ふとんの行商が思わしくない
【問】入信して一年十か月、自分ではしっかりした信心をしているつもりですが、生活がますます、まずくな
ってきています。商売はふとんの行商をしていますが、どのようにしたらよいでしょうか。
【答】 商売はしっかりやっているのですか。それでは、その貧乏な人の話をすると、こうなのです。その人は、
いまのようなことをしょっちゅういってきたのです。そして、しまいには夜逃げをしてしまったのです。その人
をそれで私が良く記憶しているのです。一年前に思い出して、その人いったいどうなった、と聞いたのです。と
ころが、家を建てて電話ひいているのです。おどろきました。絶対に、そんなふうになりそうもない人だったの
です。ところが、しょっちゅうきて、いまのようなことをいっていたのです。「信心はきちんとやっています。
折伏もしています。商売がうまくありません。御本尊が悪いのでしょうか」といっていた。
それが、六年か七年めに、私が聞いたときには、きちんと成功しているのです。これは、いつも申しますよう
に、なかなか時間がかかるのです。なぜかと申しますと、南無妙法蓮華経という、ほんとうの御本尊様を、われ
われが受けたということは、われわれの心田に仏種を植えたことなのです。いわゆる下種、種を植えたのだから
下種というのです。
これだけの畠に、一つの種を植えたのです。その種が、育って大きい木になれば、今度は、実が年に百なら百
なるとします。果物が一つ十万円で売れるとします、百うれて、十万円なら一千万円です。そういう大木を植え
たのです。心田にまだ実はならない、その時にどうします。大きくなるまで、草をとったり、あるいは水をやっ
たり、肥料をやったりするのが当たり前でしょう。そこでわれわれの田を、畠を梵天帝釈をはじめぜんぶが守る
のです。
経済難などに絶対させるはずがないのです。そうして、今度はだんだんと守って行くのですから、だんだんと
この芽が育っていって、木の実がなるというふうになりますれば、願わずとも、金は出てくるのです。そうなる
まで待つ以外にないのです。
その間は、梵天帝釈は守りますから、暮らすだけのことができないわけはありません。身延ではあるまいし、
そんな御本尊を私はすすめません。それはなにかおかしなことがあるのです。私はあなたの信心を信じてはいま
せん。そんなバカなことがあるものですか。一年十か月も信心して、どうにもならなくて、どうしましょうかな
どと泣きごとをいうような御本尊様を渡してはありません。信心の仕方が違っているのです。
早くいえば、班長だとか、地区部長だとか、組長だとかいう者の批判をしたり、あるいはいろいろなことをい
ったりしているか、さもなければ、しっかり御本尊様を拝んでないか、商売をしっかりしていないかなのです。
そんな御本尊様をあなたがたに渡してはおりません。自分でよく反省してごらんなさい。一年十か月も信心して
梵天帝釈が来て、たすけないような御本尊様は絶対渡してはありません。