日を奇数でかぞえるのは
【問】 赤子が生まれた時、お七夜とか、死んだ時、初七日、三十五日とか、奇数日で数えます。これは、邪宗
から出たのでしょうか。どういうところから出たものでしょうか。
【答】 観普賢菩薩行法経という、法華経の結経があります。そこにこれが出ているのです。ですからそれが七
日、二七日、三七日と計算がなっております。四十九日などは死んだ人の法要で、皆縁起の悪いように思います
けれども、四十九日目というのは、いい日なのです。あとは百日になりますが。
ですから邪宗から出たとかというのではなくて、釈迦時代の仏法からきているものです。なんで七日を決めら
れたかは、私にはわからないのです。経文にそうあるのです。数の不思議というものは、どうも妙なものでして、
いろんなことをいわれていますが、あれがどこからどう出てきたか、というと、私にもはっきりいいかねます。
私も長く数学をやっていましたが、どうしてダースなどというのか、十はわかるでしょう、指の数からきてい
るのですから。六は半ダース、もう六でもって一ダースという、このダースの計算のもとがわからない。
観心本尊抄を書いておりますなかに、インドでは六をもって具足としているという、日蓮大聖人様のおことば
があるのです。それは、私が数字をいじった時代に、しょっちゅう考えたのですが、結局、手と足の親指ではな
いかと思うのです。それで数を六つはかったものではないかと思うのです。
それ以外に、どの数がどうだという、数学上ではもちろん、そんなのはありませんし、運命論からいっても、
どうも後でつくったほうが多いようでして、姓名判断などといっても、あれは哲学がないのです。
数は、大体、中国でこしらえたものらしいのですが、十一がいいとか、十三がいいとか、十五はいいとか、十
八が良くて、十九がだめで、二十がだめで、二十一がいいとか、二十二がだめで、二十三と四と五がいいと。二
十六がちょっといいと、そういうようなことはありますが、私はあまりくわしいことは知りません。
若い時に研究したのですが、その数の吉凶が、いかなる哲学から出たかと調べてみてもはっきりしないのです。
それで私は姓名判断を捨てたのです。こんなもので、人間の幸福を左右するのは、間違いだと思いまして、用い
ません。これを盛んに用いてよろこんでいるのは立正佼成会です。私が二十のころに捨てたものを、いまごろ拾
ってよろこんでいるのです。