤行など

には、頼まれなくても寝てしまいます。

 折伏を楽しくやれ、というのは、そういう意味です。よく、そこのところが、腹にどっしりすわれば問題はな

いのです。

 いま、あなたは、商売がうまく行かないのでしょう。それだから苦しいのです。商売を一生懸命やりなさい。

そうすれば、しぜんに楽しくなります。